第22話 新学期
「おはよ。行こっか?」
「お前、いつも朝から元気だな」
「君がだらしなさ過ぎなんだよ。さ、早く!」
長かったような短かったような夏休みが終わり、今日から2学期が始まる。
俺の家の玄関で、澪が小さな手さげかばんを渡してきた。
「はいこれ。たまには作ってみたから」
「……お弁当?」
「うん」
お弁当を作ってもらうのは久しぶりだ。
もっと作ろうかと話してもらってはいるけれど、たまにでいいよと俺が言ったので。
普段家の家事全般を助けてもらっている上にお弁当までお願いするのは申し訳がないのと、どうみても女の子が作ったお弁当を毎日持っていくと、周りから何を言われるか分からない。
けど、たまにはいいものだ。
「ありがとう、助かる」
「あら、愛妻弁当? 良かったわね宗一郎」
「え、ちょっと、おばさん……」
玄関先まで見送りに来ていた母さんの突っ込みに、澪が恥ずかしそうに顔を赤らめる。
いつもの路線にいつもの通学路を通り、いつもの教室へと辿り着くと、先に来ていたクラスメイト達が談笑をしていた。
始業のチャイムが鳴って担任の吉原先生が教壇に立ち、朝のホームルームが始まる。
今日の授業は始業式後の午前中だけだけれど、午後からはホームルームが組まれていて、そこでイベントが2つある予定だ。
お昼の時間になって、
「あら、匠君は今日はお弁当なのね?」
「うん、そうなんだよ」
友人達と一緒に食堂に向かう梅宮さんに突っ込まれながら、一人で黙々とお弁当をつつく。
玉子焼きや唐揚げに、ちょっと多めのご飯。
いつもながら澪の料理は美味い。
ふと、女子の友人達と一緒の澪と目が合ったので、親指を立てて合図を送ると、向こうからもこっそりと同じ合図が返ってきた。
午後のホームルームでまずあったのは席替えだった。
くじ引き用の箱が回されて、その結果、俺は窓際の一番後ろという当たりくじを引いた。
出入口からは遠く静かで、教師の目も届きにくく、この部屋の中では最も気楽に過ごせそうだ。
もう1つ幸運なことは、隣が梅宮さんになったことだ。
「近くになったね匠君。よろしくね」
「うん、よろしく」
早速に、クラスの男子からの羨望の視線が熱い。
澪の手前大きな声では言えないが、それでもずっと憧れていた女の子と隣同士なのは、心が騒ぐものだ。
その後もう一つのイベントである、文化祭の役割決めが始まった。
クラスの出し物は既に決まっていて、『哀無常』、『スターバトラーズ』、『オペラ座の魔人』、『美女と魔獣』といった名作の1シーンを、ミュージカル調につなぐ公演だ。
配役や舞台構成、脚本といったところは演劇部の女の子達が既に考えてくれているので、誰が何をやるかを具体的に決めようというのだ。
中でも『オペラ座の魔人』とトリを飾る『美女と魔獣』ついては、メインとなるヒロインとその相手役を決めなければならない、
すぐ隣の席になったばかりの梅宮さんが、
「匠君は、何かやりたいものないの?」
「うーん。あんま目立ちたくないから、とりま裏方かな。背景に溶け込むか、音響か何かとか」
「そっか……」
「梅宮さんは、どっかのヒロインがいいんだろうな。歌姫やお姫様の役って、ぴったりだ」
「あ、でも私、こういうのは見たり読んだりするのが専門で、自分でやるのはちょっと……」
本人がそう話していても、周りの衆がそれを放っておくはずもなく。
「美女と魔獣の女の子役は、梅宮さんがいいんじゃないかな?」
「お前それ、梅宮さんを独り占めしたいだけなんじゃないのかよ?」
「ああ、そうだよ。相手役の魔獣は、俺がやるんだ!」
「あの。私、部活の方もあるし……」
あまり乗り気ではない梅宮さんを他所に、勝手にクラス中が盛り上がる。
