第21話 匠家の団らん

「ただいま」 

「あらあなた、お帰りなさい」

「お帰りなさい、おじさん。お邪魔してます」

「おっ、澪ちゃん、今日も可愛いねえ」

「ありがとうございますっ!」


 珍しく早く帰宅した父さんが居間に姿を現すと、母さんと澪が出迎えた。


 相変わらずこの家の両親は、息子のことは放置気味にも関わらず、澪がいると機嫌がいい。

 父さんはまるで大好きな仔猫でも眺めているかのように、相好を崩している。


 今夜の夕飯は珍しく匠家の全員が揃い、澪も加わって4人ですき焼きを囲んだ。


 テーブルの真ん中に電気鍋が置かれ、その中で肉や野菜、椎茸や豆腐といった具材が、醤油ベースの割り下で煮込まれている。

 ふんわりと湯気が立ち上り、まろやかな香りが鼻腔をくすぐってくる。


 少し強めの空調と鍋の熱気とのバランスが心地よい。


「はい、澪ちゃん。お肉いっぱい食べてね」

「わーい、ありがとう、おばさん!」


 テーブルを挟んで目の前に並ぶ二人が、親子のような掛け合いを見せる。


「なあ父さん、それちょっとだけ貰えないか?」

「ああ? それは俺からは何も言えないな。どうしてもってんなら、俺が見てない所でだな」

 

 父さんがわざとらしくあさってに目を向けるのを見計らって、500mlのビール缶を手に取ると、


「何やってんの宗、駄目だって!」


 目の前に座る澪が、手を伸ばしてそれを奪いにくる。


「異世界では大体15才で成人だから、酒も飲める年齢なんだぞ」

「ここは異世界じゃないでしょ。転生もの見過ぎなのよ!」


 そう言って、俺の手から缶をひったくる。

 今日のお食事会でちょっとシュワシュワの話がでたので、また一口味わってみたいと思っただけなのだが、彼女の頭の中ではやはりご法度のようだ。


「おじさんも、そういうのは良くないと思います!」

「ははは…… これは、宗一郎は、澪ちゃんの尻に敷かれそうだねえ」

「お、おじさん……!」


 俺から取り上げた缶を片手に、澪が頬をほんのり赤くする。


「そ、宗は、好き嫌いせずに、ちゃんと全部食べるのよ?」


 そう言いながら、俺の目の前にある生卵入りの器の中に、椎茸やら白菜やら、色々と突っ込んでくる。


「あのさあ、そういうの、自分で出来るからさ」

「私の目は節穴じゃないのよ。いつも椎茸とえのきは、自分からは取らないでしょ?」

「……別に、肉と野菜食えれば、それで腹には貯まるしさ」

「きのこは栄養があるし、体の免疫も上がるのよ。はい、これも」


 追加で、白い束状のえのき茸を突っ込んでくる。

 きのこ類があまり好きではないことは、既にお見通し済なのだ。

 

「特訓もかねて、今後、椎茸の肉詰めでも作ろうかしら」

「やめてくれ。今日のノルマはこなすから」


 他の具材と一緒に口の中に入れて、無理やり喉の奥へと流しこんだ。


 母さんが追加のお肉を冷蔵庫からもってきたタイミングで、俺は口を開いた。


「父さん、母さん、一つ相談があるんだけど」

「なに、宗一郎?」

「今度のお彼岸、澪の実家に行きたいんだ」


 ちょっとの間、お鍋が立てるぐつぐつした音だけが聞こえくる。


「ああ、いいんじゃないか」

「うん、私も別に、反対はしないわ」


 思いの外あっさりした反応に、思わず俺と澪が目を合わせる。


「ありがとう。辰男さんも一緒で、旅費はもってくれるらしいんだ」

「うん、うん。澪ちゃんの実家は、どこだったかな?」

「あ、母の実家なので、大阪です」

「大阪か。食い倒れの街だよな」

「そうね、美味しい日本酒も、たくさんあるわよね」

「そうだよ母さん、今度俺達も……」


 俺の相談事はあっさり了承されたようで、両親は美食と美酒の話しに酔いしれている。


 締めのうどんが腹に収ると、程よい満腹感で、睡魔が背中にへばりついてきて、誘惑を始める。


「澪ちゃん、お風呂どうする?」

「あ、先に宿題やっちゃおうかと思います。ねえ、宗?」

「いや、もうちょっと食休みしてから……」

「宗~!?」

「はい……」


 瞼が重いが、やむを得ない。

 確かに、学校の宿題が、相変わらずスクランブル状態なのだ。


 俺の部屋に移動して、いつものように小さなテーブルを囲んで、問題集や参考書を広げる。


「明日また朱里と会うんだから、ちょっとは進んでるとこも見せないと」

「梅宮さんは、そんなこと気にしないと思うよ。お前と違って、いつも女神様のように……」

「ぶっ飛ばされたいのか、おい!?」

 

