第2話 記念日

 それから二日間、澪は俺の部屋を訪れ、かいがいしく看病をしてくれた。

 その甲斐もあって、今日はこうして二人並んで登校できている。


「いなかった間のノートは、今日持っていって、中身教えるから」

「お前なあ、病み上がりの人間は、もうちょっと労われよ」

「君は放っとくと、ずっと病んだままになりそうだからさ」

「……カンフル剤として、お好み焼きを所望します」

「分かったら、きりきり歩け」


 この何日間かのブランクもあって中々足が前に出ない俺の背中に手を当て、砲丸投げのように何度も体を押してくる。


 普段家で一緒なので、登下校まで一緒でなくてもと思わなくはないが、それを言うと、


「こんな可愛いい子と一緒で不満なの?」


 と言い返されて、それ以上何も言えない。

 自分で自分のことをそんなふうに言うと、周りは引いてしまいそうだが、澪はそんな冗談が許されるキャラだし、その通りだよねと納得もしてしまう。


 一緒の時間はそれなりに楽しくはあるけれど、教室に入るとちょっと違った空気感になる。


 澪が自分の席について周りの友達と談笑を始めると、当然残された俺はぼっちになる。

 彼女と一緒のお出ましにクラスの男子からは羨望の目が集まるものの、別にそれで俺自身が何か変わるわけでもない。


 自分の席に座って、誰とも話さずに黙々と次の授業の準備をする。

 もともと人と話すのは得意ではなく、ましてや澪以外の女子に話し掛けるなど、俺にとってはK2に上るのと同じくらいハードルが高い。


 だから、このクラス1、いや、この学園1とも謳われる、梅宮朱里と話すことなど、もしかして、いや絶対、次のクラス替えまでに一度もないだろう。


 腰まで伸びるサラサラの黒髪に、透き通るような白い肌に整った容姿は神々しささえ感じてしまうが、だからといって変な近寄りがたさは微塵もなく、今日も鈴の音が広がるように周りに笑顔を振りまいている。

 そんな彼女の周りには男子女子に限らずいつも人がいて、俺のような社会的弱者が不用意に近寄ろうとすれば、視線の集中砲火を浴びていっぺんに木っ端微塵になるだろう。


 せめて一言だけでも喋って思い出の1ページに加えたいと切望しながら、同じクラスになってからの約3か月間、まだ実現していない。

 

 俺の憧れの女の子だ。


 そんな梅宮さんにも劣らない人気を誇る(らしい)澪を擁するこの1年2組は、学園の男子生徒からは『花園』と呼ばれていて、今日も廊下から教室をチラ見にくる上級生や他クラスの連中が後を絶たない。


「やっぱいいなあ、このクラス」

「おいお前、行って喋ってこいよ」

「馬鹿言うな、俺にそんな度胸あるわけないだろ」

「さすが花園、なんかいい匂いがするなあ」

「俺も、こっちのクラスが良かったよなあ……」


 席が教室の入り口に近い俺の耳には、そんな雑音が嫌でも流れてくる。


 病み上がりで重い体を支えながら、どうにか退屈な授業を全部乗り切って、いつものように澪を待っていると、


「ごめん、今日は先に帰ってくれる?」

「ああ、別にいいけど」

「感謝。後で家に寄るから」


 そう言って澪は、ばたばたと友人達の輪の中に戻っていった。

 ずっと一緒だった幼馴染とは言え、それぞれに友達ができると、ちょっとずつ別行動も増えていくのだろう。

 そう思うと少し寂しくはあるけれど、俺は俺で他の子に気持ちが寄ってたりもするのだし、仕方のないことなのだろう。


 帰り支度を整えてから一人で校舎を後にし、駅へと向かった。


 徒歩にして、だいたい十五分ほどの距離を歩き、改札をくぐった。

 社会人の人達の帰宅ラッシュにはまだ早い時間。

 特急待ちでホームに停車中の電車に乗り込んで、窓に沿った長椅子の一番ドアに近い場所で腰を下ろす。


 鞄から最近買ったラノベの新作を取り出して、意気揚々とページを開こうとした瞬間、いつもと違った変な違和感を感じた。

 ふと通路を挟んで正面の席に目をやると、こちら向きで座っている女の子がいて、ブックカバーがかかった本に目を落としている。


 おいおい、これって――

 そこには、さらさらの長い髪に時折手をやりながら目線を落とす、高級なフランス人形のような造形美の美少女、梅宮朱里がいた。


 まずい――

 咄嗟にそう思った。

 何がまずいのかは、正直よく分からない。

 けれど今の状況は、とても居心地が悪い。


 今の所梅宮さんはこちらに気づいている様子はなく、もしかすると、俺のことなんか記憶の片隅にも無いのかも知れない。

 もし目が合ったりしたら、どう反応したらよいのだろうか?

