第15話 祭りの夜

 家を勢いよく飛び出して、駆け足気味に駅へと向かった。

 夏の日差しはまだ高く肌を刺すように痛いが、今はそんなことは気にならない。


 額の汗を拭いながら、急ぎ電車に飛び乗って、外房祭りの会場へと向かう電車を検索する。

 今からだと、日が暮れて祭りがたけなわの時間には、辿りつくはずだ。


 澪宛てに『連絡をくれ』とメッセージを送るが、中々既読が付かない。


 現地へ乗り込んで行っても、どこで何をしてるのかも分からない。

 たとえ会えたとしても、今さらどうなるのかも分からない。

 けれど、とても部屋でじっとしていられる気分ではなかった。


 果たして会えるだろうか。 

 もし会えたら何て話そうか。

 俺自身が「頑張れ」と言っておきながら、今さらやっぱりやめとけなんてのは、普通は聞く耳を持ってもらえないだろう。

 相手の京極さんにも、失礼極まりない

 ただし、二股でなければだけれど。

 もし二股とかだったら、気持ち的には許せないし、何とかしたい。

 そんな相手に、大事な幼馴染を任せる気持ちには、なれないのだ。


 電車に揺られる時間が長く感じられる。

 途中で何度か電話も鳴らしてみるが、反応が返ってこない。


 気持ちは焦ってくるけれど、今はどうしようもなく。

 とにかく現地へ行って、一縷の望みに賭けたい。


 澪の真意はよく分からないし、自分自身の気持ちもはっきりとは分からない。

 けれど、澪と一緒に過ごしていた時間は失いたくない。

 これだけは確かだ。


 車窓から見える景色の中からコンクリートがだんだんと少なくなっていって、山野や海辺が広がっていく。

 沈みゆく太陽の残照が波間に煌めき、世界がオレンジ色に染まっている。

 そんな景色とスマホとを交互に見やりながら、電車に運ばれていく。


 出会った時のこと、ぎこちなかった中でお互いに言葉を探しながら仲良くなっていったこと、手をつないで学校に通ったこと、俺の好物をいつも作ってくれたこと、夜遅くまで意味もなく一緒に過ごしたこと、勉強を教えてくれたこと、いつの間に彼女は素敵な女の子になっていたこと……

 今までのことが、走馬灯のように思い出される。


 途中の駅から、祭りに向かうと思しき浴衣の集団が乗り込んできて、楽し気に喋っている。

 母親の膝に纏わりついている幼子の姿が、何とも心和む。


 完全に日が落ちて星が瞬く頃になって、ようやく目的の駅に着いた。


 これから打ち上げられる花火を目当てに、人波が駅から外へと流れていく。

 その中を掻き分けるようにして、ひとまず祭りの会場を目指した。


 たこ焼き、綿あめ、ミニゲーム、お面…… 色目も豊かな出店が軒を連ねる中、通路は大勢の人でごった返していて、思うように進めない。

 ――無理だ、これだけの人ごみの中で、たった一人を探し出すのは。


 そんな焦燥感が、じわじわと胸の中に広がっていく。


 多くの人が行き交う中でどうしようかと彷徨いながら、一件の出店が目に入った。


 ――ここで待っていよう。

 そう決めて、澪にメッセージを送った。


 海辺の方から『ドーン』という音が鳴り響き、そちらに目をやると、暗くなった空に色鮮やかな大輪の花が咲いていた。

 大小の光の華は浮かんでは消え、見上げる人たちの顔を明るく照らす。


 綺麗だ。

 そういえば去年は受験勉強をしていて、花火は見にいかなかったな。

 澪は行きたがっていたけど、確か俺が人ごみは嫌だと言って渋ったのだった。

 

 今年はきっと、どこかで見ているのだろう。

 同じ夜空を、違う場所で。


 やがて光の明滅が止んで、空に静けさが戻ると、家路を急ぐ人たちの列ができた。

 だんだんと周りの人影がまばらになり、華やいだ祭りの後の寂しさのようなものが広がっていく。

 