 至近距離から監視の目を向けられながら、満腹感からくる眠気とも格闘しつつ、活字に向き合う。

 一人だと間違いなく寝落ちのパターンだが、たまに横から澪が指でつついてくれるので、何とか持ちこたえる。

 そんな甲斐もあって、進んでいなかった理系科目の課題が、みるみるうちに減っていった。


「ふぁあ、今日はこんなもんだろ」


 気が付けば、時計の針は11時を指そうとしていた。


「よしよし、えらいぞ」


 澪が両手を大きく広げて、俺の方に体を向ける。


「何だ?」

「ご褒美のハグ」


 何を言い出すかと思えば。

 ご褒美といえば、普段は頭を撫でるとか、希望の料理を作ってくれるとかのはずだったが。


「いやあの、別に俺は、そんなことは……」

「私もがんばって教えたんだから、ご褒美ちょうだい」


 それ、俺から澪へのご褒美……でもあるのか?

 顔や耳が熱くなっていくのを感じつつ。


「えっと、そんなのでいいのか?」

「ん」


 俺はずいっと体を引きずって澪に近づくと、そっと彼女の背中に手を回した。

 俺の背中にも、ほんのりと優しい感触が伝わってくる。


 夏祭りの一件があってから、澪との間ではこんな感じのことが増えた気がする。

 少し気恥しいけど、二人の距離がだんだんと縮まっていっているのを実感できて、心が弾む。


「はい」

「だめ、もうちょっと」


 離れようとする俺をしっかりとホールドして、澪は俺の胸の中に顔を埋める。


「おい、今日も汗かいたから、臭いんじゃないか?」

「ううん。いい匂い」


 そう言って澪は、自分の柔らかな頬を、俺の薄い胸板に押し当てた。


 得も言われぬ幸福感と安心感に浸りながらそのままでいると、


「宗一郎、澪ちゃん、入るわよ!?」

「「うわ!?」」


 いつの間にか母さんが部屋のドアの前まで来ており、ドアを叩いている。

 澪とのことで意識が飛んでいて、近づいてくる足音に全然気づかなかった


 お互いに手をぱっと放して、体を跳ねさせて、元々座っていた位置に戻る。

 胸がドキドキしているが、それは澪も同じようで、頬を赤らめて肩をすぼめている。


「澪ちゃん、もう結構遅いけど、今日泊ってく?」

「あ、あの……そうですね、そうしようかな……」

「分かったわ。じゃあ、お風呂入っちゃったら? 西瓜を冷やしてあるから、みんなで食べましょ?」

「はい……」


 母さんは嬉しそうにそう言って、下に降りて行った。


「あはは…… お父さんに連絡するね?」

「お、おう……」


 小恥ずかしさの中、お互いに照れ笑いを交わして。


「あと、ありがとうね、宗」

「何が?」

「お母さんの実家のこと」

「ああ。澪の実家、どんなとこなのか、俺も楽しみだよ」

「宗に来てもらえたら、きっとお母さんも、喜ぶと思う」


 澪の柔らかな微笑みが、まっすぐ俺の瞳をとらえる。

 先ほどの余韻もあってか、まだ頬のあたりがほの赤い。


「あの辺色んな場所がありそうだから、ついでに回ってみようよ?」

「いいけどさ、辰男さんも一緒だから、相談しておいた方が、よくないか?」

「そーだなあ。でもお父さんの意見を聞くと、絶対にお酒がらみになりそうだしなあ」

「ただでさえ、食い倒れって言われてる所だもんね」

「とりあえず、お風呂入ってくるね?」


 澪はにっこり笑ってから、軽い足取りで部屋を出て、下へ降りていった。


 澪が泊る夜は、俺のベッドは彼女のものになるので、今夜は居間のソファが俺のベッドに早変わりすることだろう。

 

 夜のお供の漫画を何冊か選んでから、それを持って俺も下の階へ向かった。

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