 無視するのもどうかと思うし、かといって気軽に挨拶して変な顔をされるのも、正直凹んでしまう。


 よし、こっちも気づいていないふりをしよう。

 そう思い立って、取り出したばかりのラノベに視線を集中させながら、電車が動くのを待つことにした。


 発車のアナウンスが流れて、ぷしゅーという空気音とともにドアが閉まる。


 電車に揺られながらの緊張の時間、早く降車駅が来ないかなと、どこの誰とも知れない神様にお祈りをした。

 気持ちの悪い汗が、背中を伝っているのが分かる。

 車内放送で、俺が降りる駅の1つ手前の駅名が流れた時、梅宮さんがぱたんと本を畳んで、鞄の中にしまい込んだ。


 多分次で降りるのだろうなと予想しながら、ひたすら自分のラノベを読んでいるふりを続ける。

 先ほどから全く頭に入らず、1ページたりとも進んでいない。


 電車が減速を始めた頃合いで、梅宮さんが席を立ち、俺の脇のドアの前に立った。


 よし、これで緊張の時間も終わる――

 そう安堵しかけたと同時に、


「匠君?」


 と、声が聞こえた気がした。


 この状況で俺の名前を呼ぶ可能性があるのは、この一人しかいない。

 意を決して顔を上げると、俺の方をじっと見つめる梅宮さんの綺麗な顔が目に映った。


 どう反応してよいやら逡巡していると、電車が止まってドアが開いた。

 降り際に梅宮さんが、


「それ、私とおんなじ。面白いよね?」


 そんな言葉と爽やかな笑顔を残して、駅のホームへと去って行った。


 これが記念すべき、梅宮さんとの会話の第一号になった。

 こちらからは一言も返していないので、会話と呼べるかどうかは、はなはだ疑問ではあるけど。


 それでも、平均モブの心を高揚させるには十分のイベントだった。


「はい、金とり」

「むむむ……」


 俺の部屋で、目の前でしかめっ面を浮かべながら将棋盤を睨む澪をしり目に、彼女が作ってくれた豚玉をつまむ。

 その間も、含み笑いが止まらない。


「もう投了したら?」

「いや、まだまだ……」


 結局1時間の熱戦の末に、俺が勝利した。


「これで星は五分だな」

「え? まだ私の方が、1つは勝ってると思うけど?」


 今まで数えきれない程の対局を重ねてきたので、星取表などは正確には覚えていないが、認識に微妙なズレがあるようだ。 


「ねえ宗、何かいいことあったの?」


 将棋の駒を箱の中にしまいながら、澪が訊いてくる。

 俺の緩んだ表情を、微妙に感じとったようだ。


「まあ。あったといえばあったような……」

「素直に白状したまえ。この私めが、聞いてしんぜよう」

「ふぉふぉふぉ、聞いて驚け。今日電車で、梅宮さんに話し掛けられたんだよ」


 澪はきょとんとして、


「それで? 何を話したの?」

「えっと、彼女が電車を降り際に、読んでる本が一緒だねってさ」

「ふうん。それくらい、クラスメイトだったら、普通に話すんじゃない?」

「お前は何を言っている? 普段日の目を見ない下層平民にとって、これは神の啓示にも等しいのだ」

「それこそ何言っているのかよく分からないけど。朱里と話したいなら、お願いくらいはしてあげるわよ?」

「この愚か者。それに何の意味がある? 梅宮さんが俺を覚えていてくれて、気に掛けてくれたことが、意味があるのだろうが?」


 そんな俺に、澪は小首を傾げて、


「ねえ、何でそんなに朱里の話しが大事なの?」

「そりゃお前、彼女は俺の憧れの人だからさあ……」

「え…… 何よそれ?」


 澪が眉根を歪めて、ずいっと顔を近付ける。

 そう言えばこの話は、澪にはしていなったかな。


「まああれだ、そういうことなんだよ。ともあれ今日は、俺にとっては記念日なんだよ」


 ご陽気に語る俺に対して、澪は表情を変えずに、


「じゃあ宗、私たちが最初に喋ったことって、覚えてる?」


 う……

 流石にそんな昔のことを覚えていられるほど、俺の脳内メモリースペックは高くない。


「えっと、『一緒に遊ぼうか』だっけ?』」

「……知らない」


 澪は食べ終わった皿を拾い上げると、何も言わずに部屋を出て行った。

 めずらしく、明らかに不機嫌そうな表情で。



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