第30話 美咲澪

 文化祭の二日目の夕方、私は文芸部の部室に向かった。

 宗が自分の書いた小説の朗読をするから、聞きに来て欲しいという。

 もちろんよ、そんな面白そうな場面を、見逃す訳にはいかないじゃない。


 会場である文芸部の部室に入って、学園報を貰う。

 結構分厚くて重い。

 きっとみんな、一生懸命書いて作ったんだろうな。


 もう人でいっぱいだ。

 なんとか空いている席を見つけて腰を下して、パラパラとめくってみる。

 宗の作品は一番最後、どんなのだろうと興味深々で眺めて――


 え?

 ちょっと待って、これ……

 幼馴染ってタイトルで、出会いが小学2年……


 胸の奥がドキンとした。

 読み進めて行くと、何だか私と宗のこれまでのよう。

 急に恥ずかしくなって宗の方に目を向けたけど、ちょっと目が合っただけで、何ごともなく平然としている。


 なんなのよ、これ?


 朗読が始まって宗の言葉に聞き入っていると、やっぱりそうだと実感した。

 

 私が匠家に最初に訪れた時の記憶と、ほとんど一緒だ。

 私はその時まだ小さくて、全然知らない家に連れていかれて、怖かった。

 目の前には、知らないおじさんとおばさん、それと、私と同じくらいの年の男の子がいた。


 お父さんにしがみついて泣きそうになっていると、その男の子が私の目を見ながら、「おかえり」と言った。

 え、なにそれ? と思った。

 初めて会う私に、おかえり?

