第16話 祭りの後

 澪はどういうつもりなのだろう。

 駅で待って一緒に帰ろうということか、それとも一人で帰ってというつもりなのか、それはまだ分からない。


 とにかく言われた通り、ここに来るときにくぐった改札の前で、じっと待つことにした。


 家路へと向かう人並みのピークは過ぎつつあるが、まだ人影が途切れる気配はない。

 駅の周りで祭りの余韻に浸る若者も、まだまだ目にすることができて、賑やかに祝杯を上げている。


「わっ、痒ゆ!」


 駅の灯りに羽虫が寄ってきて、手足にまとわりついてくる。

 こんな大事な時に、余計な奴らだ……

 と、虫に言っても仕方がない。

 そんな中でも、ひたすら待ち続ける。


 時間が経って、人影がどんどんと少なくなって、数えるほどになっていった。

 人々の喧騒から、夜の静寂へと、周囲が変わっていく。

 相変わらず、澪が現れる気配はない。


 何とか、澪に会えてよかった。

 結果はどうであれ、やれることはやったと思いたい。

 そう自分に言い聞かせて待ち続ける。


 もしダメだったら、本当に担いで帰ろうか。

 そんな冗談を自分の中で反芻して、気分を落ち着かせる。


 不意に、遠くの街燈に照らされた人影が近づいてくる。

 それはどんどんと大きくなって、俺の目の前で立ち止まった。


「おまたせ」

「……遅かったな」

「うん、色々と話してたから」


 小脇に大きな鞄を抱えた澪がそこにいる。


「で……どうだった?」

「……一緒に行くよ、宗と」

 

 その一言を耳にして、俺の全身から一気に力が抜けた。

 多分、顔面もだらしなく緩んだことだろう。

 そんな俺を見て、


「頑張ったね。お疲れ様」

 

