第9話 お泊り

 7月に入って夏本番を迎えた。

 蒼穹の空に真っ白い入道雲が広がって、太陽の日差しが肌を刺す季節。


 相変わらず俺と澪はほぼ毎朝のように、一緒に学校へ通っている。

 いつも澪が俺を迎えに来て、早くしないと遅れるよと言って背中を押され、ほぼ座れない電車で身を寄せ合って揺られて、駅から学校へと続く15分ほどの道のりを並んで歩く。


「続いてるね、文芸部」

「まあ、何とかね」

「今日は部活の日だったね?」

「ああ、だからちょっと遅くなる」

「じゃあ、今日はカレー作って待ってる。おばさんから、キャベツとじゃがいもを一掃して頂戴って頼まれてるから」

「……キャベツって、カレーの具に入ってたっけ?」

「まあアレンジ次第で、何とかなるものよ。まかせなさい」


 こんな感じのいつもと変わらぬ通学風景。


 ただ、教室に入ってからの景色は、前とは少し違ってきていた。


「あ、おはよ、匠君!」

「ああ、おはよう」


 最近梅宮さんは俺の顔を見ると、こっちから話し掛けなくても、元気に手を振って挨拶をしてくれる。


「おはよ、澪……」

「おす、朱里」


 教室の中では離れて過ごすことが多い澪は、さっさと俺から離れて、自分の席につく。


 一緒に学校へは来るけれど、俺達二人についてそれ以上の事を知る人間は、この学校にはいない。

 別にわざわざ話すことでもないし、そのことで色々と突っ込まれるのは、御免こうむりたい。

 説明するのが面倒くさいし、それに俺たちの日常に、入り込んで来て欲しくはないから。

 その点では、俺と澪とは一致していた。


 学園一の美少女に、それにまけないくらい可愛いと評判の幼馴染、それと一般モブとのやり取りに、初めのうちは訝し気で好奇に満ちた目を向けてくる者が多かったが、毎日続くうちにだんだんとそれも減っていった。


「最近入部希望者が急に増えてねえ、ちょっと困ってるんだ」

 放課後、文芸部の部室へ行くと、梅宮さんには聞こえないところで、部長の木下さんがそんなことを口ばしった。

「入部希望者が多いのは、いいことでは?」

「それがなあ、男子ばっかなんだよ。それも、ろくに新聞も読んで無さげな奴とかな」

「……それってもしかして」

「ああ。梅宮がいい広告塔になってくれてるようだが、変な虫も混ざってるってことかな」

「もしかして、俺もそんな虫の一匹ですか?」

「君は、梅宮が連れてきた虫だからね。追い出す訳にもいかないだろうよ」


 文芸部に入ってから何回か活動にも参加しているが、俺が書いた小説のプロットについては、木下さんから手厳しい意見を頂いている。


「どうも上っ面だけで深みがないねえ。表現の仕方はおいおい慣れていくにしても、もっと中身の彫り下げが必要だ」

「はあ、面目ございません……」


 10月に開催される文化祭で学園報を発行するため、各人でその中味を考えるのが、目下の重い課題である。

 テーマも決められていて、今回は『出会い』なのだそうだ。

 

 大好きな本との出会いについて書こうとしたのだが、作品紹介や読書感想文っぽくなってしまって、それで? と思われる感が居否めない。


 同時期入部の梅宮さんは国語が得意なので苦労はせず、と思っていたけれど、何せ全くやったことがないそうで、やはり苦戦している。


 そんな俺達に、木下さんから提案というか指示というか、そんなものが下りて来た。


「やっぱり、実際に体験した、見たり聞いたりしたものの方がやりやすいだろう。一度町へいって、取材でもしてみてくれ。そこでの話を膨らませてみたらどうかね?」


 要は足を使って、ネタを探せと言うのだ。


 正直面倒くさいし、初対面の人と話すなぞそれこそ不得意分野なので、ネット検索ですませようかと思っていると、


「匠君、いつにしようか?」


 と、一緒に行くのが既成事実のように梅宮さんから訊かれ、断れなくなった。

 それなら多分、学校が無い日の方がいいかなと思って、土曜日でどうかと提案した。


「今度の土曜日に、商店街へ取材に行ってくるわ」


 俺の家で、澪が作ってくれたカレーを口にしながらそう告げると、彼女はにわかに怪訝そうな顔になった。

 ずいっと前のめりで詰め寄られると、小さめのタンクトップでは隠し切れない胸の谷間が強調されて、目のやり場に窮してしまう。


「誰と?」

「えっと、梅宮さん」

「……やっぱり」

「やっぱりって、何だよ?」

「口元がにやけてんのよ。あーやだやだ」


 そんなつもりはないが、無意識にそんな感じになっていたのだろうか?

