第7話 人間牧場
舌で歯茎をなぞる。
歯は折れてないようだが、内頬が切れているようだ。
鋭い痛みが走って、舌の動きを邪魔してくる。
「人間牧場って言うから、もっと悲惨かと思った。普通の街だね」
アドは、広大な第一ファームを見渡した。
石畳の通りを人や馬車が行き交い、活気がある。
「あなたにはそう見えるんですね」
「みんな助け合ってて、美しい街に見えるよ」
この街の人はみんな、気持ちがよいほど親切だった。
「ほら、お婆ちゃん。荷物持ってあげるよ」
「どうも、ありがとね」
『ケケケケ、ポイントアップ』
「見て! ポイントが上がったよ!」
「すみません。財布落としましたよ?」
「これは失敬。助かったよ嬢ちゃん」
『ケケケケ、ポイントアップ』
「うわあ! ポイントが上がったわ!」
街の中を数分歩いただけでも、こんな感じの光景によく出会った。
誰かが誰かに善い行ないをすると、どこからともなく『ケケケケ、ポイントアップ』と音声が流れて、左手のゴツい腕輪が淡く輝き出す。
「あの腕輪は何?」
「家畜の証明です」
よく確認してみると、男性も女性も、老人も子供も、みんな白くて分厚い腕輪を嵌めていた。もちろんアドもリアラも、そんな腕輪はつけていない。変に思われないように、アドはローブの裾を引っ張り手首を隠した。
「あの腕輪に数字が書かれているのがわかりますか?」
「うん。見える」
腕輪には画面がついていて、『4024』『1132』といった数字が表示されていた。一人一人、その数字が違うようだ。
「あの数字は〝希望ポイント〟と呼ばれるものです。善い行いをすればポイントが増え、悪い行いをすればポイントが減る。その数値が家畜の価値です」
「それで親切をしてるのか」
思いやりの気持ちから親切な行いをしているのか、ポイントがほしくて親切な行いをしているのか、真実はアドにはわからない。しかし結果的に街の人はみんな親切になっている。社会実験としては面白いとアドは思った。
「あ、ジル。やっと見つけた。そしていなくなった」
ウィンターが一瞬喜び、そして悲しそうにつぶやく。
彼女の視線の先では、やんちゃ坊主たちに追いかけ回され、必死に逃げるジルの姿があった。「あの猫を捕まえろー!」とはしゃぐ声が聞こえる。ジルは石畳の馬車を横切り、そのまま裏道に入って姿を暗ました。
……何してるんだ、ジル。遊んでる場合じゃないぞ。
「しょせん家畜は家畜です。はむっ」
そう言ってリアラは、熱々の串焼きにかぶりついた。
「どういう意味?」
カビが生えていそうな陰気な裏通りから、人の形をした黒い影が、「アっ……アっ……」と無数に現れる。道行く人は、そんな黒い影を無視して歩く。
「魔族の裁量で、生かされもするし、殺されもするってことです。人間は生きているのではなく、ただ生かされているだけなんです。はむっ」
「じゃあこれまでに、殺されたことがあるの?」
「人間が殺されるのは、日常茶飯事です。魔族の機嫌を損なえば、人間はゴミ同然に扱われます。殺すために人間を育てているんです。はむっ」
意味がわからなかった。
手塩にかけて育てた家畜を一時の感情で殺す意味がわからない。
それでは何のために人間を育てているのか。
魔族が人間を飼育するメリットがまるでないではないか。
「もっと大変なのは、五日後です。どういう理由かは知りませんが、今から五日後、ファームの人間は皆殺しにされます。魔王の手によって」
「は?」
「確かな情報です。その前に、姫様を救出するんです。はむっ」
なんでそんなこと知っている?
