第19話 影の狩人
「これは……ひどいですね」
どす黒く変色したアドの腕を見て、アルティアはひどく顔を歪めた。
「もうじきボクは死ぬ。だから、頼む。そのためなら何だってする」
「残念ですが……」
アルティアが申し訳なさそうに顔を伏せた。
「わたくしはそのような魔術を習得していません」
「大丈夫。ここに時の魔術書がある」
「……!」
鍵のかかった古い書物を、背かけ袋から取り出すアド。
「300年前のクロノスが記したものだ。時を止める術式が書かれているはずだ。もしものときは、これを子孫に見せればわかるはずだと言っていた」
「本物ですか、それ!」
リアラが食い入るように魔術書を眺める。
「もちろん。手渡しでもらったからね」
あのとき受け取った本の重みは今でも忘れない。
「急で申し訳ないけど、王都に着くまでに、術式を読み解いてほしい」
黙々と読み込むアルティアの横から、リアラも紙面をひょこりと覗き込んだ。
「これが、時の魔術……! 難しいです……!」
それはそうだ。初学者にわかるようには書かれていない。
アドも魔術書の理論を読み解いたが、これなら確かに時間操作の現象を起こせる可能性があった。
しかし、適性があるのはクロノスだけだ。
描かれた魔法陣には複数の鍵穴が存在していて、クロノスの因子という鍵を差し込むことで、それぞれの魔術回路に魔力が流通するようになっていた。
「代わりに、アンタの望みを叶える」
アドは感情のこもってない目で、囚われの姫君を見下ろした。
「アルティア、アンタはどうしたい?」
「そんなの決まってます。アルティア様、一緒に逃げましょう」
アルティアが何かを答える前に、リアラが真剣な眼差しで見つめる。
「……そうね」
アルティアは視線を魔術書からリアラに、そしてリアラからアドに移していった。
「アドさん、リアラをお願いします」
静かな声だったが、はっきりと耳に届いた。
「この子にわたくしを、諦めさせてください」
「アルティア様……?」
何を言っているのかわからない、というように、リアラの瞳が大きく揺らいだ。
「ファームが潰れるならなおさらです。あなたは生きて、リアラ」
わがままな子供を教え諭すような柔らかい言い方だった。
「アルティア様、そんなの嫌です。せっかく会えたのに」
「それがアンタの望みか?」
騒ぎ立てるリアラの声を遮って、アドは最後のつもりで確認を取る。
「――はい」
その瞳を見て、アルティアはもう――ぶれないだろうな、とアドは思った。
「アド……何か来てる。気づかれたかも」
「フフフフ」
警戒の色を滲ませるウィンターの言う通り、どこからともなく不快な笑い声が響いた。
「これはこれは、お客さんですかい、アルティア嬢」
「いけませんなぁ……!」
突然、車内の片隅から影が生えた。
まるで地獄から湧き出るように、黒い霧が不気味に広がっていく。
「二体……!?」
リアラの体が硬直するのがここからでもわかった。
マイコニドに寄生された影とはまた違う、別のお面を被ったシャドウハンターだった。二体とも天井に頭がつきそうなほど縦に長く、お面は喜怒哀楽を表しているのか、それぞれ違った表情が描かれていた。
「リアラ、アドさん、抵抗はやめてください」
アルティアがその場に立ち上がる。
「わたくしが魔王様と交渉します。あなた方の命を救っていただけるように」
見当違いも甚だしい。
「立場がわかってないな、姫様。命を乞うのは影のほうだ」
そう言ってアドは、流し目で合図を送る。
「ウィンター」
「暴れる?」
ウィンターが抑揚なく尋ねてくる。
「抵抗は、おやめください!」
車両の壁に出っ張る赤いボタンを、アルティアが叩きつけるように押した。
途端にけたたましい警報音が鳴り響き、リアラが思わず目を閉じ耳を塞いだ。
「もう情報は伝わってるはずです。これ以上、罪を重ねないでください」
「アルティア様、なんてことを!」
赤いランプが車内を強烈に照らすなか、リアラが目を剥き出して声を荒げる。
「魔族に抗うことのほうが間違っています。人間の生きる道は、従属しかないのです」
「ケケケケ、侵入者、侵入者」
二桁の影目玉が、二号車の宙で、小刻みに揺れた。
「見られた……!」
リアラの顔から、血の気が引いた。
「これは面白いですなぁ」
悲しみのお面を被るシャドウハンターの手には、「プギィ! プギィ!」と身をくねるキノコの姿があった。シャドウハンターの靄がかった黒い指が、キノコの体躯にめりめりと食い込んでいく。
「マイコニドちゃん!」
「プギ……プギギ……」
リアラが叫び、キノコが呻くと同時。
マイコニドはみちみちと圧搾され、
パン、と。
破裂した。
天井、座席、車窓に、ネバネバした緑の液体が飛び散り、キノコ特有のにおいを充満させる。
「汚い花火ですなぁ」
「よもや魔王様に盾突く者がいようとは……」
「なっ……! 数が……!!」
次々と床から生える影の群れ。
「アドくん、挟まれました」
漆黒が座席や通路を埋め尽くし、もうどこにも逃げ場がなかった。
「ウィンター、いいよ。もうこの列車壊そう」
もう、面倒臭くなった。
見つかったのなら、強引に連れ去ろう。
「おやめください!」
アルティアが拳を握り、前のめりになる。
「これ以上、不利な証拠を作るべきではありません。ここで抵抗せず、大人しく捕まれば、あとはわたくしが何とかしますから。命だけは見逃していただけるようにしますから!」
「アンタの考えも理解できるが、それは悪手だよアルティア」
アドは濁り腐った眼を向けた。
「アンタが余計なことをしなければ、ウィンターがこの場を制圧してた。魔族としての格が違うんだ、ウィンターは。――対して、この魔族は何? 影? 知らないな」
こんな格下の魔族、アドの眼中になかった。
「この人間、我々を鼻で嗤ったか?」
「フフフフ。死だけでは済まされ――」
お面ごと、影の頭部が消し飛んだ。
ウィンターの蹴りだった。
しかし、霞を帯びた頭部が瞬く間に再生する。
「アド、攻撃が効かない」
「フフフフ。当たり前だ。我々は実体を持たな――」
「やっぱり効かない」
二発目の蹴りを入れて確かめるが、やはりすぐ再生してしまう。
「…………」
復活した影が無言で見下ろしてくる。
「何か言った? ごめん、どうぞ」
バカ。煽るな、ウィンター。
「お前たちは許さない。この場で殺す……!」
「やれやれ……」
激高してウィンターに襲いかかる影の背に、いつの間にかアドが手が触れていた。
次の瞬間、跡形もなく影が霧散した。
「…………!」
シャドウハンターが一斉に後ずさる。
「この人間、何をした」
「見たらわかるだろ。破壊したんだよ、影を」
実体はなくとも、影は存在はしている。つまり魔素を有しているということだ。であれば、その魔素に干渉すればいい。体組成の組み換えは得意分野だ。
特に魔族に関しては。
「アド、無理しないで。病が進行してる」
「わかってる」
二体目のシャドウハンターを手で触れるだけで破壊。
「馬鹿な……! この人間、何者だ……!」
アドの首筋まで、病が広がっている。
「あのさ、だからお前ら何なの? 魔王に顎で使われてる奴の死体なんか、ボク要らないから。魔王にタメ口聞けるようになってから来てくれる?」
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