『美女の魔獣』で想定されているのは、煌びやかに装飾がされた古城の大広間で、魔獣とお姫様が二人だけで踊る名シーンだ。
演劇部の子から渡された企画書には、『お互いの大切さに気付き始めた魔獣とお姫様が、二人きりで仲睦まじく踊りを舞う』とあった。
セリフは無いみたいだが、ほぼ一曲分の間、ずっと二人だけの舞台となる。
なので、当日はもちろん、その前の練習でも、役者二人が一緒に濃密な時間を過ごすことは容易に想像がつくし、発言している男子の魂胆も想像がつくのだ。
「匠君、どうかしら?」
なぜか横目で俺に訊いてくる梅宮さんに、
「確かに、部活の方の準備や朗読もあるしね。大変そうなら、別の役とかでもいいんじゃない?」
と何気に応えた。
「うん、分かった」と小さく呟いた梅宮さんは、
「――あの、私、オペラ座の方をやろうかしら? みんなで一緒に踊れて楽しそうだし」
その前向きな立候補に、反対できる者はいなかった。
これでメインヒロイン決めはあと一人。
「誰か、いませんかあ?」
「美咲がいいと思うよ!?」
今まで全く発言していなかった聞き慣れた声が、突然部屋中にこだました。
声の主は真野だった。
「そーだなあ、この中だったら、確かに美咲かな」
「うん、ありだよね」
「じゃあ、俺魔獣に立候補しようかな」
「お前さっきも、それ言ってたじゃん」
何も話さずにお澄まし顔の澪に、実行委員の女の子が問い掛ける。
「どう、美咲さん?」
「私帰宅部だから時間はあるけど、やったことないし」
『大丈夫よ。ダンス部の方で、しっかりとレッスンをつけてもらうから』
「でもねえ……」
澪が何か歯切れが悪く言いにくそうにしていると、真野がまた声を上げた。
「魔獣には、匠を推薦します!」
一瞬部屋が静かになるが、またすぐに元の喧騒に戻って、
「あー、まあありかもな。あいつら仲良さげだし」
「うん、言えてる」
「ええと、やっぱ俺の方が……」
「お前はもう黙ってろよ!」
「まあ被り物をするみたいだから、男は誰でも一緒かもな」
なんか、失礼な発言が混ざってないか、おい?
「匠君、やれそうですか?」
任せていいのかどうか半信半疑気味の実行委員に、丁重にお断りを入れようとすると、真野がこっちを向いて白い歯を見せながらガッツポーズをし、澪は何かを訴えたそうな目でこちらを凝視していた。
「えっと、俺も部活の方があってさ……」
「宗とだったら、私やってもいいよ。多分やりやすいと思うし」
澪のこの発言で、「宗って誰だっけ」としばらくざわついた後、俺の魔獣就任はほぼ強制的に決まってしまった。
「そっかあ。匠君が魔獣やるんなら、私もそっちがよかったな」
梅宮さんが俺にだけ聞こえるような声で囁いた。
「はは、確かに着ぐるみを被るんなら、誰がやっても一緒かもだけどねえ」
「……そういうことじゃなくてさ……」
なんだか切なそうな横顔が少し気になったが、きっと梅宮さんなら、どんな役でも華麗にこなすだろう。
その他の細かい配役や、小道具の準備係やら何やらも決めた後、それぞれのシーン担当ごとに集まった。
俺と澪の横には二人の女の子がいる。
一人はダンス部の子で、ほぼつきっきりで踊りの指導をしてくれるという。
もう一人の子は衣装や仮装担当ということで、「二人にあう衣装、ばしっと作るね!」と大ノリだった。
「どーせやるんだったら、スターバトラーズで、ライトニングセイバーを振り回したかったよなあ……」
「仕方ないでしょ。もう決まったんだから」
澪と一緒の帰り道、凹み気味で愚痴をこぼす。
人前で踊るなぞ自分の中の辞書には存在せず、幼稚園の学芸会以来そんな経験もない。
「真野が余計なこと言ったからだよな、これ」
恨みがましく独り言ちる俺に、
「もしかして真野君、私たちのことを思って、ああ言ってくれたのかもよ?」
