第14話 行動
「巧君、ここって、現在形で良かったっけ?」
「えっと……多分そこは、受け身形で『ed』だと思うよ。主語が人だから」
「そっか、なるほどお……」
俺の目の前で、梅宮さんが机の上に英語の問題集を広げて、うんうんと唸っている。
何でもそつなく人並み以上にこなせそうな彼女だけれど、英単語と文法の相性はあまりよろしくないらしい。
俺は一人でいる時間に何かを黙々とやるのが苦にならないので、英単語やら歴史の年号やらはかなり覚えていて、教えてあげられる。
そのかわり、現代文や古文といった分野では、俺よりも多くの文学書を諳んじているためか、圧倒的に彼女の方が知識が豊富だ。
文系科目は両方で教え合いながら、理数科目はお互い苦手で似たような実力値なので、二人で頭を捻る。
こんな感じで、俺と梅宮さんは、週に二回ほど部活がない日を選んで、市内の図書館で待ち合わせをして、一日中勉強をしている。
とはいえ途中でお腹も減るし、ずっと集中力が続くわけでもないので、ちょこちょこ外へ出て、ランチをしたり、買い物やゲームセンターに行ったりと、小さなイベントも重ねている。
かといって、どっちかが告白をしたり、何か甘いイベントが発生するようなことは微塵もなく、単純に勉強仲間といった感じだ。
けど、梅宮さんと二人で過ごす時間は、想像以上に楽しい。
思ったよりも表情がころころと変わるし、最近ではくだらない冗談も増えて、普通の友達にはなれた感じだ。
何だか新しい日常が訪れたようで、その中に浸っている俺がいた。
こんな感じで、蝉しぐれが降り注ぐ八月を迎えた。
いつもは暗くなるまで一緒に過ごすのだけれど、今日は昼過ぎには帰らせてもらうことに。
「ごめんね、今日は先に帰るよ」
「ううん、気にしないで。また今度ね」
梅宮さんを一人図書館に残して、とぼとぼと家路についた。
夏本番になって、夏祭やアニメフェス、花火大会などなど、各地で色んなイベントが目白押しだ。
そんな中、今日は毎年大規模に開催される外房祭りの日。
澪とその彼氏とのお泊りデート先がそこで、今頃は多分二人そろってお出かけ中だろう。
だから何となく全てにおいて気が乗らない。
一緒に過ごしてもらっている梅宮さんには申し訳ないけど。
家に着いて、冷蔵庫から缶コーラを持ち出し自室で悶々としていると、階下から話声が聞こえた。
今日は休日なので、両親が揃って出迎えているようだが、気心が知れた感じからして、多分澪のお父さんが訪ねて来たのだ。
今会って話すのは気まずくはあるが、家の中にいて挨拶なしなのも不遜だろう。
重たい体を引きずって居間に顔を出すと、早速泡の浮いた液体が入ったコップを片手に、三人で語らっていた。
澪のお父さんは辰男さんといって、お腹周りがしっかりしていて恰幅がよく、丸顔で温和な人柄だ。
俺の顔を見るなり立ち上がって、いつものようにいきなりハグをしてきた。
「よーお、宗君、久しぶり。元気にしてたか!?」
「はい、お陰様で……」
何のお陰かはわからないが、ひとまずいつものように返す。
そんな様子を見やりながら母さんが辰男さんに、
「今日は澪ちゃんはいないの?」
「ああ、今日と明日はいないみたいだな。友達とどこかへ泊りで行くってな」
「そうなのね。最近顔が見えないから、ちょっと心配でね」
「ああ、確かに最近、家で一人でいることが多いな」
不意に辰男さんが、そうだとばかりに一人で頷いて、話し掛けてきた。
「宗君、ちょっとだけ話さないか?」
「はい……」
「健治さん、信子さん、ちょっと宗君を借りるよ!」
うちの両親にそう投げかけて、俺の肩に手を回して、二階へと足を進めた。
俺の部屋の中に入ると、
「お、思ったよりも片付いているじゃないか」
「まあ、たまに澪が片づけを手伝ってくれてましたから」
「ふむ……」
辰男さんは軽く笑みを浮かべながら、よっこらしょと床で胡坐をかいた。
「なあ、澪のことなんだが……」
「はい」
「実は、今日の外出の相手は、君なんじゃないかって思っていたんだよ」
「は?」
予期していなかった話に、思わず顔が固まってしまった。
