第48話 不死の死霊術師
突如、大気が震えた。
耳に届くのは、天を裂くほどの轟音。爆炎が空を舞い上がり、堅固な壁が瓦礫となって噴き上がる。おそらく、影の国が何者かに攻められている。
しかも同時多発的に。
街中には悲鳴と絶望の声が響き渡り、混沌とした光景が広がっていた。
「現在、欺瞞の国が影の国へ侵攻している」
「なるほど……そういうことか」
影の魔王がひとりごちた。
アドは欺瞞の魔王について記憶を引き出す。
影の国に到着したばかりのときだったか、リアラがこんなことを言っていたのを覚えている。欺瞞の魔王と影の魔王は国同士が隣接していて、敵対していると。そして影の国の勢力が優勢で、欺瞞の国は手出しができないと。
「すべては貴様の盤上の駒か、ジルコニア」
「吾輩が現在、最も父上に近い存在……!」
理性で興奮を抑えながらも、歓喜する様子が透けて見えた。
「父上は非力な吾輩に目をかけてくれた。吾輩の武器は聡明さだと信じてくれた。そして今日、それが実を結んだ。潰し合って、全員死んだのだ」
これがすべてジルの盤上だと言うのなら、実に鮮やかな手腕だ。
「一番厄介だったのは、お前だったよリアラ」
ジルがリアラに目を向けた。
リアラは目の色をくすませ、地面の上で痙攣している。
あの様子だと、もう息は長くない。
「吾輩が魔王と知れば、巻き戻られてしまうからな」
それから今度は、アドに目を向ける。
「魔女の術式を破壊し、眠りを妨げたのも吾輩だ」
魔の森で朽ち果てた魔女の杖。
あれを壊したのも、ジルの仕業か。
「300年ぶりであるな、アド」
ジルは鼻頭にしわを寄せて、憎悪の塊をぶつけてきた。
「右眼が疼いて仕方ないぞ……」
「右眼?」
――父上、なんでこいつばっかり褒めるのですか。
――精進しろ、九番。余はお前の知恵を買っている。
――たかが子供の死体のくせに!!
――それは悪手だ、九番。お前ではまだ勝てない。
――ああああ! 目があああ!
「お前、九番か。今まで、猫を被ってたんだな」
黒猫だったから気づかなかった。
「ああ……影の国の感情が吾輩に集まってくる」
エトエラの重圧で息ができず苦しむ人々、欺瞞の国の侵攻を受けて怯える人々、それらすべての感情が瘴気となってジルのもとに吸い込まれていく。
「で、何がしたいの九番。寝たいんだけど?」
アドは棺桶の縁に腕を乗せて聞いた。
「やり残したことがある。お前の死体の破壊だ」
猫の肉体が醜く隆起し、ジルが真の姿を現した。
側頭部から山羊の角が生え、額に五芒星の刻印を浮かばせる、知恵の悪魔。
この姿になると、さすがにアドにも見覚えがあった。
「300年も根に持ってたの?」
「影の魔王を起こしたのは、余計だったな小僧。いま手持ちにある魔晄結晶はそれだけか? そのわずかでさえ――」
アドの囚人服の中で、ぱりんと澄んだ音が鳴る。
「粉々に砕け散った。打つ手なしだ」
裾の隙間から、ぱらぱらと落ちる魔晄結晶の残骸。
「……何したの?」
どういうわけか、囚人服の中で勝手に結晶が割れた。
「すべては吾輩の描いた盤上――!」
ジルの姿が一瞬で掻き消えたかと思うと、悪魔の指が肉に食い込んで、アドの首が締め上げられた。そのまま力任せに持ち上げられ、アドの足が棺桶からぶらんと浮く。
「聡明さが売りなんだっけ。馬鹿だなぁ」
「何……?」
首を締めるジルの手に、莫大な力が込められた。
アドの首がへし折られ、骨の砕ける音が響き渡る。
「最初の出会いを思い出せよ」
痛くもないし、苦しくもないアドは、平然とジルに言った。
「ボクはネクロリッチに何を依頼した?」
――あのエンシェントウルフと四つの棺を……。
――承知シテオリマス。デハ、行ッテ参リマス。
「四つの、棺……?」
ジルもあのときのことを思い出したのか、アドの依頼内容を口に出した。
この世界が1000年後じゃないと知ったとき、アドが真っ先の用意しなければならないのは、魔晄結晶でもウィンターでもない。
アドの保管する四つの棺だ。
「で、ここにネクロリッチがいるってことは?」
「ハイ。モチロン、用意シテアリマス」
「つまりね、そういうことだ」
ジルの伸びた両腕を、アドが軋むほどの力で掴む。
「お前、ジル……」
濁り腐った瞳で、ジルを見下ろした。
「誰にケンカ売ってんの?」
ジルがとっさにアドを突き飛ばして距離を取る。
「今一瞬……吾輩が死んだ……」
ジルが息を荒くする。
生存本能が、自分の死を見せでもしたか。
「アド坊、確認してきた。壁の外に配置されてあるぜ。馬鹿デケェ魔法陣、それも四つだ!!」
「助かるよ、ダグラスさん」
「カカカカ、祭りだアド坊。どでかいのお見舞いしてやれ」
「――覚醒めろ」
アドの声が凛と通り抜けたとき、埋め尽くすほどの落雷が世界を震撼させた。
