第11話 動揺


 はたして、どう切り出せばいいものか。

 このところ、ずっと悩んでいた。


 先週末の土曜日に梅宮さんと一緒に商店街に行ったとき、夏休みは図書館で一緒に勉強でも、とお誘いを受けた。

 光栄で心躍ることこの上ないけれども、澪になんと言うべきか。


 また不機嫌な顔つきで、睨まれてしまうのかも知れない。


 いっそ三人で勉強をしてはとも思ったけれども、梅宮さんは俺と澪との関係を気にしてたし、澪は澪でまた遠慮すると言って断られる可能性が高い。


 去年の中三の夏休みは受験モード一色だったので、俺と澪はお互いの家に入り浸って勉強漬けの日々で、お互いに教え合ったお陰で、両方とも志望校に合格できた。

 今年はそこまでではないはずで、もっと余裕があるはず。

 だからこそ、余計に迷ってしまう。

 

 澪と遊びに行く約束もある中、どっちも行きたいといったら、どんな顔をするだろうか。

 お互いに恋人でもなんでもないのだから気を使い過ぎかも知れないが、それでも変にこじれるのは避けたい。


 今の澪との関係は、たまに面倒くさくはあるものの、多分居心地の良さの方が勝るのだ。

 きっと彼女の方も同じなんだと、信じたい。


 そんな澪はといえば、今日も白Tシャツに短パンといったラフな格好で、居間のソファで隣り合って座り、俺の部屋にあった漫画の新刊に目を落としている。

 大きな鍋で肉じゃがを煮込んでいて、その合間のひと時である。

 台所の方から、甘辛い香りが漂ってくる。


「このダークヒーローって奴、絶対に味方になるよね?」

「そう思ってる読者は多いみたいだな。けどそうなったら姫の呪いが発動してしまうからな。だから姫がなにかのきっかけになるんじゃないかってな」

「もしかして姫が死んじゃうとか?」

「そうそう、あり得る」

「えー、そんなの可哀そうだよお! ありえない!!」

「俺にそう言われてもなあ。原作者さん次第だし」

「そうね。あっ、お鍋お鍋……」


 ぱたぱたとキッチンの方に向かい、火加減を調整している。

 今は料理と漫画で忙しそうだから、後でそれとなく相談してみよう。

 結局、ストレートに訊いてみるしかないと思い。


 両親は今日も帰りが遅くなりそうなので、二人で先に夕食をとる。

 両親は両方とも仕事熱心ではあるのだけれど、たまに、ここまで息子を放置していていいのかよ、と思ってしまう。

 恐らくは、幼馴染の澪の存在が、大きいのだろうけど。


 メインの肉じゃがの他に、おひたしとみそ汁が添えられている。


 やっぱり今日も、澪の料理は美味い。

 程よく煮込まれたジャガイモが口の中で解けて、醤油と和風だしの味が口いっぱいに広がる。

 牛肉やにんじんもやわやわで、口の中で溶けていくようだ。


「お前、ほんっとに、いつも料理上手いな」

「あら、ありがとう。どうしたの?」

「いつも感謝してるんだよ、ほんと」

「宗が喜んでくれるなら、私も嬉しいな」

「美味い、お代わり」

「はーい。いっぱい作ったから、思いっきり食べてね」


 そう言って、癒される笑顔を俺に向けてくる。

 肉じゃかの温かみと澪の笑顔で、体の中がポカポカとしている。


 夕食を済ませてから、居間に移動してひと息つく。


「宗、私アイスが食べたいなあ」

「はいはい、少々お待ちを」


 小さなバケツのような容器に入ったバニラアイスを皿の上に山盛りにして、澪の目の前に置くと、至福に満ちた顔でそれを頬ばり出した。


「んー、美味しい、幸せ」

「なあ澪、ちょっと相談があるんだが」

「なんだい?」

「夏休み、図書館で勉強しないかって誘われたんだ。梅宮さんに」


 スプーンを咥えたまま、澪が強張った。


「図書館?」

「うん、毎日じゃないと思うけどね」

「二人で?」

「……うん、今のところは」

「……」