 澪はそう呟きながら、小さく柔らかい手で、俺の頭をそっと撫でた。


「澪、大変だったんじゃないか?」

「そりゃあね、色々と言われたよ。宗のことを話したら、そんなやつぶっ殺してやるって」

「え……まじで?」

「うそ」

「おい」

「はははっ。嫌そうだったからさ、気になってたことを訊いたのよ」

「気になってたこと?」

「私の他に、女の人いないの? って」

「……知ってたのか?」

「そりゃあね。他の人が噂してること、私が知らないわけないじゃない」

「じゃあ……」

「うん、クロだったみたいね」


 その一言を喋った時の澪は、切なくて辛そうだった。


 ここはあえてあまりつっこまないし、そっとしておきたい。

 相手のことを信じたい気持ちも、どこかであったのかも知れないし。


「すまない。苦労をかけた」

「ほんとよ。この埋め合わせは、きっちりとしてもらうからね」


 ほっとして静かに余韻に浸りたいが、そうも言っていられない。

 腕時計に目をやると、もう終電の時間ギリギリだった。


「じゃ、行こうか。今なら終電に間に合うから」


 そう言って歩きかけると――


「澪?」

「……」


 澪が、その場から動かない。


「澪、急がないと」

「……待って」


 そう言って、俺の腕を掴む。

 そのまま時間が過ぎて、最終の電車が駅から離れて行った。


「なあ、澪、これって……」

「電車、乗り損ねちゃったね。どっか泊まるとこ探さないと」


 小さく舌を出して悪戯っぽく微笑む澪を見て、俺の心は跳ねた。


 それから、駅から近くにあった民宿に駆け込むと、どうにか空いている部屋がありそうだった。


「お二人で一部屋、朝食付きでよろしいんですよね?」

「あ……はい、それでお願いします」


 澪と目配せをしながら、そう応えた。


「どうぞこちらへ」


 フロントにいた初老の男の人に案内されて、部屋に向かった。


「あっち向いててくれる?」


 通された部屋の中で、俺が窓の外を見ている間に、澪は部屋に用意されていた浴衣に着替えて、


「お風呂入ってくるね」


 と小さな声で言って、部屋から出て行った。


 平静を装いながらも、俺の中では早鐘を打つように、胸の鼓動が激しくなっていた。


 澪と二人だけの時間は今までに数えきれないくらいあったけれど、今日のそれは違ったものだ。

 突発的とはいえ、旅先で二人きりの夜、これからのことを想像して、顔が熱くなる。


 こんなことになるとは全然予想してなかったけど、一応、エチケットは準備してある。

 けれど……

 俺の中で、どうにも止めがたい思いと、それを押しとどめたい思いとが、せめぎ合っている。


 ひとまず大浴場で湯に漬かって、少しでも気持ちを落ち着けようと試みる。

 湯船の温もりが、じんわりと体に染み渡る。


 思い起こすと、あり得ないような一日だった。

 自分のことはともかく、澪には心からありがとうと言いたい。

 心持、いつもよりも念入りに体を洗った。


 部屋に戻って窓辺に座り、夜空を眺めていると、風呂上りの澪が戻って来た。

 まだ少し髪の毛が濡れていて、頬が上気して赤く火照っている。


「気後ちよかったね」

「ああ、そうだな」


 俺の目の前の椅子に、彼女が向かい合って腰を下ろす。


「澪、ありがとうな」

「え?」

「いや、俺の我がままに付き合ってくれてさ」

「ううん、こっちこそ、来てくれてありがとう……ちょっと遅かったけどね」

「はは、違いない……」


 俺は、ここしばらく澪と喋れていなかった分を取り戻すかのように、沢山のことを口にし、彼女も嬉しそうにそれに応じてくれた。


「ふああ……」


 他愛のない雑談を重ねているうち、澪が眠そうに欠伸をした。

 無理もない、今日はそっちも疲れただろう。


「そろそろ寝るか?」

「……うん」


 布団を二組敷いてから電気を消して、それぞれで横になる。

 体は疲れているはずなのに、気持ちが高ぶっていて寝付けそうにない。

 何度か寝返りを打ちながら、気持ちを落ち着けようと試みるが、あまり効果が無い。


「宗……」


 暗がりの中、微かに声がした。


「なんだ?」

「そっち行っていい?」


 胸がとくんと高鳴って、それはどんどん大きくなっていく。


「うん……」


 澪がそっと起き上がって、俺の布団の中に潜り込んでくる。

 背中を向けている俺に、


「ねえ、こっち向いてよ」


 言われるがままに、体を捻って澪に向き合うと、甘い香りが鼻の奥へと流れ込んできた。

 彼女は子猫がうずくまるように、俺の胸の中に顔を埋める。


 このまま抱きしめていいのか?


 どうしてよいか分からず逡巡していると、不意に右手が引っ張られる感覚がして、手のひらが温かく柔らかいものに触れた。

 澪が俺の手を両手で握り締めて、自分の胸に押し当てていた。


「澪……?」

「……いいよ、宗……」


 胸の高鳴りが最高兆に達し、もう一人の俺が起き出して自己主張を始める。

 手の中に入りきらない膨らみに触れて指に力をこめると、程よい弾力が伝わってきて、


「あ……」


 澪の湿った唇から、甘い声が漏れた。

 指の動きを強めると、その度に微かに澪が身を震わせ、甘く切なげな吐息が漏れる。

 

 しばらく至福の時を貪ってから、俺は澪の体から手を離した。


「宗……?」

「ごめん、澪。俺にはまだ、早い気がするんだ」


 暗闇の中で、澪の大きな瞳が、震えながら光っている。


「どういうこと?」

「俺さ、もっとお前のことが好きになってから、こういうことしたいって思うんだよ」

「……え?」

「俺達って、ずっと幼馴染として一緒に過ごしてきたけど、でもなんていうか、それ以上の関係で過ごしたことって、まだ無いというか……」

「……」

「だから、もっとちゃんとお前と向き合ってから、そういう関係になれたらなって思うんだ」


 うまく説明はできないけど、今このまま進んでしまうと、途中の大事なものを全部すっとばしている気がして。


 澪のことは嫌いじゃない、むしろ、多分、好きに近いんだと思う。

 だからこそ、そういったことは曖昧にせずに、大事にしたい。

 そんな気がした。


 暴走してしまいそうな俺が猛烈に暴れているのは分かるけれど、でも、それに待ったをかける俺の方が、僅差で上回ったのだ。


「宗は、それがいいの?」

「……うん」

「後で後悔するかもよ? こんな可愛い子とエッチできるチャンスなんて、そうそうないんだから」

「直接的だな、お前」

「へへ……」

「おいしい物は、後にとっておいた方が、楽しみが増えるんだよ」

「私は食べ物かよ?」

「そうさ。そのうち、美味しく頂いちゃうかもよ?」

「きゃああ、怖い~!」


 澪は両方の手を俺の背中にまわしてきて、しっかりと体を密着させた。


「じゃあせめて、このくらいはいいでしょ?」

「ああ」


 それに応えるように、俺も両手でしっかりと抱きしめて、温もりを確かめ合った。


「宗、私のこと、大事に想ってくれたんだね……」


 そう言って澪は、だんだんと静かになっていった。


 それから彼女の寝息を聞きながら、結局俺は、朝まで一睡もできなかった。



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