「なんだ……! この禍々しくも、懐かしい空気……」
ファームの周囲で黒い魔力が積乱雲のようにわだかまる。魔力の塊は荒々しくとぐろを巻き、雲間に赤い稲妻を暴れさせ、絶え間なく雷鳴を轟かせる。
まるで、大地を揺るがす黒い嵐。
吹き荒ぶ暴風が爪となり、荒野に長い傷痕を走らせた。
黒い積乱雲の数は四つ。
暴力的な魔力が東西南北で捻じり巻かれ、周囲に竜のような紅電を泳がせながら、渦巻きの中央から隕石ほどの魔法陣を出現させる。
煌々と輝く赤黒い光。
膨大な魔力を有する魔法陣から、厩舎塔よりも大きな棺が姿を現した。息の詰まる重圧とともに棺の蓋が横ずれし、そこから出現した巨大な足が、魔力の蒸気を噴き上げて大地を踏みしめた。
激しく大地が軋み、赤熱した足跡を刻む。
それは、人とも悪魔とも違う異形の生物。
そこに胴体と思われる部位は存在せず、岩山のような巨大な顔面に、腕と脚が直接生えている。顔面にはつぶらな瞳が一対、愛くるしくも見えるし、グロテスクにも見える。
300年前、世界を震撼させた厄災――
「〝赤の巨人〟……!! それは父上の……!!」
ジルが厄災の巨人を見上げ、喉の筋肉を引きつらせる。
「エトエラはこいつらで、人と魔の国を滅ぼしまくった」
ジルが無意識に後退した。
「逃げるなよ、九番。一緒に見ようよ、〝赤の巨人〟」
東西南北の四方角から、〝赤の巨人〟が四体、この街を囲んでいる。
「あんな魔力……! 勝てるわけが……!」
ジルの焦りが高まっていくのがありありとわかる。
「吾輩の国を滅ぼすのか……?」
「んー?」
唇を横に引いて、アドがとぼけた。
「ならば、ここでお前の死体を破壊するまで……!」
ジルの手がアドの顔面を鷲づかみにし、力づくで後頭部を地面に叩きつけた。
「残念。アンデッドは何度でも蘇る」
亀裂の入った地面の上で、アドが詰まらなさそうにつぶやく。
「言っとくけど、あの巨人、ただの貯蔵庫だから」
「貯蔵庫……?」
顔面をつかむジルの手がぴくりと揺れた。
「そう、魔力の貯蔵庫」
〝赤の巨人〟の前方に、幾重もの巨大魔法陣が連なる。
四つの方角から直線状に伸びる魔法陣が、ファームの上空中央で交差し、巨大な魔力回路となって一つの魔法陣に連結される。
――アドの頭上の魔法陣に。
「それを全部、ボクが受け取る」
〝赤の巨人〟が可視化できるほどの魔力を噴出し、
ついに――
何重にも展開された魔法陣の軌道を、魔力の光条が一気に駆け抜けた。
四つの方角から放たれた魔力が、中央に浮かぶ魔法陣の一点で収束し、その魔法陣を介在してアドのもとへ激突する。
「な……!」
まさに神の裁きのような光の柱だった。
「ひさびさだな、この感覚。体に魔力がある」
魔の浮力で、アドの髪が舞うように踊る。
周囲に漂うのは、抑えきれず湧き出る魔力の粒子だ。
数多くの燐光の玉が浮き上がり、次第に天高くまで昇華していく。
「これが本来のボク……」
臓器が死んでいたから忘れていたが、これが本来の身体感覚だ。
「四体分の魔力を受けて、なぜ平然としていられる……!」
「アンタのお父上が一番愛してたのは、どう贔屓目に見てもボクだったよね」
神聖魔術〈
致死量の魔力で、己自身に聖なる力を付与する。
「その答えが、これだよ」
「なっ……消え――」
「魔力に関しては、すでに越えてるんだ、エトエラを」
振り抜いた足の甲が、ジルの脇腹に減り込んだ。
八キロメートル先にあるファームの壁にジルの体が激突し、壁の構造体が崩壊寸前までひび割れを起こす。ジルの弾け飛んだ軌道上にある建物は、何百棟と穴を穿ち、粉塵の塊をもうもうと立ち昇らせた。
「起きろよ、ジル。久しぶりに会ったんだ。積もる話もあるだろう?」
「……!!」
一瞬で、端の壁まで到達するアド。
ジルの目には、突然アドが現れたように見えただろう。
体感する速度の次元が違う。
「どうしてだ……!! どうして父上が……!!」
壁に減り込むジルが、天を見上げ、わなわなと震えた。
「こんなにも喜んでいる……!!」
世界中の空気という空気が震えた。
天上では禍々しいオーラが踊り狂い、世界を重々しい圧力で押さえつける。
「父上は……まだ勝てないと言ったのだ。まだということは、いつかは勝てるということだ……。そのいつかは……いつなのだ……いつなのだよ父上……」
ジルが天を仰ぐ。
「こんなの、策を弄したところで!! 一生勝てないだろうがぁぁ!!」
「だから言ったんだ。お前、誰にケンカ売ってんの?」
アドの拳が、ジルの腹に突き刺さった。
ファームを囲う巨大な壁が、塵ひとつ残さず消滅した。
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