第3話 ネクロマンス
「ハァハァ……! まったく猫使いの荒い小僧だ……!」
ヴォルヴル大森林のあちこちに火の手が上がる。
ジルにお願いして、キノコの胞子を全面的に燃やしてもらった。
とりあえずこれで、マイコニドの胞子は大丈夫なはずだ。
「ハァハァ……! ホットミルクを所望するぞ……!」
これで、〝森の病〟は解決したのだろうか?
『……ありがとう』
『……森の病』
『……なくなった』
解決したにしても、友達を失うのは、妖精たちにとって後味の悪いことだろう。この意気消沈した妖精の声が、それを痛いくらい表している。
しかし、アドは死霊術師だ。
世界に嫌われるネクロマンサーにだって、できることくらいはある。
「アドくん、何してるんです?」
すっかり催淫作用から覚めたリアラが、背後からひょこっと覗き込んでくる。
「骨の数を数えてるんだ。体の構造を調べてる」
アドはエンシェントウルフの死体の上にしゃがみ込んで、人の胴体ほどの太さがある肋骨を手でさすっている。堅牢なよい骨だ。装飾品を製作する職人からすれば、喉から手が出るほど希少な獣骨だろう。
「まさか死霊術で、森の主を?」
「死にたてほやほやの新鮮な死体は貴重だよ。遺骨に霊魂を宛てがうとき、血肉の再現がすこぶるいいんだ」
「どういう術式を組むんです?」
「え?」
思わずアドは振り返った。整った顔が見つめ返してくる。
「死霊術に興味を持つなんて、人として終わってるね」
「それもそうですね。聞かなかったことにしてください」
リアラがばつが悪そうに俯いた。
死霊術は禁忌の術式だ。
教会からは「神への冒涜」と弾圧され、思想家からは「輪廻を断ち切る不義の行い」と批判された。大衆からは「死者の尊厳を弄んでいる」と拒絶されたし、魔術師界隈からは「臭い」と嫌悪された。
現に魔術師ギルドは、死霊術を禁忌魔術に認定し、弾劾声明を発表している。魔術ギルドの名声を損なうとし、死霊術師は問答無用で殺害された。
死霊術の祖とされるフルカネリは、大衆の面前で磔にされ、三日三晩火に炙られて死んだという。
フルカネリの構築した理論は九割が闇に葬り去られたが、残り滓の理論が狂者から狂者へと伝えられ、細い糸を辿ってアドのもとまで生き永らえている。
アドは彼の理論に触れるたび、その美しさに感動し、その狂気に怖くなり、その愛情に満たされた。フルカネリはただ、愛する人ともう一度会いたかっただけなのだ。その想いが、死霊術の発端だった。そして、秩序を乱した。
「あちらの女性も……死体なんですか?」
リアラの視線につられて、アドもちらりと横を見た。
苔むした大樹のそばで、豪奢な棺桶に腰をかけた女が、足を組んで頬杖をついている。ぽわぽわと宙を漂う緑の妖精を、暇そうにじっと眺めていた。
「ウィンターのこと? もちろん、死体だよ」
「……人では、ないですよね」
「うん。彼女はヴァンパイア。近づいちゃダメだよ。アンタくらいの女の血をよく好む」
金髪・金眼の吸血鬼。
アドの手持ちの死体で、最も戦闘に特化した存在だ。
なかなか笑顔を見せないクールな女だが、ニッと口を横に引けば、長い牙が姿を見せることだろう。絶対に口をニッとすることはないだろうが。
「近づこうにも、近づきがたいほど、お綺麗です」
体の線はいやに細く、肌は雪のように白い。
襟足で揃った金髪は、毛先のほうが重たく、内巻きに膨らんでいる。
可憐さと美麗さを兼ね備えており、どことなく人を寄せつけなかった。
「それに、エンシェントウルフを片手で倒すなんて」
「あ、そうだ」
アドは注意事項を思い出す。
「においを気にしてるから、触れないであげて。不機嫌になると面倒臭いんだ」
彼女は死臭をえらく気にしているようだ。
人間の鼻にはほとんど感じられない微細なものだが、それでも気になるものは気になるらしく、人陰に隠れてはこっそりと脇のにおいを嗅いでたりする。
