第5話 ニアミス

「じゃあ、どうぞ」

「お、お邪魔します……」


 自分の家に入るのにこんなに緊張して、胸が高鳴るのは初めてだ。

 梅宮さんも緊張した面持ちで、後ろからついてくる。


 流石に自分の部屋に連れ込むわけにはいかないので、キッチンの隣にある居間のソファに腰掛けてもらった。


「コーヒー、紅茶、日本茶、どれがいいかな?」

「じゃあ、コーヒーを」


 キッチンでポットを火にかけてから、約束した本を二階の部屋へ取りに行く。

 部屋の片隅に山積みになった本の塊があって、その中から見つけ出した。

 しばらく触ってなかったためか埃を被っていたので、手でぱっぱと払い落した。


「はい、これ」

「ありがとう」


 文庫本を受け取った梅宮さんは、きょろきょろとして落ち着きがない。


 何か喋ろうと考えてみるけれど、なかなか気の利いた言葉が浮かんでこない。


「まあ、楽にしてよ。何にもない家だけどさ」

「ごめんなさい。男の子の家に来るのって初めてで、何だか落ち着かなくて」

「そっか、俺も、女の子を呼ぶのは、初めてだよ」


 と言いながら、幼馴染の澪は、カウントには入れないことにして。


 いつもは優しい笑顔を振り巻いて人の輪の真ん中にいる梅宮さんが、今は小さく縮こまっていて、何だか可愛らしい。


「はい、どうぞ」

「ありがとう」


 入れたてのコーヒーカップを二つ、テーブルの上に置くと、梅宮さんはミルクだけを入れて、カップに口を付けた。


「はあ、美味しい……」 


 温かいものを体に入れて、彼女は少し落ち着いてきたようだ。


 けれども、なかなか話が弾まない。

 学校では梅宮さんが気を使ってくれて話が続いたけれど、その梅宮さんはまだ緊張が解れ切っていない。

 こういう時って、何を話したらいいんだろうか?

