第12話 違和感

 翌朝、久しぶりに、一人で家を出て学校へ向かっている。


 昨日の深夜、澪からRINEでメッセージがあった。


『私たち、ちょっと距離を置こうか?』


『ああ、分かった』


 それだけのやり取りで、これからのこともある程度察することができた。

 

 澪が京極さんと付き合うのであれば、俺のような存在は、ある意味で害悪でしかない。

 いくら幼馴染で理解者だと言い張ったところで、誰も信じないだろう。

 距離が近すぎる幼馴染など、まさに、トラブルの震源地となりかねない。


 だから、俺と澪は、これからは一緒にいてはいけないのだ。

 今朝のこの状況もそうだし、夜にうちの家に来ることも、多分無くなるのだろう。

 

 急にそうなると両親は訝しむかも知れないが、それもおいおい時間がなだめていってくれるだろう。

 彼女が作ってくれる美味しいご飯が食べられなくなるのは、残念がるだろうけれど。


 とにかく今俺ができることは、そんな状況を黙って受け入れて、澪を応援すること。

 けれど、できれば、長く続く幼馴染として、ずっと関係は持っていたい。

 

 そんな相反する思いが、頭の中に渦巻いている。


 一人で家を出て、電車に乗って、他の生徒達に交じって歩を進めて学び舎へ向かう。

 特に不思議な光景ではなく、むしろ普通だ。

 だけども、今までずっとあったものが無くなると、自分の傍にぽっかりと穴が開いたようで、違和感は拭えない。


「やっぱルシエーヌは可愛いし恰好いいなあ。原作のイメージ通りだわ」

「お前この前まで、エルサがいいって言ってなかったっけ?」

「どっちもだよ。黒と白の女騎士、選べるわけがないじゃないか!」


 クラスで唯一の悪友である真野は、俺よりも某深夜アニメにはまっていて、朝から熱っぽく語っている。


「お前、アニメの登場人物のことはよく好きになるけど、普通の女の子には興味がないのかよ?」

「な!? そんなことはないぞ、決して。ただ、俺が理想とする子が、たまたま二次元世界の住人だったってだけだ!」


 ひとしきりまくし立ててから、真野はやにわに話題を変えた。


「そういえば、今日は美咲さんがまだ来てないんだな?」

「ああ、そうみたいだな」

「……もしかして、なんかあったのか?」

「いやまあ、色々とね」

「そうか。彼女と京極さんとのこと、噂になってるぜ」

「は? なんでだ?」

「先週二人で会ってるとこ、見た奴がいるらしいんだよ」

「え、それどこででだ?」

「渋谷にいたのを、たまたま目撃されたらしいんだとよ」


 澪が話していた、先週土曜日に二人て会っていたっていう件だろう。 

 そんな話を聞くと世界は狭いなと思うが、美男美女で超目立つ組み合わせだろうから、嫌でも人目を惹いてしまうのかも知れない。


「けど京極さんって、女のことでは色々と噂を聞くぜ」

「噂?」

「ああ、女には事欠かないってよ。今も、三年の女子の何人かと、付き合っているらしいし」

「それって、二股以上ってことか?」

「そうだな。まあ噂だし、本人に訊く以外確かめようがないけど、でも普段から周りに女子がいっぱいだから、あながち嘘ではない気がするな」


 この手の話題には疎いので初めて知ったが、果たして澪は、そんなことは知っているのだろうか。


「だからお前も美咲さんのこと、しっかり見といた方がいいぜ」

「あ、いや俺は、別に……」

「強がんなよ。さっきから美咲さんの席の方チラチラ見てるし、悩んでますって顔に書いてあるぞ」

「ば……そんな訳あるかよ!」

「そうか? ま、老婆心だよ。余計な事だったら、忘れてくれ」


 真野の言うことが正しかったら、澪も二股以上を掛けられていることになる。

 腹の奥から熱い物がこみ上げてくるが、それを話したとして、果たしてあいつは納得するのだろうか?

