第13話 当惑

 今日は終業式の日、午前中に体育館での式典が終わってから、教室で担任から休み中の注意事項を聞いている。

 

 2日ほど登校日を挟むものの、しばらく休みが続くとあって、みんなの顔が明るい。

 若者にとって恒例の大イベントが、目前に迫る。


「じゃあみんな、気を付けて元気に過ごすように。また会いましょう!」

「起立、礼!」


「お前、どこ行くんだよ?」

「海だよ、海。夏って言ったら、それしかないだろう?」

「いーよなあ、お前は彼女がいるから、そんなこと言えてさ」


「ねえねえ、帰り買い物付き合ってよ」

「あ、私も行くう!」


 クラス中でわいわい、帰り支度が始まる中。


「匠君、部室に顔出すよね?」

「うん。一応昼飯買ってきたから、どっかで食べてからにしようかなって」

「私もお弁当持ってきたから、部室ででも一緒に食べない?」

「あ、いいね。そうしようか」

 

 梅宮さんとそんな会話をして、部室経由で直帰できるよう、荷物を纏める。


 澪の方にちらりと目を向けると、まだ教室にいて、友人たちと談笑していた。


 最近ずっと一緒に帰っていないし、連絡もしていない。

 顔を合わせると「よっ!」と挨拶はするが、その程度。

 もちろん、お互いの家の方にも、顔を見せていない。


 今までにはなかったことなので、うちの父さん母さんも変に思っていることだろう。

 けれど二人とも、何も訊いてはこない。

 俺と澪、二人の間で何かがあったということを、もしかして気づいているのかも知れない。


 梅宮さんと一緒に文芸部の部室でご飯を食べていると、ガラリと扉が開いて、木下さんが入ってきた。


「よう、調子はどうだい、若人たちよ?」

「あ、こんにちは、木下さん」

「どうもっす!」


 俺と梅宮さんが座るテーブルの脇に椅子を引きずってきて、自分の弁当を広げ出した。

 俺たちのことを若人と呼ぶこの人は、確かに、高校三年生には不相応な落ち着きと、周りに動じず我が道を行くといったような、頼もしさを漂わせている。


 そうしているうちに他のメンバーもやって来て、総勢で7人程の集まりに。

 俺以外、全員が女子である。


「あと今日は、顧問も来るよ」


 と、思い出したように木下さんが。

 

