第29話 梅宮朱里
この学校に入学してからもう3カ月ほど、私は毎日を楽しく過ごしている。
たくさんの友達に恵まれて、いつも色んなお話をして、お休みの日には友達と一緒にショッピングやゲームセンターに行ったり、噂のお店の前で長い時間並んだり。
勉強の方は――
もうちょっと頑張らないといけないな。
大好きな国語は、テストでいい点をとれたけれど、それ以外は普通。
夏休みは図書館にでも行って、気合を入れて頑張ろう。
時々男の子たちから、「付き合って欲しい」と告白される。
その気持ちは嬉しいけれど、何だか恥ずかしくって、いつも戸惑ってしまう。
私は男の子とお付き合いをしたことがなくって、付き合うということがどんなことなのかも、よく分からない。
一緒にいたいかどうかでいうと、どうかな……
そう思って、みんなには申し訳ないけれど、お断りをしている。
ちょっと心が痛むけれど、今の私にとって、そう思えるような人がいなかった。
ごめんね、みんな。
ありがとう、こんな私を好きになってくれて。
ある日の帰り道、電車の中でいつものように本を広げていると、目の前の席に、見覚えのある顔が目に入った。
確か―― 匠君、同じクラスの。
まだ話をしたことは、一度もないはず。
あまり目立つ方ではないけれど、よく決まったお友達と、何かの話題で笑い合っていたっけ。
彼は私には気づいていない様子で、じっと手元の本に見入っている。
ブックカバーを掛けていないので、何のタイトルかは、目のいい私なら分かる。
――あっ!
今私の手元にあるのと、同じ本だった。
この人も、私と同じものが好きなんだろうか。
そういえば、クラスの他の友達とは、そんな話をしたことがなかったな。
電車に揺られながら、ちらちら彼の方に視線を送ってみるけれど、全く私に気づく気配がない。
電車から降りるために彼のすぐ傍に立って覗き込んでも、彼は目線をこちらにくれない。
「巧君?」
ほとんど無意識に、口が動いていた。
急に声を掛けられた彼は驚いた様子で、私を見上げている。
もう降りなきゃ。
「それ、私とおんなじ。面白いよね?」
それだけ伝えて、駅のホームに降り立った。
次の日の教室での彼は、何事もなかったかのように過ごしている。
急に話しかけて、驚かせて申し訳なかったかなと思って一言謝りたかったけれど、なかなかきっかけがつかめない。
それとも彼は、わたしのことなんか、気にしてないのかな。
それならそれで、ちょっと寂しいな。
放課後、思い切って、彼に話し掛けてみることにした。
初めての人と話をするのは、いつも緊張する。
気持ちを落ち着けて、
「匠君?」
返事がない。
何かに熱心に見入っているみたい。
手書きでたくさんのことが書き込んであるノート、それって……お話を考えてるの?
「匠君!」
もう一度名前を呼ぶと、こっちを向いてくれた。
なんだか、また驚かせてしまったみたい。
少しずつ話している中で、彼は意外なことを口にした。
「梅宮さんって、剣姫に似てるね」
それは、二人が今読んでいる物語の表紙に描かれている、メインキャラクターの一人だ。
長い銀髪が印象的で、目鼻立ちが整った美人、とても強くていつも冷静沈着で負け知らず。
私の好きなキャラクターだ。
それに私が似てる?
どうしてだろう、私はそんなに綺麗でもないと思うし、ダメダメでできないことばっかり。
でもそんなふうに言われたことは初めてだったので、心が躍った。
好きなことが同じで、喋っていて楽しい。
もっとお話しがしたいなと思って、気づけば、
「お話を考えてるんだったら、文芸部に入ればいいのに」
と口にしていた。
私も先輩から誘われていて、そこでなら、もっと色々と話せるんじゃないかって思った。
部室に立ち寄ってからの帰り道も、やっぱりそんな話をしながら。
彼は、他にお薦めの本を貸してくれるという。
彼が言うのなら、きっと面白いんだろうな、早く読みたい。
そこでふと、その日が金曜日だったことに気づいた。
そのことを口に出すと、彼はこれから家まで取りに戻ると言ってくれる。
申し訳ない気持ちでいっぱいになったけれど、その優しさに気持ちが和んで、ついお願いしてしまった。
駅のどこかで待っていようかと思ったけれど、せっかく一緒なのに離れてしまう時間が勿体なく感じて、お家までついて行こうか、と訊いてみた。
随分と図々しいと思われたかも知れないけれど、以外にも彼はあっさりとOKしてくれた。
ここが彼のお家なんだとしげしげと眺めていると、突然彼が言った。
「良かったら、お茶でも飲んでく?」
意外な一言に、胸がきゅっとなって、戸惑ってしまった。
男の子の家になんか行ったことがないし、それに二人きり……?