 経験値の無い頭で、必死に考える。


 ―― 恰好つけても仕方がない。

 そう思い直して、普通に思うことを口にした。


「梅宮さん、今日は本当にありがとう。いっぱい話せて楽しいし、おまけに家にまで来てくれて」

「あ、その……こっちこそありがとう。押し掛けちゃったみたいでごめんなさい…… 私も楽しかったから、つい……」

「ううん、全然。ところで、梅宮さんは、お休みの日とか、どうしてるの?」

「えっと、そうだなあ。友達とお買い物に行ったり、家で本を読んだりとか……匠君は?」

「家にいることが多いよ。本読んだりアニメ見たり、あと将棋指したり」

「将棋って、家族の人と?」


 一瞬澪のことを言いかけて、慌てて口を噤んだ。


「うん、まあ、そんな感じかな……」

「そう言えばさ、匠君のお部屋って、他にあるの?」

「ああ、まあね。散らかってるけど、見てみる?」

「……うん」


 梅宮さんを二階の自分の部屋のドアの前まで連れて行って、深呼吸をする。

 さっき入った時、見られたらまずいものがないことは、念のため確認してある。


 ドアを開けると、ベッドにクローゼットに勉強机、それに書棚が壁際に配置された、いつもの光景があった。

 書棚の脇には、入りきらない本の束や、アニメのDVDやらが、うず高く積まれている。


「ふうん。男の子のお部屋って、こんな感じなのね」

「いや、ここはかなり俺の趣味が入っているからさ。他の男子は、また全然違うと思うよ」

「……入っていいの?」

「あ、どうぞ……」


 匠宗一郎が、初めて自分の部屋に、女の子を招き入れた記念すべき瞬間である(ただし、澪を除いては)。

 しかもその相手が梅宮さんになろうとは。

 運命の神様がいるのなら、感謝してもしきれない。


「やっぱり、本がたくさんね」

「ああ、何か気になるのがあったら、持ってってもいいよ?」

「今日はいいかな。さっき借りたやつで。また今度、別のやつ貸してよ」

「ああ、それはいつでも……」


 二人とも本が好きなので、その話題だと何とか話が続いていく。

 ベッドの上に並んで腰を下ろして、とるに足らない談笑をしていると、『ピンポーン』とインターホンが鳴った。


 途端に、俺の全身から、さっと血の気が引いていく。


 両親が帰ってきたのか、そうでなければ宅配便の人くらいか、あと他には一人しかいない。

 梅宮さんにことわりを入れてから、猛ダッシュで玄関へと向かう。


「お邪魔しま――んぐ!?」


 合鍵でドアを開けて入ってこようとする澪の口を手で押えて、無理やり家の外に押し戻した。

 後ろ手でドアを閉めて、澪の口に当てていた手を外して。


「ちょ……なに、一体!?」


 流石に驚いたようで、目をぱっちり開けて唖然としている。


「すまん、ちょっと都合があって、今は帰ってくれ」

「え、でも、夕ご飯の材料を買ってきてて……」

「すまん、また連絡するからさ」


 澪の手から買い物袋をひったくって、いそいそと家の中へと戻った。


「誰かお客さん?」

「うん、近所のおばさんからお裾分けがあってさ、ははは」


 それからまた並んで座ってお喋りに興じて、梅宮さんを駅まで送って行った時には、夜の8時を回っていた。


「遅くまでごめんね。今日はありがとう」

「こっちこそ、わざわざここまでありがとう。気を付けて帰ってね」

「うん、またね」


 そう言って、梅宮さんは、改札の向こう側へと遠ざかっていった。


 もうこんな一日はないだろうと思えるくらい、今日は俺にとっては夢のような時間だった。

 体の奥からじんわり湧き上がってくる疲労感と充実感に浸りながらの帰り路。


 しまった、忘れていた。

 急いで澪の電話を鳴らす。


「もしもし?」

「よ、さっきは悪かったよ」

「もしかして、誰か来てたの?」

「まあ、うん、そんな感じで……」

「……私と会わせたくない人?」


 女のカンというやつだろうか、全く当たっているけれど。


「いや、そうでもないけど、いきなり女の子が尋ねてきたら、誰だってびっくりするだろうからさ」

「ふうーん、まあいいわ。ご飯はどうしたの?」

「いや、まだ食ってない」

「じゃあ、今からそっち行くわよ。おじさんやおばさんの分も作ってあげたいし」


 澪はそう言って、電話を切った。


 再び俺の家を訪れた澪は、いそいそとキッチンにあったエプロンを羽織りながら、くんくんと鼻を鳴らした。


「あれ、なんだこれ?」

「? どうかしたか?」

「なんか匂う」


 澪は居間のソファの辺りをくんくんと嗅いで、不敵な笑みを浮かべた。


「女だね? しかも若い」

「は、何で……?」

「ふふっ、図星だね」


 俺自身は気づかなかったが、多分化粧品とかシャンプーとか、そういった類の残り香があったのだろう。

 澪は梅宮さんが座っていた席にどかっと腰を据えて、腕と脚を組んで、じっとこちらを睨みつけている。


「何で分かったんだ?」

「ふっふっふ。別に理由なんかないわよ。かまかけただけだから」

「は?」

「こんな手に引っかかるとは、お主もまだまだよのう」


 やられたと後悔するが、もう遅い。


 観念した俺は正直に、梅宮さんが尋ねて来たことを白状した。

 澪は表情を変えずに、じっと話に聞き入ってから、


「ふーん。宗が女の子を、家に連れ込むようになるとはね。それも、こんな時間まで」

「……」

「しかも、学園一の美少女と名高い子をね」

「………」

「それも、意中の子でしょ?」

「いや、意中というか、なんかいいかなってだけで……」

「だって、そうじゃない子だったら、わざわざ家まで呼ばないでしょ?」

「まあ、うん、確かに……」

 

 澪は少し俯き加減になって、俺から目を逸らした。


「まあお姉さんとしては、その成長は感慨深いというか……」

「おい、誰がお姉さんだよ。どっちかっていうとお前が妹なんじゃね?」

「どっちでもいいわよ、そんなの!」


 澪はさっと立ち上がってキッチンの方へ戻ると、トントンと包丁をふるい出した。


「で、エッチなことはできたの?」

「はあ? ば、馬鹿言ってんじゃねえよ。するわけないだろ、そんなこと!」

「ふーん」


 ――ちょっと機嫌が悪そうだな。

 うまく言えないけれど、話していて、普段おちょくられたり怒られたりするのとは、また違った感じがして。


「なあ、怒ったか?」

「……別に。なんで私が怒るのよ?」


 背中越しに、明らかに不穏な空気が伝わってくる。


 そんな時でも、澪の料理は美味かった。

 夜も遅いから手抜きねと言いながらも、買って来た魚や冷凍庫で眠っていた餃子などが食卓に並び、俺の食慾を十分に満足させてくれた。


 明日にでも、なにか埋め合わせをしようか。

 

 あ、そうだ。

 

「なあ澪、真野からアニメのブルーレイ借りたんだけど、見るか?」

「え? どんなやつ?」

「異世界のラブコメ物」

「うーん、ちょっとだけ見ようかな。もう結構遅いし」

「じゃあとりま、一話だけな」


 そう言いながら、明日が休みだということもあって、母さんが戻ってくるまでずっと、観賞会は続いたのだった。











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