 周りの空気が途端に重くなって、沈黙の時間が流れる。

 澪が固い笑みを浮かべながら、静かに唇を動かした。


「なんか、いい感じじゃない、宗と朱里?」

「いや、別にそうでもないけどさ。普通に勉強とかするだけだし……」

「だって、家に上がったり、部活や夏休みで誘ったり。こんなの、普通はないよ?」

「多分変なつもりはないと思うよ。ただ俺と一緒だと、気を遣わなくていい、てさ」

「ふーん……」


 澪はアイスが残った皿をテーブルの上に置いて、


「その気持ちは、私もよく分かるよ。だってさ……」


 何かを言いかけて、澪は口を噤んだ。

 それから少しの間逡巡してから、思い切ったように口を開いた。


「実はね、宗、私からも相談があるんだ」

「なに?」


 手揉みしながら、言いにくそうに迷っている姿に、胸騒ぎを覚える。


「私ね、付き合ってくれって言われてるの」

 

 やはりそういうことか。

 澪ならばそんな話は多いだろうが、今日は妙にあらたまっている。


「もしかして、京極さん?」

「うん。ちょっと前から言われてたんだけどね、どうしてもって言うから、土曜日に会ったんだ。そしたら、やっぱり付き合いたいって……」


 何となくだけれども、こんな話をする日がいつかくるんじゃないかとは、ずっと思っていた。

 

 俺の方も、梅宮さんと最近仲良くなりつつあって、天文学的に低い確率ではあっても、これからどうなるかは分からない。

 それは澪の方だって、同じなのだ。


 俺たちは幼馴染、本当ならお互いを縛らずに、祝福し合う立場のはずだけれど。

 そうだとすると、複雑な思いだけれど、俺から言えることは多くないのかも知れない。

 

 心の中が大きく揺さぶられているのを感じながらも、なんとか平静を装いながら、言葉を返した。


「そっか。……で、澪はどうしたいんだ?」

「……どうしたらいいんだろう」

「今までこんなことはなかったのか?」

「そりゃ……色々あったよ。宗に話してないところで、デートくらいしてたことだってあるし」


 それは初耳だが、今更大して驚かない。

 俺なんかと違って、澪ほど人気があれば、何もなかったって方が、よっぽど不健全だし不自然だ。


 けど、こんな風に相談されるのは初めてだ。

 きっと彼女も、心が揺れているのだろう。


「今回は、お前にとっても、特別なのか?」

「……分からない。けど、気になってるのは確かなんだ」

「なら……お前の気持ち次第じゃないか? 俺はそれを、幼馴染として、応援する立場だし」


 すぐ横から、澪がじっと俺を見詰める。


「宗は、それでいいの? 何とも思わないの?」

「……何とも思わないことはないよ。けれど、ちょっと複雑だけど、俺は澪の気持ちを応援しようと思うよ」

「私が別の人を選んだら、それでいいの?」

「……それがお前の気持ちなら、仕方がないじゃないか……」


 そうだ、今までだってそうしてきたつもりだ。

 それはきっと、これからだって……


「ねえ、本当に、それでいいの?」

「……お前のことは、俺にも口出しはできないからな。お前次第なんじゃないか」

「……分かった……」


 俺から目線を外して、消え入りそうな声で呟いた。


「宗だって、朱里と一緒に、いい感じだもんね。それにだって、私はなんにも言えないもんね」

「あの、澪、俺はさ……」

「私達、お互いがお互いから、卒業する時が来たのかもね」


 しばらくの間、気まずい沈黙の時間が流れた。

 澪は俺と目を合わせず、首を折って俯いている。


 不意に彼女はすっと立ち上がって、


「ごめん、今日は帰るね」


 その目には薄っすらと、光るものが滲んでいるように見えた。


 黙って玄関に歩いていく彼女の後姿を、俺はただ見送った。


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