緊張で、足が竦んでしまう。
彼はすぐにそれを取り消して、恥ずかしそうに笑いながら、一人で家の中に入ろうとする。
きっと私のことを、気づかってくれたんだ。
なんだか、この人なら大丈夫そう。
せっかくここまで来たんだから、中に入らせてもらうことにした。
何事も、いい経験。
でも中に入ると、何だか緊張して落ちつかない。
お話も弾まず、ちょっと気まずい雰囲気。
『ピンポーン』
急に、来客を告げるインターホンが鳴った。
何だか彼が慌てていて、ばたばたと玄関に向かっていった。
戻ってきた彼は、なぜか買い物の袋を下げていて、照れくさそうに私に笑い掛けた。
もしかして、女の子が訪ねてきているのを、隠したがってたの?
多分、そういうのに、慣れていないんだ。
そう思うと何だか彼が可愛く思えて、気持ちが楽になった。
時間を忘れて喋っていて、つい長居をしてしまった。
ごめんね、図々しい子で。
自分でも驚くほどに。
それからだんだんと、彼と一緒に過ごす時間が増えていった。
同じ部に一緒に入って、たくさんお話して、学校から一緒に帰って。
木下さんから街に取材に行ってと言われた時は、ちょっと胸がときめいた。
彼と一緒に何かできる、当然その頭しかなかった。
「匠君、いつにしようか?」
と訊いた時、彼は意外そうな顔をした。
もしかして彼は、一人で行くつもりだったの?
よく考えたら、それもありだ。
お互いに取材して、別々に執筆すればいいのだし。
でも……
後悔と逡巡に押しつぶされて何も言えないでいると、彼は顔を綻ばせて、
「一回で終らせるなら、お休みの土曜日とかががいいよね」
と言ってくれた。
え、ちょっと待って……?
お休みの日に二人で?
それって……
何で私、こんなにドキドキしているんだろう。
これはあくまで部活の取材、そうでしょ?
お休みの日に男の子と過ごしたことは、今までなかったから?
でも、決してデートとかじゃあないんだ。
その前日、ずっと鏡の前に立っている私がいた。
彼がどんな格好で来るのか分からないし、どんな人に会うのかもまだ分からない。
だから、それなりにお洒落しなきゃね。
クローゼットから色んな洋服を引っ張り出して、胸の前にあてがって、どれにしようか迷う。
いつもはこんなに悩まないのに、こんなにわくわくしないのに。
うん、やっぱり、お気に入りのこれにしよう。
当日待ち合わせ場所に行くと、彼は先に来て待っていてくれていた。
どう? 今日の私、似合ってる?
彼は何も言ってくれない。
仕方ないか、これはデートじゃあないんだ。
私たちは普通の友達。
洋服のことを褒めたりなんかしないよね。
でも、いっぱい時間をかけて選んだから、ちょっとは期待してしまっていた。
いつもそう、彼は口下手で照れ屋で、細かいことには気づかない。
だからかな、私も彼に対してはあまり気を遣わないでいられる。
だから、今日もきっとそうなんだ。
商店街の人たちとのお話しは楽しくて、新鮮だった。
もちろん、彼との他愛のない会話も。
でも、ちょっと疲れたな。
そんな風に思っていると、彼が私を気遣ってくれた。
「梅宮さん、だいたいネタは揃ったし、せっかくだからちょっと遊んでいかない?」
もう目的は終わったはずだから、帰ってもいいはずなのに。
彼はゲームセンターで私のために、欲しかった人形を取ってくれた。
嬉しくてつい、その人形を抱きしめてしまった。
私が行きたい所にも付き合ってくれるという。
ね……これって、周りから見たらデートよね?
でも、楽しい時間はあっという間。
今日はこれで終わりかな、次はいつ会えるんだろう。
……そうだ、もうじき夏休みか。
部活がある日は学校で集合だから、そこでは顔を見ることができるかな。
でも……なんだか物足りない。
今日のような楽しい時間を、また過ごしたい。
彼のスマホの連絡先も、まだ知らないし。
そうだ――
「もしよかったらね、一緒に勉強でもしない?」
咄嗟に思いついたことを口に出した。
彼は迷っている風だ。
どうしよう…… また、図々しいとか思われたかな。
それかもしかして、彼は私なんかじゃなく、澪と一緒の方が――
そう思うと、胸が苦しくなって、つい余計な質問とかをしてしまった。
一応連絡先は交換できたけど、お返事がもらえるまで、なんだか怖いな。
夏休みの直前になって心配で訊いてみたら、ようやく彼はOKの返事をくれた。
これで学校以外でも、彼と過ごせる。
勉強のためだけど、もしかしたら少しは、デートっぽいこともできるかな。
内心わくわくしながら図書館で待っていたけど、現れた彼は、なんだか元気がない。
そのくらいは分かる。
最近ずっと、彼のことが頭にあるんだし。
何かあったのかな?
