第17話 一夜明けて
長かった夜が明けて、窓から明るい光が指し込んでいる。
うつうつと微睡んでいると、「おはよう……」と小さな声がした。
澪は俺の腕枕から頭を上げることなく、眠そうな目で、じっと俺の顔を見つめている。
指先で、つんつんと、俺の薄い胸もとをつついてくる。
「なんだ?」
「んーん、何でもない」
そう言って、俺の胸元に顔を埋めてきた。
「眠れた、宗?」
「いや、お前の寝顔を見てて、ほとんど寝ていないよ」
「ちょ…… なに言うのよ、もう」
恥ずかしさからなのか、澪はもっと強く、ぐっと俺の方に身を寄せた。
俺の方も気恥しさはあるけれど、でもこうして一緒にいる安堵感の方がそれよりも上で、意外と落ち着いている。
結局昨夜は、ちょっとだけ澪の大きなおっぱいを堪能した以外は、何もなかった。
その時の感触は、何となくだけれどまだ右手に残っていて、思い出すとろけそうになる。
勿体なかったかなという思いもゼロではないけど、こうして澪ともとの関係に…… いや、もうちょっと深い関係になって、穏やかな朝を迎えられたことの方が、俺にとって大切に思えた。
きっと彼女も同じ思いのなのだろうと、信じたい。
「なあ。朝ごはん行こうか?」
「うん……でも、もうちょっと」
それからもうしばらく、そのまま二人で、同じ布団の中で寄り添いあった。
二人とも重たい目を擦りながら、浴衣のままで食堂へと向かう。
今日は日曜日ということもあってか、何組かの男女や家族連れが、朝食を前にしてのんびりと寛いでいた。
昨夜はばたばたでよく分からなかったが、ここは家族経営的な小さな民宿で、建物や部屋の造りは民家を改造したものっぽかった。
「和食と洋食、どちらになさいますか?」
「あ、じゃあ和食で」
「俺もそれで」
白いエプロン姿のおばさんにそう告げて、二人で見つめ合った。
目が合うと、なんだか照れくさく感じる。
澪の方も同じなのか、目線を逸らして、頬を赤らめている。
焼き鮭に味噌汁に味付け海苔…… 運ばれてきた料理を箸でつつきながら、
「今日、どうしようか?」
「そうよね、どうしようか……」
家の方には、澪は友達とお泊りだと伝えてあるし、俺はと言えばちょっと出かけてくると言って、そのまま戻らなかった。
このまま二人そろって顔をみせたら、何を言われるか分かったものではない。
「二人別々に、戻ったらどうかな?」
「それだと、宗はどうするの?」
「……友達の家に泊まってたとかって」
「急に家を飛びだしておいて、それ?」
「ちょっと無理か?」
「どうせ真野君の家ってことなんでしょ? なんで急に飛び出して、そんなことになるのよ?」
確かに無理がある。
真野の家に行ってすることと言ってもゲームかアニメくらいしかなく。
真野にでも頼んで口裏を合わせてもらおうかとも思ったが、親同士で確認がされたら、あっさりと嘘がばれてしまう。
「じゃあこうするか。澪と一緒に過ごすために、俺がここに来たって」
「ええっ!? それって、まんまじゃん?」
「二人でってことじゃなくて、元々の澪との友達と一緒ってことでね。俺がどうしても一緒にお祭りに行きたいって、駄々をこねたんだ。時間を忘れて遊んでたら、終電を逃したってことでね」
「なるほどね。後は私が、どうお父さんを信じ込ませるかってことよね」
「うん」
「でもそれって、宗は恰好悪すぎない?」
「ま、まあ、俺は、別にいいよ」
多分こんなことをしても、辰男さんはうすうす勘づくような気はしている。
けれども、何か理由をつけた方が、娘の父親の対しての気づかいのように思う。
実際には、澪と間にはほぼ何もなかったのだけれど、お泊りについて変に澪の方に飛び火するようなことは避けたい。
「ねえ、私って今日友達と一緒ってことなんだから、帰るのはもっと後でもいいよね?」
「……お前なかなか肝が太いな」
「そっちこそ、こうなった以上、もっとどんと構えたまえよ」
食後のお茶を啜りながら、もうちょっとこの辺をぶらついてから、昼から家に帰ろうかとうことになった。
俺の方はひとまず、親に連絡を入れておこう。
家の電話にコールを入れると、「もしもし」と聞き慣れた声がした。
「あ、母さん?」
「あら、宗なのね。元気にしてる?」
