第28話 朗読会

 文化祭二日目もいいお天気に恵まれた。

 

 今日は澪との約束通り、朝から一緒に学内を回っている。

 昨日大イベントを終えたばかりなので気が抜けて気怠さを感じるが、彼女は今日もいたって元気だ。


「わ、ジェットコースターだって。どんなのだろう? 行ってみようよ!」

「ゴドラ対モモスラの映画だって。面白そうじゃない!?」

「ね、お腹空かない? たこ焼きでも食べようよお!」


 ほとんど引きずり回されるような感じで、次々とイベントを回っていく。

 多少面倒くささはあるものの、目の前で無邪気にはしゃぐ澪を見ていると、こちらも気持ちが弾む。

 

 その勢いは午後になっても衰えず、手を引っ張ってあちこちに俺を連れまわす。


「なあ、俺この後朗読会があるから、ちょっとは休みたいんだが……」

「そっか……じゃあ、喫茶店にでも入って、のんびりする?」

「ああ、それで頼むよ」


 メルヘンチックな飾り付けの喫茶店を見つけて、そこで小休止。


「そういえば、今日の朗読会って、どんな感じなの?」

「内容はお楽しみだけど、俺は最後なんだよ。何せできたのが、締め切りのギリギリ前だったからな」

「わ、大トリじゃん。凄い!」


 別に凄いとは思わないが、ただ部長の木下さんから、「これは一番最後にしよう」とご指示があったのだ。


 文芸部での集合時間が近づいてきたので、澪とは一旦別れて、部室へ向った。


 部室内にはいつもよりも多めの椅子が並べられ、既に何人かの年配の参加者が、懐かし気な目を周りに送っていた。


 始まりの時間が近づいてくるとどんどん人が増えていって、ほぼ満員の状態になった。

 その中に澪もいて、学園報にぱらぱらと目を通していた。


 と、不意に俺の方に向いて、何かを言いたげな眼差しを送ってくる。

 俺は微かに目配せだけして、決められた席に付いた。


 開始時間になると、それぞれのテーマをイメージした曲が流れ、執筆者がピックアップした箇所を、自ら読み上げていった。

 梅宮さんも今日が出番なので、俺との共同作品を丁寧に読み進めた。


 一つのテーマが終わるたびに、温かい拍手が送られ、和やかな雰囲気の中で朗読会は進む。


 最後に俺の順番になって、席を立って自己紹介をしてから、また腰を下す。

 柔らかなピアノの旋律が流れて、俺は静かに口を開く。


 ---


 俺の幼馴染 


 彼女との出会いは、小学2年生の時だった。


 母さんに呼ばれて、眠い目を擦りながら自分の部屋から出て玄関へ向かうと、そこには見知らぬ男の人と、小さな女の子が立っていた。

 小さなといっても、俺と変わらないくらいの背丈、お互いにまだ小さいのだ。


 女の子は男の人にしがみついて、じっと俺の方へ、綺麗な瞳を向けていた。


 その子の名前は美奈といった。


 母さんから「仲良くするのよ」と言われたが、見知らぬ女の子に特に話し掛ける言葉も見つからないし、向こうも話し掛けてこない。

 面倒くさいなと思っていると、女の子の瞳が震え出して、光る物が滲んでいるような気がした。

 胸の中がとくんと高鳴って、なぜだか分からないけれど、この子とは仲良くなりたいと思った。

 

 そんな俺は咄嗟に、


「おかえり」


 と口にしていた。


 変な話だ。

 初めて会った相手にお帰りは、普通ないだろう。

 けれど、そう言った方が、女の子が家に上がりやすくなって、仲良くできそうな気がしたんだ。


 しばらく女の子を見ていると、やがて小さな唇が動いて、消え入りそうな声で、


「ただいま」


 と応えてくれた。


 ---


 それから一呼吸置いて、最初はぎこちなかった二人がだんだんと打ち解けていって、いつしか一緒にいるのが当たり前で、水や空気のような存在になったこと、女の子が成長してどんどん綺麗になっていったこと、それでもずっと主人公の家を訪ねて、いろいろと世話を焼いてくれていたことなどを話した。


 ---

 