それとも、私と一緒じゃつまらない?
気にはなったけれど、口にしてしまうと、彼と一緒の時間が終ってしまうような気がして怖かった。
だから、何も気づかなかったように、普通に振舞うことにした。
そんな彼がある日突然澪を連れて来ると言い出した時は、正直驚いた。
その時の私、どんな顔してただろう。
もしかして、凄く嫌な顔をしてたかもしれない。
電話での話でよかった、そんな顔を見られなくて。
「その方が勉強が捗ると思うんだ」
ずるい、そんな言い方されると、断れない。
確かに澪はいい子で、私の友達の一人だけれど。
そんな彼女と一緒に現れた彼は、それまでと様子が違った。
とても明るくて彼女に優しくて、元気いっぱいに見える。
やっぱり彼は、澪と一緒の方がいいんだな。
泣きそうになるのをぐっと堪えて、勉強に集中することにした。
そんな中、澪がカラオケに行こうと言い出した。
そんな気分じゃなかったけれど、でもその方が気が紛れるかも知れない。
しかも彼が、もう一人友達を呼ぶという。
4人の時間、とても楽しかった。
みんなの普段みられない一面が見えた気がして。
彼と澪と三人での帰り、私は1つ前の駅で電車を降りる。
彼と澪は、もっと長い時間、一緒にいられるんだな。
そう思うと、胸の中が苦しくて、切なくなった。
多分間違いないな、もう自分に嘘はつけない。
きっと私は、彼のことが好きなんだ。
私以外の女の子が好きな彼のことを。
たぶん告白しても、私の想いは通じないし、今までの関係も続けられなくなるかも知れない。
だからばれないようにしようと思いながら、でも私の気持にも気づいて欲しい、相反する気持ちが、私の中でせめぎあう。
胸が苦しいけれど、どうしようもないよね。
そんな中で、別の人に告白された。
ちょっと悪ぶっていて、女の子との噂が絶えない人だけれど、格好良くて気になった。
でも、やっぱり前には踏み出せない。
だって彼がいるから。
もしこの事を、友達として彼に相談したらどうなるかな?
少しは私の事を考えて、やきもちとか焼いてくれるかな?
もしかしたら、やめてくれとか言ってくれるかな?
――多分無理だよね、分かってる。
でも、もう少し私の方も向いて欲しい。
そう思って彼に相談してみたけれど、結果は予想通りだった。
もっと伝えたくてそれとなく態度に出してはみるけれど、それでもピンとこないみたい。
ほんと、鈍感な人。
でも残念ながら、私はそんな彼を好きになったんだ。
文化祭で私を誘ってくれたのは嬉しかったけど、正直やけちゃったな。
舞台の上の彼と澪は息もぴったりで、本当に魔獣とお姫様が踊っているようだった。
見ていて、泣きそうになった。
文芸部の学園報の小説は、実体験に元づく創作って言ってたけど、多分ほどんどが本当にあったことだよね?
「お前が、好きだからだ」
どっちであっても、一番、幼馴染の澪に伝えたかったことだよね。
じゃなきゃ、わざわざ文章にして、読み聞かせなんてしないはず。
そんなの二人だけの時にやってくれたらいいのに、なんであんな回りくどいことをするんだろう。
全く、不器用にもほどがある。
彼が私に説明をしてくれた時、気付いたら、涙がこぼれていた。
クラスメイトで好きになった女の子って、多分私のことだよね?
ほんの一時でも、そんな風に想ってくれてたのは、本当に嬉しい。
もうちょっと早く気づいていたら、違った結果になったかな?
……ダメかな、やっぱり。
だって、彼と澪は、私と彼が知り合うずっと前から、想い合っていたのだから。
単なる幼馴染じゃないと気付く、ずっと前から。
私の想いは独りぼっち。
どうにもならないと分かっていても、もう止められない。
だから、もうちょっとだけ、大事にしてていい?
できるだけ、二人の邪魔はしないから。
一度でいいから、私も宗って、呼んでみたいな。
ごめんね、面倒くさい女の子で。
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