第12話 落ち葉のうたげ
「ハァ……! ハァ……!」
腕輪のない死人に混じって、アドたちが街の中を駆け回る。
「影目玉が言ってたシャドウ何とかって、何?」
「魔王直属の部隊です。わたしたち、指名手配されてますよ」
「アンタはされてないでしょ。ボクとウィンターだけだ」
世界から疎まれる死霊術師は、魔術師ギルドから命を狙われる身だ。
今さら指名手配されたところでやることは特に変わらない。
逃げて、逃げて、逃げ延びる。ただそれだけ。
「やっぱりここは監視が多いですね」
東区の墓地とは違って、中央区に近づくにつれて影の兵や影目玉の数が増えていった。その数は尋常ではなく、この街にいる限り逃げ場はなさそうだ。
魔晄結晶は残り四つ。
このままでは、地下水路へ辿り着く前に消費しかねない。
「兄ちゃん、こっち!」
路地裏の陰から、大手を振る少年の姿があった。
「キミは……」
たしか悪魔に歯向かった、エミールという名の少年だ。
後ろを振り返ると、宙に点在する影目玉が見えた。
影の兵も腕輪のない死人たちを取り押さえている。
ここは危険すぎる。
少年の手招きに吸い込まれるようにして、アドは細い路地のほうへ入り込んでいった。
勢いよく建物の中に突入すると、エミールがばたんと扉を閉じて鍵をした。
「ここはオレと母ちゃんの店。着替えて」
おそらく裏口から入ってきたのだろう。
コンテナの中には空になった酒瓶、バケツの中には床掃除用のブラシがあった。積まれた木箱の上部から顔を覗かせているのは、瑞々しい長ネギの束だ。
お店はお店でも、料理を提供する酒場だった。
「ローブだと目立つでしょ、兄ちゃん」
一枚板の長机の上に、街の人が着るような何の変哲もない服が置かれた。
「いいの? 反逆者を匿って」
アドはじっとエミールを見つめる。
この子のことが心配になってくる。
また命を危険に晒す可能性があるのに、同じ過ちを繰り返そうとしている。
「オレを助けてくれたお礼」
あまりにも危険だ。
アドがエミールの好意を受け取るべきかどうか逡巡していると、店の奥から恰幅のいい母親がやってきた。その手にはキャスケット帽子があった。
「受け取ってちょうだいな」
そう言って母親は、帽子を差し出してくる。
「……ボクに手を貸したらアンタたちが危ない」
「お兄さん、バカだねぇ。十歳の子供の好意は嘘でも受け取るもんだよ」
アドは腕を引っ張られ、無理やり帽子を置かれた。
「どっちみちあたしらは、あのとき死んでたさ。拾った命、恩人の手助けに使って何が悪い?」
母親は強い。そう言われたら甘えるしかなかった。
「金髪の姉ちゃんはダメだね。すごく綺麗だから、着替えても目立っちゃう。ほとぼりが冷めるまで、店に隠れてて。今日はもう客は来ないだろうから」
「うっ……」
ウィンターが顔を青くして、手のひらで鼻を押さえた。
「姉ちゃん、どうしたの?」
「ニンニクのにおい、ダメ」
どういうわけか吸血鬼はニンニクのにおいが生理的に無理らしい。
「そうなのかい? じゃあ二階に上がって。案内してあげる」
この店のアヒージョは絶品なのに……としょんぼりするエミールをよそに、よたよたと歩くウィンターを連れて母親が階段を上がっていった。
「兄ちゃんたち、何者なの?」
何も知らない子供は純真に尋ねてくるからたちが悪い。
「聞かないほうがいい。好奇心は人を殺す」
母親を失いかけたエミールにはこの言葉が効いたようだ。
それ以降、深くは聞いてこなかった。
「ねえあんたたち、何か食べる? お腹すいたでしょ?」
階段の柵の上から、母親の顔が覗いていた。
「コーンポタージュが食べたい」