 なんでと思ったけれど、そのおかしさがあったからか、ちょっと気が楽になって、思わず


「ただいま」


 と返していた。


 それが、私と宗が初めて交わした言葉だった。

 覚えていてくれたんだと分って、胸の中が熱くなった。


 それから、私と宗は、だんだんと仲良くなっていって、私は匠家で過ごす時間がどんどん増えていった。

 誰もいない家で一人でいるよりも、宗がいる場所だと寂しくなかった。


 あまりたくさん話す人ではないけれど、だからこそ、私も気を遣わずにいられた。

 不器用だけれどもちらちらと私のことを気にしてくれて、お菓子やら本やらゲームやら、色々と持って来てくれた。


 最初の頃に一番一緒にしたのは将棋。

 じっと考えて、あれこれ言い合って、気づいたら時間が過ぎている。

 強さはほとんど同じか、ちょっと私の方が強かったかな。


 そのうち私も、宗のために何かしてあげたいと思うようになった。

 自分の家で、ちょっとずつお料理とかの練習をして、匠家で披露する。

 最初のうちは焦がしたり、味付けの分量を間違えたり、量が多すぎたりして、失敗の連続だった。

 でも、いつも宗は、顔を引きつらせながらも、「ありがとう、美味しいよ」と言ってくれるので、また頑張ろうって思えた。


 どちらから言い出すとかでもなく、学校へも一緒に通って、一緒に帰るようになった。

 宗は人と話すのが上手ではなく、私も人見知りをする方なので、同じような二人で一緒だと心強かった。


 そんな姿を見てひやかす友達もいたけども、気にならない。

 ずっと一緒にいるのが自然で当たり前だと思っていたから。


 中学生くらいになると他の友達も増えていって、宗以外の人と外出することも多くなった。

 外に出るのも楽しかったので、何回も宗を誘ってみたけども、あまり乗り気ではなかった。

 お家でいるのが好きなのか、それとも私と一緒じゃつまらないのか。

 でも宗がその方がいいのなら、私もそれでいいかなって思えた。

 だって宗がいる場所こそが、私にとって一番心が落ち着く場所だったから。


 色んな男の子から誘ってもらったり、付き合って欲しいと告白を受けたけれど、ピンとこなかった。

 あまり興味がなかったし、宗以上に、一緒の時間を過ごしたいと思う人がいなかった。

 一緒にいて楽だし、気持ちが落ちつくんだ。


 高校でも一緒にいたかったから、宗に置いて行かれないように、必死で勉強した。

 私は数学が得意、宗は社会や英語が得意だったので、二人で教えっこをした。

 中三の夏休みは、ほとんど毎日、夜遅くまで一緒に勉強してたっけ。

 途中で漫画の本に手を伸ばそうとする宗の手を叩きながら。


 無事に同じ高校に入っても、私たちの関係は変わらなかった。

 運よく同じクラスになれたけれど、私たちの心地いい時間について色々と言われたくはなかったので、登下校時以外は距離をとろうかといった話になった。

 学校であまり話ができないのは残念だけど、私もそれに賛成した。

 その分お家では、宗の喜ぶお料理をたくさん作って、いっぱい話をしよう。


 新しい友達もできて、入学早々から、何人かの男の子から告白を受けた。

 その中に、気になる人が一人いた。

 色々とよくない噂は聞くけれど、今までに出会った中では、一番恰好がよかった。

 その人からの告白だけは、すぐには断れなかった。


 宗の方も、なんだか朱里と一緒にいて、楽しそう。

 同じ部活にも入って、学校から一緒に帰ったりしているし。


 いきなり家に朱里を上げたって聞いて、驚いたと同時に、やりきれない気持ちになった。

 今までずっと私がいた場所に、今は朱里がいるような気がした。


 朱里は私と違って、綺麗で優しくて、誰からも好かれている。

 宗が気持ちを寄せたとしても、責められなかった。


 でも、夏休みに彼女と一緒に勉強したいって聞いたときは、気分が良くなかった。

 去年の夏はずっと私と一緒にいたのに、今年は他の人と一緒にいたいの?

 なんだか胸の奥が痛くて、絶えられそうになかった。


 だから、宗に私の方を向いてもらいたくて、私も他の人から告白されてるんだよ、と話を振ってみた。

 そしたら、


「俺は澪の気持ちを応援するよ」


 なにそれ?

 私がそっちの人を選んだら、それでいいってこと?


 そんな言葉が欲しかったんじゃない。

 けど、宗はそんな風に思っているの?


 宗は朱里と、私はその人と、もしそうなったら……

 多分、今までのような関係は続けられないだろう。

 お互いに、相手にとっても失礼だし。


 涙が出そうになるのを堪えながら、いたたまれなくなって、


「私たちお互いにお互いから、卒業する時が来たのかもね」


 本気で望んでもいないことを口にして、逃げるように宗に背を向けた。


 それから、宗と連絡をとらない日々が続いた。

 いつも一緒にいたから、とても長い時間だったように感じる。


 そんなある日、告白を受けたその人から、夏祭りに一緒に行きたいと言われた。

 この街からは遠い場所。

 それ、お泊りの旅行?

 胸の中が思い切りかき回されて、頭が真っ白になる。

 そこにいけば間違いなく、私はその人と――


 気づくと、私の足は宗の家の方に向いていた。

 一体何がしたいんだろう?

 宗に何を求めているんだろう。

 気持ちの整理がつかないまま、何とか落ちつこうと、置きっぱなしだった化粧品や衣服を集めた。


 それも終わって居間で待っていると、宗が帰ってきた。

 お互いに変に意識しあって、話したい言葉が出て来ない。


「じゃ、私帰るから」


 違う、そんなことが言いたいんじゃない。


 どうやら、朱里とは仲良くしている感じだ。

 どうしようもなく切なく、気分が落ち込んでくる。

 針でつつかれたように、胸の中に痛みが走る。


 やっぱり私は、こんなの嫌なんだ。

 ずっと宗と一緒だった、あんな感じがいいんだ。

 なぜって、それは多分――

 こんなところで気づくなんて。


 私は、宗のことが、大好きなんだ。


 宗はどうなんだろうか?

 私が他の人のものになるって知ったら、どう思うのかな。


「私、外房祭りに行ってくるから」


 思わず口をついて出てしまった言葉に宗は、


「その……頑張れよ」


 もうダメだ、元には戻れない。

 涙を堪えることができなかった。

 自宅に帰って思いっきり泣いてから、その人にOKの返事を送った。


 お祭りの日、駅でその人と待ち合わせをして、一緒に電車に乗った。

 途中、できるだけ、スマホは見ないようにした。

 その人との時間を楽しみたかったし、何か決心が鈍ってしまうような気がして。

 

 私、この人と一緒に大人になるんだ――

 そんな想像をしてしまうと、沸騰したように顔が熱くなった。


 海辺の宿に荷物を置いて、お祭りの会場へ。

 色とりどりの出店が軒を連ねて、人でいっぱいだ。

 家族連れや、浴衣姿の恋人達、子供達が元気に走り回る。

 

 もうじき花火が始まる。


 そんな時に、目に映ったのは、りんご飴屋さん。

 懐かしいな。

 昔、お祭りで迷子になった時、宗がお小遣いで、私に買ってくれたっけ。

 宗からもらった、初めてのプレゼント。

 

 不意に、宗の顔が見たくなった。

 ちょっと写真を見るだけ、そう思ってスマホを覗き込むと、メッセージや着信が、たくさん届いていた。

 全部宗からだ。

 何なのよ、今頃――― えっ!?