「泊りっていうからね、相手が誰かは、親としては気になるじゃないか。だからかなり突っ込んだんだけど、友達としか言わなくてね。女の子の友達同士なら普通すぐに答えが返ってくるんだが、今回はどうも様子が違ってね。だから……」
「そうなんですか……」
言いながら、胸のあたりがきゅっと締め付けられていく。
やはり澪は、今日は誰かと、恐らく京極さんと、出かけているのだ。
「すみません、俺はよく知りません」
と、精いっぱいの嘘をつく。
「そうか。けどね……」
辰男さんは少しの間考え込んでから、
「ちょっと前に、澪から相談されたんだよ。宗君と一緒に、お出かけしちゃだめかなってね。どこに行くんだって訊いたら顔が真っ赤になって、ちょっと遠いところへ行きたいって言うんだ。それで何となくピンときたんだが……」
そう言えば少し前に、澪とそんな話をした記憶はある。
ちょっと遠くへお出かけはしたいけど、泊りは親に話してからじゃないとまずいんじゃなかって、確かそんな。
「そんなことがあったから、もしかしてと思ったんだけどね」
「いえ……澪は澪で、色々とあるみたいですから」
「そうか…… 俺はね、相手が君だったらいいのになって思ったんだよ」
「え? それってどういう……?」
辰男さんからの意外な申し出に、頭がついて行かない。
「娘の親がこんなことを言うのも変なのだがね。いつかそんな日が来るんじゃないかってのは、何となく予想はしていたんだ。いや……予想というか、親の願望みたいなところもあったかも知れないけどね。ちょっと思っていたよりは、早かったがね」
「あの……」
「すまない。こんなことは、もちろん君の気持もあってのことだよな。けど澪のことでは、君には本当に感謝している。母親を早くに亡くして、父親一人で十分なこともしてやれず、ずっと寂しい思いをさせていた。そんな中、健治さん、信子さん、それに君に出会うことができた。それがどれ程、あいつにとって大きかったか」
息継ぎのためか、辰男さんは一呼吸おいて、
「親としては不甲斐ない話しだよ。けど、君と知り合ってから、あいつは自分の家にも戻らず、ずっと君と一緒にいるようになった。最初はちょっと変に思ったりしたんだが、多分その頃から、あいつにとって君の存在は、大きかったのだろう」
辰男さんとはこれまでも色々と話はしたけれど、ここまでのことを言ってもらったのは初めてだった。
何だか胸の中が、じーんとして熱くなった。
「ありがとうございます、でも……俺は何もしていません。何となく一緒にいて好き勝手やって。それに、こっちこそ、色々とやってもらって助かったし、ずっとそれに甘えていて」
「うん。それがあいつにとって、自分の居場所のように感じていたのかも知れないな。こんなことを言ってしまうと、君には迷惑かも知れないが」
「いえ、迷惑だなんでそんな…… 俺の方こそ……」
今まで澪とずっと一緒だったことを思い出して、胸が熱くなる。
一緒に学校へ行って、勉強して、買い物をして、ご飯を食べて、夜遅くまでくだらないことをして、休みの日も同じ感じで。
これだけ濃密な時間を共有して自然でいられる相手は、多分これからも他には現れないのではないかと思う。
将来別の人と結婚とかすれば、また別なのかも知れないけど。
「すまないね、これは俺の戯言だ。けど俺の中ではね、あいつを安心して任せられるのは、君しかいないとも思っているんだよ」
一通り言いたいことが言えたのか、辰男さんは俺の肩をポンポンと叩いて、部屋を出て行った。
そういえばと振り返ってみる。
澪はなぜ、今日のことを俺に伝えたのだろうか。
別れ際、「ばか」と叫ばれたけど、そこにどんな気持ちがあったのか。
思い上がった考えかも知れないが、もしかして、俺に何か言って欲しかったことが、他にあったんじゃないか。
いてもたってもいられず、さっと身支度を整えてから、部屋から出て階段を下りた。
顔を赤らめて盛り上がって、大声で笑いあっている大人三人に向かい、
「みんな、ごめんなさい。ちょっと出かけてくる。多分遅くなると思うけど」
そう伝えると、三人とも黙って笑って、手を振ってくれた。
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