 そんな俺も成長していって、高校に入った頃には、一人前にクラスメイトの女の子に恋をした。

 息の飲むほど綺麗で笑顔が素敵な彼女は、学校中の人気者で、俺にとっては遠い存在だった。


 でも、運命の神様はいるものである。

 ひょんなことから共通の趣味の話をするようになって、そこから仲良くなり、一緒に帰ったり、休みの日に一緒に出掛けられるようになった。

 俺は胸がときめいて、この世の中で自分が一番の幸せ者だと、本気で思った。


 けれど、そんな俺と同じように、美奈にも気にかかる存在が現れた。


「どうしようか?」


 と、彼女は戸惑いながら、俺に訊いてきた。


 ちょっと複雑ではあったけれど、それはお互い様。

 俺たちは仲良しの幼馴染、お互いにお互いを応援し合う立場だ。

 そう思って彼女に、


「応援するよ」


 と伝えると、彼女は悲し気に頷いて、俺の前から去って行き、その日から俺の家には来なくなった。


 ---


 一息置いて、澪の方に目線を送ると、真剣な表情でこちらを見つめ返していた。

 そこから、少し先の話しの朗読を始めた。


 --- 


 美奈が他の男と宿泊旅行で夏祭り――

 そんな言葉を彼女から直接聞いた時、意外だったと同時に、俺の心の中で激震が走った。


 付き合っている男女なら、当然考えられることだ。

 けれどこんなのに早く?

 応援する、その言葉の中には、こうしたことも当たり前に含まれていたはずだ。


 俺が首肯の態度を見せると、彼女は目に涙を浮かべて、「ばか!」と叫びながら出て行った。


 それから何日も何日もかけて、これでいいんだと、自分自身を納得させようとした。

 けれどその都度、動悸が強くなり、脈動が激しくなって耳の奥にこだました。

 腹の中が重くなって、なんだか吐き気もした。

 頭の中も真っ白になりめまいもして――


 そこで初めて、自分の中でそんな覚悟ができていなかったことに気づいた。

 彼女が他の男に寄り添って、俺たちはもう会えなくなる。

 言葉で理解していたつもりでも、俺の体は反対に、そんなことを拒絶していた。


 嫌だ、ここままは。


 やっと気づいたのかも知れない。

 いつも当たり前のように一緒にいてくれて、たくさんの笑みをくれて、自分のことよりもこんな俺の方を気遣ってくれる。

 そんな彼女は、俺とってなによりも大切な、なくてはならない存在だったのだ。


 夏祭り当日、いてもたってもいられず、俺は電車に飛び乗った。

 念のためスマホに連絡を入れても、美奈からは返事ない。


 今さら追いかけて行っても会えるかどうか、会えたとしてもどうにかなるのか、分からない。

 けれど、俺の正直な気持ちは伝えたかった。


 多分俺は、美奈のことが好きだ。

 ずっと以前から。


 一緒にいるのが当たり前過ぎて、それを意識してこなかった。

 はっきりとはまだ分からない、けれど今の気持の源に相応しい結論は、それしか思いつかないのだ。


 ---


 気持ちを落ち着けようと、深く息をして、周りを見渡した。

 会場を埋め尽くしたゲストの目線は俺の方に注がれ、その中には澪もいた。

 心なしか、目じりに光るものが見える。


 そして、いよいよ最後の場面へ。


 ---


 あきらめて帰りかけた時、俺の名を呼ぶ、優しく懐かしい声が聞こえた。

 その先には、訝しく不安げな表情の美奈が立っている。


 りんご飴屋の前で。

 思い出してくれただろうか、俺たちの遠い思い出の場所を。


「何しにきたの?」


 当然の問いだ。

 今更どの面を下げて会いにきたのだろう。

 何も言い訳はできない、ただ、例え最後になっても、自分の気持は伝えておきたかった。


「美奈、一緒に帰ろう」


 美奈の表情が曇る。


「どうして今さらそんなことを言うのよ。あの人も、一緒にいるのよ?」

「ごめん、やっと気づいたんだ。俺にはお前が必要だ。今までもこれからも、ずっと一緒にいたいのは、お前なんだ」

「それって……どうして? 私が幼馴染だから?」


「お前が、好きだからだ」


 ---


 それから、二人で一緒に夜を明かしたけれども何もなく、一緒に寄り添って元の生活に戻ったところまでで、俺の朗読は終わった。


 結局ほぼ全文近くを読み上げて、かなりの時間を使ってしまった。

 どの場面も大切に思えて、無いままで先に進めることができなかった。


 席を立って一礼すると、客席からたくさんの拍手が送られた。

 澪の方に目を向けると、彼女はハンカチを鼻の辺りにあてて、瞳を光らせていた。



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