第33話 届かぬ声
体に食い込む拘束具の痛みを堪え、リアラは目だけを動かして見上げた。
分厚い刃が、頭上で鈍く光っていた。
ギロチンだ。
リアラは今、ギロチン台で四つ這いにさせられている。
カビくさい木の板に円形の穴がくり抜かれてあり、そこからリアラの首から先が突き出ている格好だ。屈辱的な格好であるが、抵抗をしようものなら、容赦なく金属のブーツで踏みつけられる。すでに一度、影の兵に背中を踏まれた。それからずっと、ブーツ型の痛みを背中にじんじん感じる。
このまま死ぬのか。それは嫌だ。
リアラが唇を噛む。
そこからさらに視線を前へ動かすと、さまざまな人の表情を見ることができた。第一ファームの住人たちがこの広場に大勢集まり、動揺を隠しきれぬ表情でこの壇上を見つめてくる。
「アルティア様……! どうしてそんなお姿に……!」
「魔族様! これではあんまりです! アルティア様が何をしたんですか!」
リアラの隣にも、ギロチン台が一つ、そびえ立っていた。
そこに雁字搦めにされているのは、この国の王族であるアルティア様だ。
四つん這いになったアルティア様の顔が、ギロチン台の穴から亀のように突き出ている。垂れ込めた髪の間から、首筋に『24』の数字が垣間見える。
アルティア様のあられもない姿を見て、民たちが声を荒げている。
一国の姫君に対し、あまりにひどい仕打ちだと思う。
これまで魔族に逆らわず、従順だった住人たちが、強引に壇上へ雪崩れ込もうとする。それを壁となって押し留めているのは、全身鎧の屈強な影の兵だ。
「アルティア・クロノスは罪人だ」
鴉の頭蓋骨を被った人型の影が、大衆に向かって朗々と語った。
鴉の頭蓋骨は、死刑執行人の証だ。
「アルティア様が?」
八百屋のおじさんが息を呑む。
いつも瑞々しいトマトを売っていたのを覚えている。
「この国の法に背いたのだ」
「そんなはずはない。よりにもよって、アルティア様が……!」
「この者の罪状を言い渡す」
死刑執行人が巻物のようなものを広げ、声高々と読み上げていく。
「アルティア・クロノスは、リアラ・カイロスと共謀し、希望ポイントが1万未満であるにも関わらず、ファームを脱走しようとした。ゆえにその見せしめとして、この両名を斬首の刑に処す」
リアラはかっと体が熱くなった。腸が煮えくり返りそうだった。
「そんな……! アルティア様は脱走などしようとしてません……!」
こいつらが言っていることは、嘘っぱちだ。
「わたしの誘いを断り、ファームに残るとおっしゃったはずです!!」
列車ではアルティア様は、民を救うために、自分は残ると言い張った。
リアラはその声を今でもはっきりと思い出せる。
なのにこの国の支配者たちは、そんなアルティア様の想いを踏みにじる気だ。
「その証拠は?」
ねっとりした口調で問われる。
「……ッ!!」
怒りで爆発しそうだった。
「あなた方こそ! アルティア様が脱走しようとした証拠はあるのですか!」
「お前の存在がその証拠だ」
ざわざわ、と広場の大衆が揺れる。
「家畜の皆さん、紹介しよう。この者は、かつて厩舎塔でクロノスの給仕をしていた、リアラ・カイロスという者だ。そうだな?」
「はい。三年前までウチで働いておりました。間違いありません」
リアラは目を大きく見開いた。
死刑執行人の隣に立っていたのは、
「侍女長……!?」
かつての上司だった。厳しくも優しい人だった。
「リアラ・カイロスは希望ポイント貯め、三年前にマーケットへ出荷された」
「左様です」
「その人間が、わざわざファームへ潜入してきた。それは何のためか?」
死刑執行人は続ける。
「アルティアを脱走させるためだ」
流れが悪い方向へ向かっている気がした。
「それは、否定しませんが……! アルティア様はその誘いを断って……!」
「否。この者は嘘をついている」
「……!!」
喉元を熱い吐息が通り過ぎた。
「マーケットへ出荷される前から、この者とアルティアは脱走計画を企てていた。そして我ら魔族は恥ずかしいことに騙され、リアラ・カイロスを出荷させてしまった。こうしてファームに帰ってきたのは、アルティアの脱走計画を成功させるためだ。出荷された人間がこの場にいることが何よりの証拠だ」
こいつらは一体何を言っている。
「おい嘘だろ、姫さん」
大衆の中から声があがる。
違う。信じて。
アルティア様はあなた方のために……!