 顧問の迫田先生は三十路を超えたあたりの女の先生で、梅宮さんと一緒に入部届を持って行って以来、喋っていない。

 普段は部長の木下さんに任せっきりのようで、ほとんど部室に来ることもないのだが。


「木下さーん、迫田先生、何しにくるんですか?」

「さあ? 夏休み前の注意事項か、学園報の進捗確認じゃね?」


 何しに来るのと言われる顧問もどうかと思うが、ここはいい意味で、開放的で放任なのだ。


 休み中でも文芸部は、基本月、木の週二回は、通常通り活動日になっている。

 文化祭で発行する学園報の制作に向けて、大事な時期でもあるのだ。


 それから少し経ってから、迫田先生がふらっと部室に現れた。


「「「お食事会!?」」」


 部員たちの予想に反して、迫田先生の話しはすごく緩いもので、思わずみんな聞き返した。


「そう。せっかくみんな頑張ってるから、夏休みのどっかでと思ってね。ここにお料理とかは用意するから」

「せんせー、それだったら、合宿とかの方が盛り上がるんじゃないですか?」

「そうなんだけど、今からじゃ色々と難しいわよ。それはまた来年にでも、ね?」

「あの、先生、三年生は、来年はいないんですけど?」


 木下さんが怖そうな目で睨むと、迫田先生は苦笑いを浮かべて、何も言い訳ができなかった。


「せんせー、それ、いつにするんですか?」

「そうね…… 今度の登校日にでもしましょうか? 多分、皆一番、集まりやすいと思うし」

「「「分かりましたあ」」」


 迫田先生はそれだけ伝えると、じゃあごゆっくりと言い残して、爽やかに部室から去って行った。


 それから梅宮さんと一緒にあーだこーだと言いながら合作の執筆を進めて、気づくと夕方になっていた。


「これ、朗読の方は、梅宮さんに頼むね?」

「え、いいけど…… どうせだったら、いっしょにやればよくない?」

「それだと多分その日、腹痛で学校これなくなるから」

「大丈夫よ、そんなの。私がついてるからさ」

「はは…… ありがとう」

「うん……」


 一緒に帰ったり、同じ休日を過ごしたり、共同作業を進めたり、最近梅宮さんと一緒にいることが多い。

 多分、この学校内の誰よりも。


 そのお陰なのか、梅宮さんとの距離は、だんだんと縮まってきているような気がする。


 ほんの二か月ほど前までは全く考えられず、ただ遠くから眺めているだけだったのに。

 まるで全然違う世界の住人になってしまったようにも感じてしまう。


 心は踊るけれど、そのかわりに、何か大きなものも無くしつつある。


 今年の夏は、俺の周りに澪はいないのだろう。

 長年一緒にいるのがあたり前だった存在が無くなった虚無感とでもいうべきものは、やはりなかなか消えてくれない。


 一体自分は何をしたかったのだろう。

 澪の気持ちを尊重して応援したいと思ってはみたものの、ずっとそのことに引っかかっている自分がいる。


 かっこ悪くて女々しいな。


「さよなら、またね」

「うん、またね」


 笑顔で挨拶をしてくれる梅宮さんを電車で見送ってから、もう一駅先で下車して、とぼとぼと家路を行く。


 家に辿り着くと、なぜか窓から灯りが見えた。

 家の中に入ると、予想したかった人物がいた。


「よ、久しぶり!」

「ああ、ほんとに……」


 そこには澪がいて、居間のソファに腰を下ろしていた。

 ほんの何週間か前までは普通にあって、いまでは遠くなりつつある光景。

 澪がいるその場所だけ、周りよりも明るさが増している感じがする。


 今日は、いつも目のやり場に困ったラフな恰好ではなく、普通のカラーシャツにゆったりとしたパンツ姿だ。


「じゃ、私帰るから」

 

 澪がすぐさま立ち去ろうとする。


「もう帰るのか? 一体なにしに来たんだよ?」

「忘れ物を取りに来ただけだから」


 忘れ物? 

 そいうえばまだ、風呂場の片隅に澪が使っていたシャンプーのボトルが置いてあったり、一緒に洗濯をしてそのままのシャツが畳んで置いてあったりした。

 ソファの上に大き目の鞄が置いてあるので、どうやらそれらをまとめて引き取りにきたようだった。


「そうか……」

「どう、そっちは? 朱里とうまくやってる?」

「まあ、現状維持だよ。明日は市内の図書館で勉強だし、週二くらいで部活はあるからな。ていうか、俺と梅宮さんは、そんな関係じゃあないから」

「ふん。どーだか」

「そう言うお前の方はどうなんだよ?」


 俺からの問いかけに、少しの間押し黙ってから、切なげな表情で口を動かした。


「私、外房祭りに行ってくるから」

「そ、そとぼ……?」

「外房祭り。夏のお祭りよ。京極さんと一緒にね」


 それは聞いたことのある名前だった。


 確か海辺の街で盛大に行われるお祭りで、たくさんの屋台や出店があって、フィナーレは大花火大会が催される。

 毎年大勢の人がつめかけてニュースで流れるような、夏の風物詩的なイベントだ。


 高校生同士だと、車での移動はないだろう。

 ここからだと、電車で2時間以上の距離、当日は多くの人でごった返すだろうし、お祭りが終わるまで楽しんでからそのまま帰ってくるには、少々難儀だろう。

 そこに行くということは、


「……泊まりで行くのか?」

「うん。だって遠いし」


 すっと立って目を合わせずに、澪は俺の前を通り過ぎていく。


 玄関で靴を履く後ろ姿に、


「あのさ、澪……」

「何よ?」


 頭の中でぐるぐると色んなことが流れては消えていく。

 行って欲しくはないけれど、行くなと言って今さらどうにかなるのだろうか。

 相手の京極さんは、本当に澪にとって、信じられる相手なのだろうか。


 短い時間で考えても考えても、しっくりする言葉は思いつかず。


「その……頑張れよ」

「…………ばかあ!!」

 

 最後にそう叫んで、ドアをバタンと締めて、澪は出て行った。

 後に残るのは、寂寥の空気感。


 そんなことが言いたかったわけじゃないんだ。

 けど、今の俺には、他に言葉が見つからなかった。


 すぐに追いかけようかとも思ったけれど、俺の足はその場から動いてくれなかった。


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