「図々しいですね、アドくん」
アドとリアラのやりとりを眺めて苦笑する母親。
「あんたたちも上で休んでな。できたら呼んだげる」
*
案内された二階の一室は、古臭い簡素な書斎だった。
椅子に足を組んで腰かけるウィンターが、用紙にペンを走らせて黒猫の絵を描きながら、ジルに向かって「しっぽ動かさないで」と怒っている。
ジルも「吾輩は黒騎士のジル。動かない」などと言っている。
「この国のこと、何かわかった?」
「おうよ、アド坊」
闇の粒子を纏い、宙に浮かぶ頭蓋骨が、鷹揚とうなずいた。
ここなら落ち着いて話を聞けそうだった。
「まず〝影の国〟だな。この国は人間牧場を八つ持ってて、その八つが鉄道で繋がって巨大な輪っかを作ってる。輪っかの中心が、王都だ。そこにゃ魔族がわんさかいたぜ。もちろん、魔王もな」
「……!」
その言葉で、この場の全員が、耳に集中した。
「どんなやつだった、影の魔王」
「影だったぜ」
「姿は?」
「よくわからねえ。全身を影で覆って、姿を見せねえんだ」
「シャイなのかな」
「だといいがな」
ゴーストリッチは一呼吸置いて、
「で、王都の東区に巨大な研究施設があった。そこだけ異様に警備が厳重でよ、いかにも怪しかったんでちょいと忍び込んできたぜ」
「……え? バレてないですか?」
リアラが心配そうに眉尻を下げる。
「おいおいジト目の嬢ちゃん。そりゃないぜ。尻を触らせな」
「な、なんて下品な骸骨さんですか!」
リアラはこういうのに耐性がないようだ。
下げた眉尻を今度は吊り上げて、耳まで真っ赤にさせていた。
「心配しなくていいよ。彼がバレないって言ったら本当にバレない」
「ほんとに頼りになるんですか」
じとーっとゴーストリッチに疑うような視線が刺さる。
「町の酒場には一人くらい、呑んだくれの情報屋がいるだろ。ボクはその死体を七つ集めた。七つの都市を回ってね。そのうちの一つがこの骸骨、ダグラスさんだ。ゴーストリッチを統括してもらってる。酒癖は悪いが、腕は確かだよ」
アドが子供の頃からの顔なじみだ。
ずいぶんと長い付き合いになった。
「へっ、わかったかい嬢ちゃん。俺は伝説の男なんだ」
「酔った勢いで王女にセクハラして、両腕を切断された伝説もある」
「おいアド坊、俺の死因は言わねえ約束だろ。いいケツだったなぁ」
カカカカ、と実に愉快そうに骸骨が笑った。
「最低です」
「さいてー」
リアラもウィンターも腕で胸を隠し、ゴミを見るような目で睨みつけた。
「おいおい嬢ちゃん方、目がキンキンに冷えてやがる。ぞくぞくするぜ」
残念なことに、ダグラスはそれほど嫌そうではなかった。
「王都では何が研究されてた?」
ダグラスは声を潜めて、
「それがよ、影の魔王……影人の研究をしてた」
「へー……」
アドが目を細める。
「報告書がちらっとしか見えなかったがな、どうやら不死の存在を創る研究らしい。それが影人のコンセプトだ。で、意思を持って動いてる影もいるだろ?」
「ああ、影の兵隊ね」
「あの影の兵は、実は未完成らしい。完成形に近いのは影人のほうだ」
「どういうこと?」
「影の兵は壊れるけど、影人は壊れない。一応、不死は達成してるんだとさ」
……へえ。
錬金術師の手記との共通点がだんだんと見えてきた。
「影人はどうやって創られてるの?」
「それがよくわかんねえんだ。街の噂によると、影人の影が感染して人が影人になるって話だ。だけどどこを探したって、影人になったって人間がいねえ。身内が影になったって奴も一人もいやしねえ。何が何だかさっぱりだ」
影人になった人間がいない?
じゃあその噂はどこから出てきたんだ?
