影の国
第5話 魔晄列車
「小娘。吾輩の顎をなでる名誉を与える」
偉そうな口調で顎を差し出すジル。風に、口髭が揺れる。
「ここがいいの?」
両膝を揃えてちょこんとしゃがみ込むウィンターが、細い指でこちょこちょと顎下をさすった。指の動きに合わせて、黒い毛が踊っているように見えた。
「そうだ、そこだ! そこを掻き掻きだ!」
目をかっぴらいて、なに言ってるんだこの猫は。
アドは半ば呆れつつ、周囲を見渡した。
そよ風に混じって、潮のにおいがした。
鉄を含んだ赤茶けた大地と、果てまで続く無骨な鉄道。
そしてその向こう側に、陽の光を照り返す青い海原が見える。
どん、と揺れる空気。
また噴火した。
大砲のような音を響かせ、灰色の噴煙を立ち昇らせるのは、海にそびえ立つ活火山だ。赤々と輝く灼熱の溶岩が、山頂から蜜のように垂れ落ちていく。
「小娘。お腹も掻き掻きだ!」
大の字で地面に転がるジルが、愛らしいおへそを見せている。
何してんの?
「ここ?」
「そこだ! 見込みがあるぞ小娘! 黒猫ランクA級に昇格だ!」
「なんですか、そのランク。打ち解けるの早くないですか?」
リアラが冷ややかな視線を向ける。
「猫は女子供を籠絡するのが得意なのだ」
「かきかき」
「そこだ! そこを入念に頼むぞ! 程よい力でだ!」
むしろジルが籠絡されているように見える。
はあ、と息をついたリアラは、駄猫を無視して無骨な鉄道の先を指さした。
「アドくん、見えますか。あれがファームです」
「あのデカい壁が?」
鉄道の続く遥か先――
赤茶けた大地の果てに、蜃気楼で歪む巨大な壁が見える。
ここから馬車で二日くらいの距離だろうか。
「壁で囲まれていますけど、中には大きな街があります」
遠すぎてその巨大さがまるで実感できない。
ここからでも見えるということは、ちょっとした山くらいの高さはありそうだ。
壁の向こうに十階建ての塔があったとしても、あの壁に遮られて先端すら見えやしないだろう。
「あの壁に閉じ込められてるわけか、人様が」
「そうです。魔族に厳重に管理されてます」
「太らせて食べるために?」
「理由は、行ってみればわかります」
「ふーん……。で、どうやって中に入るの?」
あの断崖絶壁をよじ登るわけにもいくまい。
爪が剥がれて落下するのが目に見えている。
「ここから列車に乗って、ファームの中へ侵入します」
「乗るって……ここ線路なんだけど。〝駅〟って知ってる?」
「知ってますよ!」
頬をふくらませるリアラが、大げさに拳を握ってみせる。
「駅から乗りたいところですけど、駅はファームの中にしかないんです」
つまり、壁の内側だ。
「だからここから、飛び乗るしかないんです、壁の外側では」
「列車以外に、ファームへ侵入する方法はないの?」
リアラが渋々といった様子で、予想外の方向へ指を差した。
「川?」
小さな指の示す先には、大蛇のうねりみたいな川があった。
無骨な鉄道に沿って、うねうねと例の壁まで続いている。
「でも、無理です。排水門から侵入する方法も検討しましたけど、水の流れが強いし、何より息が持たない。排水門のトンネルは、深くて長いです」
「じゃあ、無理か」
「現状、壁を越える方法は列車だけです」
だからと言って、走行中の列車に飛び乗る気にはなれない。
どう考えても、人身事故だ。
「正門みたいなものはないの。ほら、陸路を移動する行商人とかさ――」
「ないです」
即答された。
「ファームは、外から入ることも中から出ることも不可能です」
列車以外では、とリアラが続ける。
「ほら、列車が見えてきましたよ。飛び乗る準備はできてますか、アドくん」
「待って、思ったよりずっと速いんだけど」
煙突から魔素の蒸気を噴き上げながら、猛烈な速度で列車が迫ってきていた。
「チャンスは一回きりです」
正気の沙汰じゃない。この女、ネクロマンサーよりイカレてる。
「大丈夫。列車はここで止まりますから」
「わざわざこんなところで?」
「ここは火山地帯です。待ってれば、地震が起きます」
「いきなり何の話?」
「察しが悪いですね。これから起こるんですよ、地震が」
そんな馬鹿な話があるだろうか。
「地震が起きれば、安全確保のために、列車は一時停止します。そこを狙うんです。ほら、もう目の前です。岩陰に隠れながら、近づきますよ」
「いやいやいや。このタイミングで、都合よく地震なんか――」
アドが言い切る前に、地面が大きく縦揺れを起こした。
「……起こったね」
「アドくん、何してるんです。列車が止まりました。置いていきますよ」
リアラはすでに走り出していた。
眠たげな彼女の肩越しに、停車した列車が見える。窓ガラスの向こうで、車両の中を人影が駆けていた。乗客の安全と貨物の無事を確認しているようだ。
アドは周りを見渡し、状況を確認する。
「どう思う?」
「魔力は感じない。本当に自然現象」
ウィンターもアドと同じ判断を下したようだ。
この地震は魔術によるものではない――
「アドくん、急いで。車輪が動いてます」
金属質な悲鳴をあげて、鉄の車輪が転がり始める。
まずいと思ったときには、アドは反射的に駆け出していた。
「そっちじゃない。こっちです、六号車!」
手近な車両に飛び乗って外枠に掴みかかろうとしたとき、一つ前の車両の連結部からリアラが顔を出し、アドを駆り立てるように大きく腕を振った。
アドは歯を食い縛り、列車と並走する。
「がんばれー、ころぶなー」
いつの間に乗り込んだのか、ウィンターが六号車から応援してくる。
「ハァ……!! ハァ……!!」
アドがやっとのことで追いつき、連結部の床にどさっと横たわる。
この体で全速力はきつい。
呼吸で肩が上下するたびに、臓腑が圧搾されるように痛んだ。
背中に鉄板の固い感触と、心地よい冷たさを感じる。列車はさらに速度を上げ、背中から伝わる振動が、より一層激しいものに変わった。
「……アンタ、地震を起こせるの?」
仰向けになったまま、リアラの顔を見上げた。
「なに馬鹿なこと言ってるんです。見張りが来るから、屋根に移動しますよ」
車両の連結部から身を乗り出すと、リアラは外装に足をかけ、ハシゴになっている部分を登っていく。ここでずっと休んでいるわけにはいかないので、アドも休憩はほどほどにし、リアラの動きを真似しながら屋根までついていく。
「案山子みたいに立たない。目立つから伏せますよ」
真似して、伏せた。
ばたばたと髪がはためく視界で、ジルの小ぶりな尻が揺れている。
「やけに慣れてるね。プロみたいだ」
率直な感想だった。
一介の小娘にしては、無駄がなさすぎる。
「あのですね、姫を奪還するのが冗談か何かだと思ってるんですか。本気ですよ、わたしは。姫を奪還するために、どれだけ修練を積み、どれだけ計画を練ったか。わたしたちは、出し抜かないといけないんですよ、影の魔王を」
リアラが諭すような目つきになった。
「いいですか、アドくん。反省してるのなら、今後、わたしの指示には従ってください。わたしの指示は絶対です。それが最も安全で、最も効率的です。わたしたちはもう、協力関係にあるんですから、無駄は省きましょう」
マイコニドの二の舞だけは勘弁です、と睨んでくる。
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