「よし、と。術式が完了した。醒こすよ」
エンシェントウルフの体躯に呪詛のような術式を施したアドが、白銀の毛並みをするすると滑って地面に降り立った。この魔物の骨格構造はすでに把握している。待ってください、とリアラもするする降りてくる。意外に器用な子だ。
「すごいです。初めて見る術式です」
「あまり直視しないほうがいい。死霊術はグロテスクだから」
「え……もう腐りかけてます」
ようやく気づいたのか、リアラが鼻を押さえる。
「死霊術は呪いが強くて、肉がすぐに腐り落ちる。急がないと」
アドは振り返って、遠くに向かって声をかけた。
「いい物を見つけたね。ありがとう」
アドがお礼を言ったのは、五体のスケルトンに対してだ。
新しく呼び起こした彼らに、上質な魔晄結晶を集めるように依頼しておいた。
カカカカと笑う彼らの頭上には、薄紫の魔晄結晶が掲げられてある。合計で五つもあるが、使用するのは三つだけだ。三つもあれば、十分、森の主を呼び醒こすことができる。それほどまでにこの森の魔晄結晶は質がいい。
「さて、覚醒めの時間だ」
魔晄結晶を受け取ったアドは、紡ぎ上げた魔法陣に魔力を注ぎ込む。瞬く間に魔晄結晶が蒸発して光の粒子となり、森の主に描かれた術式が黒く輝いた。
「ボクの呼びかけに応えろ」
ずるり、ずるり、と不快な音を立てながら、まるで蛹から蝶が羽化するように、狼の毛皮から狼の骨格が立ち上がった。骨に纏わりついていた筋肉や表皮は、見る見るうちに腐り落ち、蒸気を上げながら腐葉土の一部と化す。
死霊術式で最も重要視されるのは、血肉ではなく骨だ。
「エンシェントウルフ、友達を悲しませるのは嫌だろう」
わだかまる腐臭の中心で、狼の骨格が立ち止まり、アドをじっと見つめる。
頭部には、立派な二本の角が生えていた。
物を言わずとも、目の前の骨が何を伝えたいか、アドにはよくわかった。
「そうだよね。契約完了だ。今日から君は、ボクとも友達だ」
『ウォォォォン――!』
骨が吠える。
アドが大きく腕を振るうと、狼の骨格の前に、巨大な魔法陣が出現した。狼の骨格がひたひたと歩き始め、魔法陣を通り抜けると同時に、肉と毛を有した狼の魔物が姿を現した。
その眼は白濁しておらず、背にはキノコが生えていない。
これが本来の姿なのだろう。
――美しい。
仮初の肉体なので、体温はないし、痛みも感じない。疲れもしない。眠りもしない。
シンプルに化物だ。
魔術ギルドが死霊術を禁忌にしたのは、実のところ、この不死の軍団を恐れているからだろう。そして、死霊術に適正のある者は、例外なく気狂いだ。
自分を含めて。
気狂いに力を持たせたら誰だって怖い。
『お友だち?』
『どうして生き返った?』
緑の妖精が戸惑ったように宙を揺れる。
「残念だけど、死んでるよ」
でも――とアドは続ける。
「この森は魔素が豊富だから、ボクが離れても術式は解けない。それはたぶんきっと、生きてることと同じだ。飢えが満たされることはないけどね」
『ほんと!?』
『お友だちと、また遊べる!?』
「遊べるよ。これからもずっと」
アドがそう答えると、妖精たちはあからさまに喜び回った。
『ほんと!?』
『わーい! わーい!』
『お友だちだー!』
『ありがとう、人間!』
そして不意に、アドの全身が緑色の光で包まれる。
温泉に浸かっているかのように、ぽかぽかと温かい。
「なにこれ?」
『お礼! お礼!』
『ありがとー!』
途端にアドを苛む体中の苦痛が和らいでいった。
「痛みが減ってる……」
関節の節々の痛みも、骨を刺すような悪寒も、内臓の捻り上がる不快感も、くらべものにならないほど楽になった。
『
『抑えるしかできないけど!』
「……すごく、楽だよ。ありがとう」
体がこんなに楽なのは、一体いつぶりだろうか。