アドの頬に乾いた風が通り過ぎる。
自分だけが世界から取り残されたような感覚になる。
異常なのは、自分のほうなのか。
どうして敵地に潜入してこれほど落ち着いていられるんだ。どうして串焼きなんか呑気に食っていられるんだ。姿形は普通の女の子であるのに、身体能力も優れているわけではないのに、これほど冷静でいられる理由がわからない。
ここは敵地だ。アンタは普通の人間だ。簡単に死ぬぞ。
なのにどうして、警戒心を解いている。
どうして――
「……アドくん、ごめんなさい」
リアラは失敗したかのような顔つきになった。
明らかにコイツはおかしい。変だ。行動を共にしていいのか判断に迷う。
「わたしのこと、不審に思ってますよね。実際に見たほうが早いと思うので、説明はあとで。とにかく今は、ついてきてください」
リアラの歩く速度が増していく。
「影の情報は、漏れなくお伝えします。影の魔王にも会わせます。そこまではちゃんとやりますから、わたしの指示に従ってください。どうか、信じて」
「アンタが何を考えてるか、まるでわからない」
「必死なんですよ。ほんとに、必死なんです」
リアラの発言には違和感しかなかった。
「とりあえず、アンタには従うさ」
今のアドにはそれしかできない。この世界の情報がまだまだ少なすぎる。
「だけど、ボクを飼い慣らせると思うなよ」
リアラの背中に投げかける。
「今すぐにでも、スケルトンたちを呼び醒まして、影の魔王を殺しに行ってもいいんだ。こっちはアンタと違って、命に時間がない」
今だって、影の病が侵食しているのがわかる。
じわじわと、命を蝕んでくる。
リアラが立ち止まり、こちらへ振り返った。
「焦ってるのは、わかってます。でも、早まらないでください。影の魔王は、他の魔王を三人も殺害した最大勢力です。焦りは絶対に禁物なんです」
リアラから緊張感のようなものが迸った。
「影の国は魔王国の中で最も領土が広く、最も兵士が多いと言われています。敵国である〝欺瞞の魔王〟も、手が出せないほどです」
欺瞞の魔王。
そいつも、エトエラの子供か。
一体何人、魔王がいるのやら。
「影の魔王を倒すには、必ず策が必要になります。真っ向勝負では、勝ち目がない。そのためにも、情報が必要なんです。情報がないと、弄する策も思いつかない。いま早計な行動に出れば、確実に失敗します」
「この世に確実なものなんてない」
「いいえ。確実に失敗します」
リアラははっきりと断言した。
「試してみる?」
「……何をです」
「そこで指を咥えて見てろよ。ボクが今から、この国を壊してくるから」
アドがローブから固い物を取り出す。
掴んでいるのは、魔の森で集めた魔晄結晶だ。
「アドくん!」
舗装された道に黒い魔法陣が浮かび上がる。
「出てこい、骸骨ども」
闇の光が満たされ、魔力の渦が吹き荒れる。
「アドくん、早まっちゃダメです!」
四つん這いになったリアラが、紡がれた魔法陣を必死に掻き消そうとする。
「もう面倒になった。アンタを疑うのも、コソコソするのも」
「アドくん、ダメです! やめて、お願い!」
腕で擦っても消えるはずがないのに、リアラは動かすのをやめなかった。
「お願いやめて!!」
「ぷっ」
アドの口から息が漏れると同時に、魔法陣から闇の光が消滅した。
「……?」
目を丸くして、リアラが見上げてくる。
「くははっ」
たまらずアドは、腹を押さえて笑った。
「アドくん?」
未だにリアラはきょとんとしたままだ。
「その魔王、そんなにヤバいんだ。欲しくなっちゃうなぁ、死体」
「わたしを試したんですか」
リアラの眉間にしわが寄る。
「アド、いじわる」
ウィンターがリアラの頭を優しくなでるが、リアラの眉間は険しくなるばかりだ。
「アンタが信用ならないのは変わらないけど、必死なのは伝わった」
アドが地面のリアラに手を差し伸べる。
「本気なのもわかった」
引っ張り上げる。
「その点に関してだけは、信用に値する」
彼女の反応から、影の魔王が敵であることは事実のようだった。
その情報が引き出せただけでも、リアラを試したかいがあった。
「ケケケケ。魔力反応、魔力反応」
「……!!」
不意に聞こえた不気味な声に、アドはさっと血の気が引いた。
振り返る。
さきほど魔法陣を描いたあたりに、黒い球体がぷかぷか浮かんでいた。靄がかった黒い球体の中央には、人間と同じ眼球が嵌まっており、ぱちりと瞬きをしてアドと目が合った。目が、合ってしまった。
「ケケケケ。有害家畜、有害家畜」
黒い眼球は小刻みに揺れながら、空の彼方へ飛び去っていく。
十秒はかかっているはずなのに、アドには一瞬の出来事のように感じた。
「ま、まずいことになりましたよ!」
我に返ったリアラが、乱暴に肩を揺すってくる。
「どうしてくれるんですか!」
「今の目玉は何?」
ばっちり目が合ったんだけど?
「影目玉ですよ!!」
「何それ?」
「家畜を監視してる目玉!!」
「え!? 監視されてんの!?」
「魔族に管理されてるってあれほど言ったのに!!」
「あの目玉ボクたちのこと報告しにいったよね!? どう思う!?」
「わたしもそう思います!! 逃げますよ!!」
リアラに手を引っ張られて、薄暗い路地へ駆け込んでいく。
裏路地は建物と建物に押し潰されそうな圧迫感があった。そのうえ人型の影が壁に沿って大量に座り込んでいて、間違えて踏んづけてしまいそうで非常に走りにくかった。
なんだこの影、死ぬほど邪魔だ。
「あーもう! 計画がめちゃくちゃです!」
「どうもすみませんでした!」
アドが大げさに頭を下げる。
「この国で魔術はご法度ですよ。わたし言いましたよね、わたしの指示は絶対だって。勝手なことばかりしないでくださいよ」
「でも発動はしてないよ?」
「魔力の痕跡だけでアウトなんてわたしも知らなかったですよ!」
リアラが走りながら頭を抱えている。
アドは細い路地の壁に肩を掠めながら、「アっ……アっ……」と手招きする人型の影を抜き去っていった。後方から「アっアっ、アっアっ」と恨めしい声。そして前方からも新たに「アっアっ、アっアっ」と聞こえてくる。
どうしよう、情報量が多すぎる。
どこから突っ込めばいいのかわからない。
とりあえずこの人型の影は、何?
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