「俺たちは必死にポイント貯めて頑張ってんだ。模範であるアンタがズルしてどうするってんだ。これ以上俺たちの立場を悪くしねえでくれ!」
「俺たちを馬鹿にしてるのか!」
「なんでわざわざ魔族様の怒りを買うようなことを……!」
「迷惑かけんじゃねえ!」
「違います。違うんです」
リアラは弱々しく首を振る。
魔族の言葉に騙されないで。
「リアラ、いいの。わたくしの死で、民が救われるのなら、それで」
アルティア様はこの状況においても、民のことを凛と眺めていた。
「そんな……! 間違ってる……!」
どうしていつも、アルティア様ばかり犠牲になるの。
「ぜんぶ魔族の都合のいいようにでっち上げられてます! なんでそんなこともわからないんですか!」
どうしていつも、アルティア様は幸せになれないの。
「アルティア様、申し訳ありません。わたしはこの命に代えてでも、皆に真実をお伝えします」
「リアラ?」
アルティア様が今まで必死に隠してきた真実を全部ぶちまけようと思った。
国民のために魔族と取り交わした契約のすべてを。
人間牧場の本当の姿を。
「皆さん、わたしの声を聞いてください!」
「……魔王様だ」
大衆のざわめきが一層大きくなった。
誰もこちらを向いていない。
体の向きは、壇上の端。
広場の人間は一人残らず膝をつき、頭を垂れて額を地につける。
「魔王様のお御幸だ」
影が言った。
壇上の端で空間が捻じれ、歪み、影の渦が激しく回っている。
そこから、この国の支配者が姿を現した。
そびえ立つ二本の角、そして異形の四本腕、全身に揺らめく影の鎧。
「皆の者、面を上げよ。影の魔王である」
聞いた者の恐怖を突き動かすような、体の芯が冷え込む声だった。
「魔王様万歳!」
「魔王様万歳!」
家畜の声で、大広場が割れそうだった。
「どうか聞いてください!! わたしの声を!!」
リアラは懇願する。
「皆さん!! 聞いてください!!」
「これより、罪人の死刑を執行する」
「私の声を!!」
「魔王様万歳!」
「魔王様万歳!」
声の塊がぶつかって、ギロチン台が小刻みに震える。
二人のギロチン台の前で、鴉の頭蓋骨が一体ずつ、上半身ほどもある巨大なハサミを手にした。あれでぴんと突っ張った綱を切断すれば、頭上のギロチンが落下し、自分たちの首が刎ね飛ばされる。
「お願いです!! わたしの声を!! 聞いて!!」
「魔王様万歳!」
「魔王様万歳!」
わたしの声が……! 届かない……!!
*
「人間風情が影に逆らうな」
スカーがアドを蹴り飛ばす。
激痛が走り、息ができない。
こいつ……。
影の魔王がいなくなってから、わざと死なない程度の蹴りで、かれこれ数分間いたぶってきやがった。影の魔王の命令は、『尊厳のある死を』だ。王命にはちゃんと従えよ。そんなにボクが妬ましいか、スカー。
「なんだその目は、人間風情が!」
「くっ……!」
呻き声を漏らしたのは、ウィンターだった。
「両脚を失ってなお主を守るか」
「う……」
鋭利な剣の足が振り下ろされる前に、覆いかぶさるようにしてアドを庇う。
ぐちゃぐちゃの片脚だけで、ここまで這ってきたようだ。
壇上からここまで、胴体ほどの赤い線が、一本長く引かれている。
「魔素に還れ、ウィンター。あとはボクがやる」
「アド……?」
「ここまで来てくれてありがとう」
おかげでウィンターが、手の届く距離にいる。
「馬鹿だな、スカー。ボクで憂さ晴らしなんかして。さっさと殺さないからこうなるんだ」
ウィンターの肉体が腐り落ち、術式まで還元されて、最終的に魔素の集合体となる。魔素が離散して空気に溶け込んでしまう前に、アドは手のひらに魔素の群れをたぐり寄せ、そしてアド本来の力を発動させる。
――神聖なる魔術。
「〈
「!?」
スカーが焦ったように距離を取る。
アドの手のひらに浮かぶのは、ひとつかみほどの光の球だ。
「やっぱそうだよね。影には光だ。怖いんだろ?」
それに加えて、魔には聖だ。
お前にとって最悪の天敵が、ここにいる。
「なぜお前が、神聖魔術を……?」
「適性があっちゃ悪い?」
アドは腕を振るって、光の球を投げ放った。
それほど速くない速度で、光球がすーっと一直線に滑っていく。
「……!!」
遅く、しかも距離があるにも関わらず、スカーは後方へ飛び退った。
「たかが光に大げさだね」
アドが腫れ上がった目で、鋭利な影の動向を眺める。
「そんなにびびられるとさ、自分から教えてるようなものだよ」
肋骨が折れ、裂傷にまみれたアドが、じわりじわりとにじり寄る。
スカーは気圧されて、意に反して後ずさった。
「魔王様の――」
アドがニィと嗤う。
「弱点」
「ッ……!!」
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