「引き続き、影人の調査を頼むよ」
「任せな。あとな、王都には影の兵の上位個体がいたぜ」
「どんな?」
「体が一回り大きくて、背丈ほどの大剣を担いでる。シャドウ・ジェネラルってんだ。フォレストウルフくらいなら、一刀両断できるぜありゃ」
「近づかなければ大丈夫でしょ」
「少なくとも五体は見たな。気をつけろよ、アド坊」
であれば、王都に五十体はいると思って対策しておいたほうがいい。
「それとこれが最も重要なことなんだが……クロノスの姫も王都に招待されてるらしい」
「え?」
「二日後だ。月一の定例会が、二日後にある。そこで影の一族と人間の王族が顔を合わせるんだとさ。今の城は定例会の準備で大忙しだ」
ちょうどいい。
アドも王都へ行こうと思っていたところだ。
そのために、魔族の商人を用意させている。
「それでお姫様は今どこ?」
「残念だが行方知らずだ。けどよ、二日後の朝ならわかるぜ」
え、とリアラが思わず声を漏らすと、ダグラスが面白そうに続けた。
「魔晄列車だ。切符の記録を見た。姫様は二号車に乗る」
「そんなことまで……!」
リアラは驚きを隠せない。
ダグラスを見る目がすこしばかり変わったようだ。
「ようやくご対面だな、アルティア・クロノス」
ここまで来るのが本当に長かった。
「あと二日で、列車に忍び込む方法を見つけないと」
「俺たちァ、情報を持って帰るだけさ。考えるのはアド坊の仕事だ」
これまでもそうだった。そして、これからも。
「あんたたち~! ごはんできたよ~!」
階段の下から、快活な声が聞こえてきた。
*
ジルが「これは極上だ」とホットミルクを舐めている。
ウィンターの姿が見当たらないのは、今も二階にこもっているからだ。
「んーっ! 女将さん、これ、すごく美味しいです!」
リアラが熱々の唐揚げをはふはふ頬ぼっている。
ほっぺたがとろけそうに落ち、何とも幸せそうな表情だ。
「でしょ! 母ちゃんの唐揚げは世界一なんだ!」
エミールも誇らしそう。
葉野菜の上には、まだ熱で音を立てる、揚げたての鶏肉があった。肉の香ばしいにおいが沸き立ち、黄金の衣に肉汁がじゅわっと溢れ、お店の灯りを色っぽく照り返している。お店の看板メニューなのがよくわかる出来映えだ。
この唐揚げを食べられないのが残念に思った。
アドは消化器官が死んでいるので、固形物を食べると体が拒絶してしまう。
「コーンポタージュも美味しいよ」
それでも、この絶品ポタージュが食べられるなら満足だ。
アドは木の器からとろとろのポタージュをすくい、舌の上に丸いスプーンを突っ込んだ。素朴な甘さが優しく、体がじんわりと温まる。
このお店の名前は、大衆酒場〝落ち葉のうたげ〟。
カウンター席に加えて、テーブル席が七卓もあるが、これを親子二人で切り盛りしているらしい。毎晩この店は満席になるので、目が回るほどの忙しさだという。そのおかげで毎日が充実している、と幸せそうな笑顔を見せた。
「じゃんじゃん食べるんだよ。今夜は貸し切りだからね」
アドはほっとしている自分に気がついた。
魔の森で目覚めてから、ずっと緊張しっぱなしだった。
やっと、束の間の休息だ。
「アド」
不意に、カウンター奥の扉が開いた。
隙間から、吸血鬼が顔を覗かせている。
「この店、囲まれてる。逃げ場がない」
これはアドの失態だ。
どんなに落ち着いた状況に見えようとも、休息を取ってはならなかった。目的を達成するまで、休みなく動き続けるべきだったのだ。
「あ、あたしじゃないよ!?」
母親が青ざめて両手を振っている。
心配せずとも、通報したなんて疑っちゃいない。
「リアラはトイレに。急げ」
「はい!」
指示するや否や、リアラは迅速にトイレに駆け込む。
「ウィンターは二階に。ボクはカウンターの裏に回る」
アドはカウンターの下、母親の足元に潜り込んだ。
「吾輩は?」
「どこか適当に」
「雑だな!」
アドが身を潜めた直後、間一髪のところで、入口の扉が開いた。
軍靴の音が店内に響き渡る。
アドはカウンターの横合いからこっそり様子をうかがい、目が合った気がしてとっさに身を隠した。
入口に、屈強な影が立っていた。背中には二本の黒い剣。明らかに街にいる影とは風格が違う。おそらくアイツが、魔王が王都から寄越した影の刺客だ。
「シャドウアサシン……!!」
母親の顔が蒼白になる。
影は全身に黒装束を纏っており、フードをすっぽりと被って、口元を黒い布で覆っている。フードの奥は真っ暗で何も見えないが、朱い眼光だけがはっきりと見えた。
後ろには、三体の影の兵を引き連れていた。
「客もいないのになぜ料理を?」
母親を問い詰める。
この非常事態、明かりのついた酒場が不審だったか。
緊張が走る。
「私たちのご飯だよ。文句あるかい?」
「…………」
黒装束の影がカウンター席に近づき、二人前の料理をじっと見下ろした。
「にしては量が多いな。盛り付けも、まるで客人に振る舞うかのようだ」
「飯屋が見映えを気遣って何が悪いのさ」
気丈にも母親は、影に対して堂々と振る舞った。
魔晄結晶は四つ。温存したいが……。
「おい、探せ。すべての部屋だ。ここに侵入者がいる」
シャドウアサシンが顎で指示を飛ばす。
家畜の話など、端から信じていなかった。
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