「え、そうか?」
「うん。私だってどうせやるなら、宗と一緒の方がいいじゃん?」
そう言われると確かに、真野にはそんなところがあるように思った。
以前、澪が他の男子と付き合ってるらしいことや、その相手が要注意だってことを教えてくれたり、俺と澪が疎遠になりかけた時にはそれとなく気遣ってくれたりした。
カラオケを一緒にと呼んだ時にも、俺たちの掛け合いは目にしたことだろう。
豪快で無頓着に見えて、実はしっかりいろんな事に気づいている、そんな奴なのかも知れない。
かなりかいかぶりかも知れないが。
「とにかくさ、せっかくだから楽しもうよ? 私は嬉しいよ、宗と一緒で」
そういってキラキラした笑顔を覗かせる澪を見て、仕方ないなと納得してしまった。
一旦お互いの家に帰ってから、いつものように澪が俺の家に訪れた。
今日は胸元が深く切り込んだVネックのシャツを着ていて、はち切れんばかりの胸の谷間が見え隠れし、相変わらず目のやり場に困ってしまう。
彼女が台所仕事をしている間に、俺はネット検索をして、『美女と魔獣』の映画を発信しているサイトを探す。
ダンス部の女の子に、
「できたら、原作や映画を見ておいてね。その方がイメージしやすいから」
と言われたのだ。
「なあ、アニメと実写版と両方あるんだが、どっちがいいんだ?」
「私は実写版しか見たことないけど、結構よかったわよ」
一瞬、一体いつ誰と見たんだと訝しく思ったが、それはさておき。
「トンカツは揚げたてが美味しいわよね」
「言えてる、それ」
その通りだと思うので、先に夕食を済ませてから、居間のテレビに映像を転送させて、上映会をすることに。
やっぱり澪の料理は美味い。
ロースカツを噛むと、表面はさくさくで中から肉汁がじゅわっと滲みでて、旨味が口いっぱいに広がる。
「そう言えば、お前も結構食べるのに、胸以外は細いよな」
「……人をおっぱい星人みたいに言わないでよ。一応これでも、努力はしてるんだから」
「そうか? 腹筋や腕立てしたりとかか?」
「それもやるけど、野菜多めにしたり、昼は軽めにしたりとかね」
なるほど、美ボディを保つのも、それなりに大変そうだ。
食べ終わってから居間の方に移動して、上映会を始めた。
魔女の魔法で魔獣の姿に変えられた王子と、少し変わり者の町娘が出会うシーンから、話が展開されていく。
肝心の二人きりの舞踏会シーンに差し掛かって、俺達は注意力を上げる。
青色のタキシード姿の魔獣と、黄色のドレスに身を包んだお姫様とが、互いに笑みを交わしながら、手を取り合って広間へと進んで行く。
ゆったりとしたテーマ音楽が流れ、二人は優雅に舞う。
お互いの大切さを噛み締めるように身を寄せ合いながら。
横に目をやると、澪は真面目な顔で目を輝かせながら、画面に見入っていた。
こんなの本当に自分達にできるのだろうかと不安に思いながらも、ふと俺は、画面の中で舞う二人の姿と、ここにいる二人とを重ね合わせていた。
お互いの大切さに気付きつつも、もう一歩が踏み出せないでいる。
いや、澪の方は、とっくにそうしようとしてくれていたのかも知れない。
海辺の街で二人きりで過ごした時だって、俺に全てを委ねようと思ってくれたのかも知れない。
とすれば、一歩踏み出せずにいるのは、俺の方なのだ。
「なあ、澪?」
「ん?」
「手、つながないか?」
「……うん」
そっと指と指を絡ませて――
『ピンポーン』
「うわっ、父さんか母さんが帰ってきたかな!?」
「う、うん、そうね……」
ばたばたと出迎えをしながら、俺の方でも何とかしなきゃ、そんなことを思った。
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