「うん。細かくは帰ってから話すけど、今はまだ外なんだ」
「もしかして、澪ちゃんと一緒?」
「……うん。それと、澪の友達とね」
「ふーん。ま、分かったから、今日はあまり遅くならないようにね」
どんな反応になるのか心配だったけど、意外とあっさりしていて、拍子抜け気味だ。
嵐の前の静けさとかでなければよいけども。
宿泊代の支払いを済ませて、辺りをぶらっと歩いていると、真っ青な空の下、白く輝く砂浜が広がっているのが見えた。
ずっと彼方まで紺碧の海が続いていて、白く泡立った波が砂の上に寄せては返す。
風が潮の香を運んで来て、緩やかに澪の髪の毛を揺らす。
「わー、気持ちいい。何だかんだで、来てよかったね?」
「そうだけど、今度からは、もっと気楽な旅がしたいよ」
「じゃあまた、どっか連れてってくれたまえよ」
「俺はインドアでも、全然いいんだけどもな」
「ふふっ、その割には、今回は頑張ったよね」
「……来なきゃよかったかな、やっぱ」
「ダメ」
そう言って、二の腕をぎゅっと抓られた。
少し離れた場所には、海岸線に沿って簡素な建物やパラソルが並び、ちらほらと水着姿が確認できる。
「水着も持ってくればよかったなあ」
「そっか。お前泳ぎも得意だっけかな」
「まあそこそこはね。そういう宗は、ビート板にバタ足の感じだっけ?」
「いいんだよ。そもそも陸の生物が、海に入る必要なんてないんだ」
「あら、私たちのご先祖様って、海の中にいたんじゃないかしら?」
「俺はそんな連中、見たことも会ったこともないからな」
水着がないので海の中には入れないが、海の家で寛ぐことくらいはできるだろう。
周りを散策してから、ログハウスっぽい店に入って、焼きトウモロコシや飲み物を注文してひと息つく。
海風がそよぎ込んできて、肌に心地いい。
「なんかこれが、お泊りデートみたいになっちゃったね」
「デートっていうには、ちょっと重た過ぎる感じはあったけどなあ」
「じゃあやっぱ、またどっか、別で行きますか?」
「ああ、財布の中身とも、相談しながらだけどな」
「確かにね。お父さんに、おねだりしとこうかな」
何だかんだで、電車代と宿泊代はばかにならず、当面緊縮財政を余儀なくされるだろう。
しばらくはまた、家で過ごす日々が続くかも知れない。
夕方には家まで辿り着けるように、早めに電車に乗った。
人影がまばらな車内で、肩が触れ合うくらいの距離で、澪と並んで揺れていく。
来たときとは違って、車窓に流れる風景や揺れが心地よく、まったりとした時間が流れる。
澪がこてんと頭を傾けて、俺の肩の上に乗せてくる。
その重みとほんのりとした温かさを感じながら横に目を向けると、彼女は幸せそうに口元を綻ばせていた。
俺の方も思わず笑みを浮かべると、
「何よ?」
「いや、可愛いなと思って」
「……今頃気づいたか、ばか者め」
「いいや、ずっと前から、そう思っていたさ」
「そ、そお?」
「ガキの頃の方が、可愛かったかも知れないけどな」
「もう……どうしてそこで、ちゃかすのよ?」
「はは、悪い」
そのまま二人で寄り添ったまま、いつもの街の喧騒の中へと戻って行った。
一旦さよならして、それぞれの家に向かった。
鍵を開けて中に入り、
「ただいまあ」
「あ、帰ってきたわね」
居間のソファに腰掛けて、父さんと母さんが寛いでいた。
「ごめんなさい」
ひとまず、昨日何の連絡も入れずに外泊したことを詫びて、澪との打ち合わせ通りに、俺が彼女を追っかけて行って、彼女の友人とも一緒だったと打ち明けた。
父さんも母さんもほとんど表情は変えず、
「まあ無断外泊は褒められたもんじゃないが、お前もそんな年になったんだな」
「澪ちゃんとは、ゆっくり話せたの?」
「まあ、うん。友達とも一緒にね」
「じゃあその友達も、今度連れてきてもらおうかしら?」
意地悪く笑う母さんを見て、もしかして全部お見通しなんじゃないかと、心配になった。
夜の帳が下りる頃、玄関のほうからインターホンが鳴った。
「はいはい…… あ、いらっしゃい、澪ちゃん!」
「お邪魔します、おばさん!」
どうやら俺たちの日常が、また戻ってきたようだ。
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