 いや、まさかな。


「遊びに行くんじゃないからな。そもそも知らない人と喋るなんて、俺にとっては苦行でしかないんだ」

「なるほど。だから梅宮さんを宗にくっつけたのか。部長さんもなかなかやるなあ」


 本当にそこまで考えてくれていたのかどうかは分からないが、梅宮さんが一緒なのは確かに救いだ。

 少なくとも、俺よりは遥かに万人受けするだろう。


「まあ、頑張ってきなさいな。遠いどこかの地から、応援しといてあげるから」


 一緒にきて助っ人してくれないかと頼もうかとも思っていたが、どうやらそれは無理そうだ。


「それよか、お風呂借りていい? その方がゆっくりアニメ見られるし」

「ああ、どうぞ。その間に、食器片しとくよ」

「よろしく」


 今夜も両親とも帰るのが遅く、澪のお父さんは出張でいないそうなので、ちょっと夜更かししようかといった話になっている。


 食器を洗って食卓を拭いてから、上映会の準備を完了して待っていると、澪がタオル一枚の姿で風呂場から出て来た。

 極端なほどの体の凹凸がくっきり見えて、白い太ももが露わになっていて、とても艶めかしい。


「お前何回も言ってるけど、それって無防備過ぎるだろ?」

「おや、もしかして欲情してしまったかい、青年? 大丈夫、見るだけならお金は取らないよ」

「……じゃあ、その豊満な胸を触ったらいくらなんだ?」

「さあ? でも、今ならお安くしときますわよ、青年?」


 一回まじでそうしてやろうかと思わなくもないが、その後の反撃が予想できないので、いつも穏便にすませてしまう。


 ドライヤーでさっと髪を乾かして、当然のように俺のスウェットに着替えた澪が隣に腰を下ろすと、上映会の開始だ。


「あ、その前に、ジュースが欲しいな」

「はいはい」


 冷蔵庫からオレンジジュースを取り出して、大き目のコップいっぱいに注ぎ入れて、澪に手渡す。


 今日はネット配信中の深夜アニメを、見られるだけ見る予定だ。

 前もって澪と一緒に選んでおいたのは、人気の学園ラブコメものだ。


 冴えない主人公が美少女と出会って、恋愛模様が展開されていく。

 現では起こりそうで起きない、そんな話が当たり前のように登場して、ワクワク感が半端じゃない。

 ヒロインの切なそうな表情に、何とも心がくすぐられる。


「ねえ宗、私たちも、あれやってみない?」

「え、あれやるの?」

「うん、ものは試し」


 そう言って澪は、俺の手の指の間に、自分の指を滑り込ませてきた。

 テレビ画面では主人公とヒロインが、手をしっかりとつないで、公園を散歩している。


「この方が、気分が盛り上がるでしょ?」

「……まあ、そうかもな」


 もっと小さかった頃には、たまに手をつないで、一緒に買い物に行ったりした。

 車とかが危ないからとか、そんな理由で。

 最近手をつないだのはいつだろう?

 近場では記憶がない。


 小さくて温かく、柔らかい手。


 シーンが変わっても、澪はそのまま手を離さない。


「おい、シーン変わったぞ」

「だから?」

「手」

「いいじゃん、別に」


 普段からこういう積極的なところはあるが、今日はいつも以上だ。

 何だか特別な感じがして、こっちもいつも以上に意識してしまう。


 そのままアニメを見続けて、気づけば11時を回っていた。


「流石にもう遅いかな」


 そう言って腰を上げようとする俺に、


「ねえ、今日ここで寝てもいい? どうせ帰っても、誰もいないし」

「そうだな。澪のお父さんがOKなら、いいんじゃないか? もうじきこっちの親も帰ってくるだろうしな」


 早速澪が確認の連絡を入れる。


「OKだって」

「よし。じゃあ続きを見るか、それとももう寝るか?」

「せっかくの夜だし、もう少しお話しない?」


 確かに、こうして澪がお泊りするのも久しぶりだ。

 修学旅行とかで夜更かししてるようにも思えて、何だか楽しい。


「もうじき夏休みだけど、宗はどうするの?」

「そう言えばそうだな。けど別に予定がある訳でもないし、いつもの感じかなあ」

「せっかくの高一の夏、もっとエンジョイしようとは思わないの?」

「そうは言ってもな。父さんも母さんも仕事だし。今から何か考えてもなあ」

「私と一緒に、どっか行くってのは?」


 唐突にそんなことを言ってくるが、俺も先週、澪を誘ったばかりである。


「いいけど、どこがいいかな?」

「例えば、ちょっと遠いところとか」


 普段行かないような場所、海とか山とか、それか別の街を見てまわるとか。

 確かにそれもいいかも知れない。

 相手が澪なら、二人で行っても気疲れはないだろうし。


「ああ、いいんじゃないか?」

「じゃあ、空いてる宿とかも調べるね」


 うんうん ――え?


「おい澪、それって泊まり?」

「うん、そうだけど?」


 当然のように頷く澪。


「いやいやいや、それって流石にまずくないか?」

「分かってるよ。でも、それだとゆっくりできていいなって。だから、念のためね?」


 俺たちはある意味で家族的なところもあるから、お互いの家で過ごす分には、多少のことは許容範囲だろう。

 けれど、それ以外の場所でとなると、そうは割り切れない気がする。

 うちの両親もそうだが、澪のお父さんのことは、猶更よく分からない。


 もし関係をこじらせたりでもしたら、今のように気軽に澪と会うことも、できなくなるかも知れない。

 それはつまらない。


『ピンポーン』


 そんなタイミングで、インターホンが鳴った。

 多分、父さんか母さんが、帰ってきたのだろう。


「あ、帰ってきた」


 そう言って澪は、トタトタと玄関の方に駆けていった。


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