 もしかしてそれも承知の上でなら、余計な詮索や入れ知恵は、かえって邪魔にしかならないかも知れない。


 これは澪と相手の人との問題、相談でもされない限り、部外者が口を出すべきものでない。

 それで自分なりに納得しようと頑張ってはみても、どうしても気持ちはすっきりしない。


「おはよう、匠君。ちょっとだけ相談なんだけど」

「ああ、梅宮さん、何?」

「今日の放課後って、時間ないかしら? 学園報の文章をちょっとだけ書いてみたから、一緒に見て欲しくて」

「ああ、分かったよ。ごめんね、梅宮さんに作業をお願いして」

「ううん、気にしないで」


 梅宮さんは、相変わらず素敵だ。

 シルクのような光沢がまばゆい黒髪を揺らしながら、輝くような笑顔を振りまいて、クラス中で人気の的だ。


 彼女との会話が終わった頃、始業時間のぎりぎり前になって、ひっそりと澪が現れた。


 国語、地理、数学…… 1つ1つ授業が進んでいっても、俺と澪とは、ほとんど目が合わない。

 一瞬だけ目と目が合っても、さっとかわされてしまう。

 授業が全部終わると、周りに「おつかれ」と声を掛けて、澪はさっさと帰ってしまった。


 距離を置こうと話はしたものの、正直この状態はこたえる。

 心の中が重いと体まで重たく感じてしまうが、これから梅宮さんのとの約束があるのだ。


「どうしよう、部室にでも行こうか?」

「それもいいけど、よかったらたまには、気分を変えて外で話さない?」

「いいね。ちょっと腹も空いてきたし」


 さっさと帰り支度を整えて、二人で一緒に学校を後にした。


 少し電車に揺られて、梅宮さんの家の最寄り駅で降り、近くのファミレスで腰を下ろした。

 彼女から手渡された紙面には、パソコンから打ち出したのだろうと思われる活字が、びっしりと並んでいた。


 店員のお姉さんんが運んできてくれたミートスパを頬張りながら、じっくりと目を通した。

 

「こんなの初めてだから、恥ずかしいんだけど……」

「ありがとう。いやあ、よく書けてると思うよ、ほんと」


 梅宮さんの人柄が表われているような、丁寧で優しい表現で、商店街で出会った人達との交流が。色鮮やかに蘇ってくるように描かれている。

 実際には取材で話をしたのだけれど、旅行者がたまたま立ち寄った風のアレンジも加えてあって、とても始めて執筆したとは思えない。


「まるで本当の小説家みたいだ。流石は梅宮さん」

「匠君、ほめ過ぎよ。でも……ありがとう」


 照れながらも、梅宮さんは満更でもなさそうだ。


「あの、ところで匠君?」

「はい?」

「夏休み、どうかしら……?」

「ああ、梅宮さんと一緒に、勉強させてもらおうかと思うよ。でもそればっかりだったら肩が凝るから、たまには息抜きもしようよ?」

「それって、どこか他のところへ行ったりとか?」

「うん。梅宮さんが、嫌じゃあなかったらだけどさ」

「そんな、嫌じゃないよ全然。うん、是非! 楽しみだなあ」


 相変わらず澪のことは気になるけれど、気を取り直そう。

 いつまでもうじうじしたままだとつまらないし、目の前で笑顔をくれている梅宮さんにも失礼だ。


「でも、梅宮さんばっかりに書いてもらうと、何だか申し訳がないな。俺も何かできないかな?」

「じゃあ、あした部室に行って、一緒に書いてみない? これって匠君と私の合作なんだし」

「うん、そうしようか。横から木下さんの猛烈な突っ込みがありそうで、怖くはあるけどさ」

「あ、確かにね」


 それからもしばらく他愛のない会話を重ねてから、梅宮さんとはさよならした。


 電車で一駅だけ移動して暗くなった夜道を歩いた先に、見慣れた我が家があった。

 鍵を開けて中に入ると、電気が消えていてシーンと静まり返っている。

 誰もいない。

 ごほんと咳をしてみても、やはり一人なのだ。

 それほど不思議でもない事実が、ずしっと両肩にのしかかってくる。


「ただいま。そっか、しばらく、澪ちゃんは、来ないんだったわね」


 少し遅れて帰宅した母さんが、いそいそとキッチンへ向かって、自分の夕食の準備を始めた。

 既に澪から母さんにも、何かの連絡が入っているようだ。


「手伝おうか、母さん?」

「いいわよ。あなたはご飯食べる?」

「俺は、外で食べて来たから」

「そう」


 澪のような幼馴染の存在自体がレアで、これが普通なのだ。

 じきに慣れていくのだろう、それしかない。


 これから高一の夏休みが始まる。

 まだどうなるかは分からないけど、梅宮さんという俺には勿体ないくらいの友達がいる。

 彼女と一緒に、楽しい夏の思い出を、いっぱい作ろう。

 そう思うと、少しだけ心が軽くなって、夏休みが楽しみに感じられた。


 俺は早々に部屋に戻って横になり、梅宮さんと一緒に執筆中の小説を、これからどんな内容にしようかと考えていると、いつしか時間が経つのを忘れていた。


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