死んだほうが楽だと思ったことは何度もあった。けれど今は、生きる希望が少しずつ湧き上がってきた。病気と闘う意思を、分けてもらった気がした。
「ボクの病のこと、何か知ってる?」
アドが尋ねると『知らなーい! 知らなーい!』と返ってきた。
それを少しばかり残念に思うが、そんなに早く解決策が見つかるとも思ってもいなかった。でもきっと見つかる。そのために1000年の時を越えてきたのだから。
「森の主、頼みがある。君の眼と鼻で、魔晄結晶を集めてほしい」
アドは手に取った綺麗な結晶を、森の主の鼻先に掲げて見せる。
鼻の穴がひくひくと動いた。
「これがないと、ボクは何もできないんだ。魔術師なのに、魔力の作れない体でね。幸いにもこの森は、魔晄結晶が豊富だ。君ならできるよね?」
こくんと森の主はうなずき、森の奥へ歩いていく。
「ネクロリッチ」
ぼうっと浮かび上がった魔法陣から、黒い法衣を纏った骸骨が姿を現した。
禍々しい空気が、森を侵食していく。
ドングリを抱えたシマリスが、骸骨の瘴気に触れた瞬間、ドングリを捨てて逃げ出した。
「ゴ機嫌麗シュウ、主様」
骸骨が優雅に腕を振るい、頭を垂れた。
法衣の襟には宝珠が散りばめられてあり、甚大な魔力を感じ取ることができる。
「寝起きで悪いんだけど、頼みたいことがある。いい?」
「主様ノオ役ニ立テル機会ヲ与エテイタダキ、光栄デス」
「あのエンシェントウルフと四つの棺を――」
「承知シテオリマス。デハ、行ッテ参リマス」
言うが早いか、すでにネクロリッチが、森の主の横を歩いている。
「まだ何も言ってないんだけど……まあいっか」
アドは小さくなっていく狼と骸骨の背を見送った。
「さて、と」
アドは衣服の泥をはたく。
横目に視線を送ると、ウィンターが棺桶から立ち上がった。
「ボクらはもう行くよ。助けてくれてありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました」
リアラは相変わらず眠たそうな目で見つめてくる。
「ところで、今日の日付を教えてもらっていい?」
ヴォルヴル大森林を発つ前に、それだけは聞いておきたかった。
「兎の月の8日ですけど」
怪訝な顔で、リアラが答える。
「冥暦何年の?」
「冥暦523年です。記憶がないんですか?」
「523年?」
心臓が、止まった。
呼吸が乱れる。
さっと血の気が引いて、視界が暗く湾曲した。
「ちょっと、どうしちゃったんです?」
焦る。焦る焦る焦る。
523年。
「妖精、杖はどこだ!」
アドが言い放つ。
『つえー?』
「魔女の杖だ!」
『あれかな、あれかな?』
『〝石の家〟の下かな?』
アドは焦燥感に駆られるように、始まりの大樹まで駆け戻った。
青く禍々しい花弁の植物を、力いっぱい掴みかかって引きちぎる。
刃のような棘が突き刺さるが、構っている暇なんかなかった。
「何してるんですか! 血が……!」
「リアラ、どうする。吾輩なら止められるが」
「止めるなッ」
引きちぎりながらアドが叫んだ。
焦燥感が脊髄を競り上がり、居ても立ってもいられなくなくなる。
アドが腕を振るうたび、鋭利な棘に裂かれ、服の袖が破れていく。
「術式が……壊れてる……」
アドは愕然とし、膝から崩れ落ちた。
植物の茂みの奥に、古びたアーティファクトが転がっていた。
宝珠の嵌まった魔女の杖だ。
宝珠の表面には大きな亀裂が入っており、そこから魔力が抜け出てしまったのか、アーティファクトの効力はすでに消えていた。
「…………」
523年。
「ここは、1000年後の世界じゃない」
消え入りそうな声でつぶやく。
「……300年後の世界だ」
予定より、700年も早い目覚めだった。
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