『今、お祭り会場のりんご飴屋の前にいるから、来てほしい。またりんご飴を買ってやるから』


 一瞬目を疑って、読み返した。

 宗、この場所にいるの?

 なんで? 何しに来たの?

 動揺してしまって、息がとっても苦しい。

 どうしよう――


 目の前のりんご飴屋さんの前には、宗はいない。

 どこか別の場所?

 隣にいるその人に、友達から急な連絡が入ったからと嘘をついて、一人で他のりんご飴屋さんを探した。

 

『ドーン!!』


 暗い宙から音が鳴り響いて、色鮮やかな大輪の花がいくつも咲いている。

 お祭り会場の通路を埋め尽くしている人たちは、みんなそれに見入っている。


 人込みを掻き分けても、なかなか前に進めない。

 どこにいるのよ、ばか。

 だんだんと気持ちが焦ってくる。


 花火が終ると家路に向かう人の列ができて、出店の前は少しずつ進みやすくなった。

 どこなのよ、もう。

 息も絶え絶えになりながら、広い会場の中を走り回った。


 ―― あっ。


 既に片づけが始まっているりんご飴屋さんの前に、宗がいた。

 見つけた。

 心の中に、甘酸っぱいものが広がっていく。

 

 話し掛けると、約束通り、りんご飴を買ってくれた。

 甘くて美味しい、懐かしい昔を思い出す。


 そんな私に宗は、意外な言葉を投げた。


「一緒に帰ろう、澪」


 何、今さら?

 頑張れって言ったの、宗じゃない。

 私の決心を、何だと思っているの?

 嬉しさと腹立たしさが混在した、複雑な気持ちが去来した。


 宗を問い詰めると、私との時間は絶対に無くしたくないし、私の方も同じなんじゃないかって。

 こいつ、自惚れやがって。

 でも、残念ながら図星だ。


 きっと私は、ずっとそうだった。

 その理由も、今は分かる。

 でも宗は、それに気づいていないみたい。

 全く、分かってないな。


 宗の方はどうなの?

 どうして私と一緒にいたいと思ってくれるの?

 その理由は、話してくれなかった。

 全く、肝心なところで、いつも言葉足らずなんだから。


 本当は言葉が欲しかったけど、ここまで来てくれた宗の必死そうな表情から、何となく分かった気がした。

 仕方ない、あの人と話をしてみよう。

 私の心は、もう決まってはいるけれど。


 何とか話が終って、荷物をまとめて、駅で待ってくれている宗のところへ。


 終電に間に合うように急ぐ宗の腕を、思わず掴んでしまった。

 終電が発車してしまうまで。

 宗が目を丸くして、私を見てる。

 

 わざわざこんな所まできたんでしょ?

 私の決心も、どうしてくれるのよ。

 責任とってよ。

 自分で自分に言い訳してみるけれど、でも。

 

 もっと、宗と一緒にいたい。

 私が好きなのは貴方。

 初めての人も、貴方がいい。


 恥ずかしいけれど、結局そうなんだ。


 でもその夜、宗は私に手を出してこなかった。


「もっとお前のことが好きになってから」


 まだ私のことが好きじゃあないの?

 それとも、照れているだけ?

 ちょっと複雑だけど、でも、子供っぽく思えて可愛いかった。


 じゃあちゃんと、私のことを好きになってよね?


 そんな夏の出来事を思い起しながら、宗の朗読に聞き入っていた。


 ありがとう、迎えに来てくれて。

 

 朗読の最後の方になって、宗の口から出た言葉。


「お前が、好きだからだ」


 その一言が、聞きたかったんだ。

 これって、実際にはなかった言葉だよね?

 どうして、わざわざこんな場で、こんな大事な言葉を入れたの?

 単なる創作?

 

 ――違うよね?

 そう思いたい。

 涙が溢れ出してきて、止まらない。


 二人だけの時に、貴方の本当の気持ちを聞きたい。

 私も、大好きだよって、きっと伝えるから。


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