「はあ―― ……」


 深いため息を1つついて、その場から去ろうとしたとき、


「なにしてんの、こんなとこで?」


 それは聞き覚えのある声だった。


 振り返った先に、余所行き用にお洒落した姿の澪が立っていた。

 不機嫌そうな目で俺を見ながら。


「……見ての通り、お前を待ってたんだよ」

「……探しちゃったわよ。りんご飴屋さんて、いくつかあったから」

「え、そう?」


 俺が待ち合わせ場所に指定したのは、りんご飴屋さんの前だった。

 メッセージに『またりんご飴を買ってやるから』と追記をして。


 昔両方の家族で近くのお祭りに言った折、俺と澪は大人とはぐれてしまった。

 まだ小さかった澪は泣きじゃくってしまい、彼女の手を引いて人ごみの中を歩いた。

 やがて歩き疲れた時、目の前にりんご飴屋さんがあった。

 当時はなけなしだった百円玉を搔き集めて、それを澪に買ってやった。

 澪は泣き笑いしながら、「美味しい」と言ってそれを頬張っていた。

 俺が澪にした最初のプレゼントがそれだった。


「買ってくれるの? りんご飴」

「ああ」


 既に片づけを始めていた店主にお願いして、りんご飴を1つ買った。


「はい、どうぞ」

「ありがとう」


 澪は小さな口で、それを一口かじった。


「宗が最初にくれたものって、これだったよね」

「ああ、知り合ってすぐの頃にな」

「……美味しい」


 そっと目を閉じて、やわらかに呟く。


「一緒に帰ろう、澪」

 

 俺は思っていたことを、そのまま口にした。


「宗……」

「そのために待っていたんだ、ここで」

「……どうして、今更……」


 伏し目がちで戸惑いの表情を浮かべる澪に、


「嫌なんだよ。お前が他の奴と一緒にいるのが」


 他に気の利いた言葉なんて見つからない。

 自分の思いをそのまま伝えるしかないと腹に落として。


「だって、応援する、頑張れって言ったの、宗じゃない」

「ああ、確かに言った。でも気が変わった。というか、後になって嫌だってのに気づいたんだ」


 俺のそんな勝手な言い分に、澪が眉根をひそめる。


「そんなの勝手だよお。だから私、迷ってたから、宗にも相談したのに……」

「すまん、そこは謝るしかない。けど今は、本当にそう思ってる」

「だって、宗だって、朱里と色々やってんじゃん。それに今、京極さんを待たせてあるんだよ?」

「……澪が嫌なら、梅宮さんとは会わないようにするよ。それに、京極さんとは、俺が話をつけるから」

「!」


 澪の表情が、困惑から驚きへと変わった。


「ちょっと待て、どうしてそんなことするのよ? 京極さんに、一体何を話すの!?」

「俺と澪との関係を壊したくないから、身を引いてくれってさ。聞いてもらえるかどうかは分かんないけど、精いっぱいやってみるよ」

「無茶苦茶よ、そんなの! OKする訳ないじゃない!!」

「かもね。いざとなったら、ぶん殴ってでも、挑んでみせるさ」

「宗!!?」

 

 澪が小さな両手で、ぐっと俺の両腕を掴む。


「やめてって、お願いだから。ひ弱なあんたが、あの人にかなう訳ないじゃない!」

「わかんないよ? 窮鼠猫を噛むって言葉だってあるんだから」

「もう……」


 澪はあきれ顔で、深くため息をつく。


「……ね、なんでそんなことしようと思ったの? わざわざこんな所まで来てさ?」

「それは、澪との今までの関係を、壊したくなかったから……」

「だから、それってなんで?」

「……よく分からないんだ、何でなのか。でも最近、1つ気づいたんだ。澪と一緒にいられた時間は、俺にとって心地よくて、楽しくて、たまに面倒くさい時はあるけど、でも絶対に無くしたくないものなんだって」

「……一言多くない、それ?」

 

 一瞬、澪がくすりと笑った気がした。


「ごめん…… でも、もしかしてお前の方も、俺と一緒なんじゃないかって思ってさ。だから……」

「私も、宗と同じだって言うの?」

「うん……間違ってたら、ごめんだけど」


 澪は俺から手を放して、空に向かって顔を上げてから、大きなため息を吐いた。


「分かってないな、宗は」

「そうか?」

「うん。分かってない。私は、ちょっと違うよ、宗」


 そうか。

 澪の気持が全部分かっているなんて、それは自惚れもいいとこだろう。

 俺の独りよがりだったなら、それ以上言えることは無いのかも知れない。


「でも、言いたいことは分かったから」

「……澪?」

「もし私が、嫌って言ったら、宗はどうするつもりなの?」

「ま…… かついで帰るって言いたいとこではあるけど、お前重そうだしな」

「もう…… 真面目な話しをしてるのに」

「すまん……」

「駅で待ってて。ちょっとあの人と話してくるから」


 そう言い残して、澪はその場に俺を置いて、片づけが進む出店が並ぶ小道の向こうへと消えていった。


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