第26話 会遇
「ちょっと、部室に行ってくるよ」
「あれ? 今日って、部活は無い日じゃなかったっけ?」
「ちょっとやりたい事があってね。木下さんにもOKをもらってるんだ」
「そうなんだ…… じゃあ、私も顔を出そうかな。木下さんとはお喋りしたいし」
今日最後の授業が終わり、これから梅宮さんと一緒に、文芸部の部室に顔を出そうと思う。
そうだ、澪には声を掛けておこう。
前の方の席で、クラスメイトと談笑している彼女に、
「あのさあ、ちょっと部室に行ってくるから、踊りの練習はその後でいいか?」
「かしこまり。気長に待ってるから」
部室へ行くと、予想通り木下さんが一人で居座っていた。
「ようお二人さん、相変わらず仲がいいねえ」
「やめて下さい、木下さん。別にそんなんじゃ……ねえ、匠君?」
「はは……そうだね」
俺は使っていなかったパソコンを1つ立ち上げて、共有サーバファイルに保存してあった個人データにアクセスした。
「匠君、もしかして、何か書いてるの?」
「うん、ちょっと思いついて、木下さんに相談したんだ」
「プロットを見せてもらったが、なかなか良かった。間に合ったら、学園報にも載せられたらよいと思うぞ」
木下さんがどや顔で腕を組み、うんうんと頷く。
「へえ、どんなお話かしら」
「……ちょっとまだ言えないから、そのうち話すよ」
しばらくその場でキーボードを打ち込んでいると、木下さんが近寄ってきた。
「少年よ、もし必要なら、そのパソコンは貸し出してもよいぞ?」
「え、いいんですか?」
「うむ。聞くところによると、君は文化祭で出し物もやるそうじゃないか。放課後に両方はきつかろうから、特別に許可する」
「ありがとうございます、では遠慮なく!」
部活のある日だけはそのパソコンを持参で、それ以外の日は自宅に置きっぱなしでもよいという。
部員の中には自分でパソコンを持っていてそれで作業している子もいるが、残念ながらうちには父さんの仕事専用のノートパソコンしかない。
小脇にパソコンを担いで梅宮さんと部室を出ると、廊下の先の方から不穏な人影が現れた。
高身長でがっしりした体格のイケメン男子、2年の京極さんだった。
偶然通りかかっただけだろうか、珍しく取り巻きがおらず一人だけだ。
梅宮さんに気づくと、彼は声を掛けてきた。
「よう、梅宮!」
「……こんばんは」
笑顔満開のイケメン男子に対して、梅宮さんは俯き加減で静かに応える。
「部活か?」
「はい」
「そうか。お前がうちのマネジャーになってくれたら、チームが盛り上がるんだけどなあ」
「いえ、私がいても、なにもできませんから……」
もともとこの人の事を良くは思っていない俺は、心根のイラつきを押さえながら、二人の会話を見守る。
「そういえば、この前の返事、まだ聞いてなかったけど、どう?」
「え……ここでその話をするんですか?」
「ああ、最近俺ツキが無くってさ。だから、いい返事を期待しているんだが」
梅宮さんが、明らかに困惑している。
二人の様子を見ていて、何となく分かった。
恐らく、この人が梅宮さんに告白をした件なのだろう。
完全に俺は、この人の視界にも入っていないような状況だ。
気分は悪かったが口は挟めず、かといってこっそりその場を離れるのもなにか癪なので、そのまま様子を見守った。
「……ごめんなさい」
蚊が鳴くような声で、梅宮さんが言葉を発した。
「え?」
「私、あなたとはお付き合いできません」
深々と頭を下げてそう言う梅宮さんを前に、イケメン男は目を白黒させている。
俺は内心噴き出しそうになりながら、ぐっと堪えた。
「えっと…… なぜだ?」
「他に好きな人がいますから」
「ホントかよ、それ?」
「ええ、ホントです」
梅宮さんは今度は相手の目を真っすぐに見据えて、そう言い切った。
「じゃあ行こっか、匠君?」
「あ、うん……」
俺は梅宮さんの後ろについて、一人で黄昏ている奴の横を通り抜けた。
少し進んだ人影がない場所で、彼女ははあーっと長い息を吐いて、力が抜けたように、両の手のひらを膝に押し当てて、かがみ込んだ。
「あー、緊張したあ……」
「なんか、いきなりだったね」
「そうね。でも、これですっきりしたから」
ちょっと疲れたような、それでも晴れ晴れとしたような顔を、上目遣いで向けてくる。
「色々考えたんだけど、やっぱり無理かなあって」
何て声を掛ければよいのか分からないけれど、1つ気になったことを訊いてみた。
「梅宮さん、好きな人いたの?」
デリカシーが無かっただろうか。
そのままの姿勢で、梅宮さんは答えない。
まずいと思って雰囲気を変えようとして、目いっぱいの造り笑いをした。
「ごめん、変なこと訊いて。教室戻ろうか?」
そう言って阿呆のように突っ立っていると、梅宮さんはすっと上半身を上げて、元の姿勢に戻って、真っすぐに俺を見た。
「うん、いるよ」
その一言に、梅宮さんの心の声を聞いた気がして、背筋がぴんと伸びた感じがした。
「そっか……」
「うん」
「梅宮さんにそう想ってもらえるのって、幸せな奴だな」
そう言うと彼女はくすっと笑ってから、
「ありがとう。でもね、その幸せ者は、他に好きな人がいるみたいなんだ」
「……なかなか、うまくいかないんだね」
「うん。でも、だから、胸がドキドキしちゃうのかもね。簡単なことだったらそんなこともなくて、悩んだりもしないだろうし」
「その人は、梅宮さんの気持ちを知ってるの?」
「どうかなあ…… 多分、知らないと思う。気づいて欲しいなって思うけど、とっても鈍感な人みたいだから」
「そっか……いつか気づいてもらえるといいね」
「…………そう、ね……」
消え入りそうな笑みを真正面から向けられて、何故だろうか、胸の奥がとくんと鳴った気がした。
それから教室に戻ると、クラスのみんなが和気あいあいと文化祭の準備を進めていた。
「お、来たね、匠君。美咲さんがお待ちかねよ」
ダンス部の女子に目ざとく見つけられて、ぶんぶんと手招きをされた。
「じゃ、またね」
「うん、また」
梅宮さんと軽く言葉を交わしてから、教室の隅に陣取る面々と合流して、この日も舞踏会の踊りのための特訓をこなした。
「鶏肉が余ってるっぽいから、唐揚げでも作っちゃうね。あとは、レタスと玉ねぎでサラダかな……」
自分の家で一旦着替えを済ませてから訪ねてきた澪が、冷蔵庫の中身を確認している。
「ありがとう。俺、パソコンで作業してていか?」
「パソコン? そんなのあったっけ?
「文芸部から借りてきたんだよ。ちょっとやりたいことがあってさ」
「ふうん……」
しばらくの間、澪が振るう包丁の音と、俺がキーボードを打つ音とが、心地よくこだました。
「今日さ、梅宮さんと少し話したんだよ」
熱々の唐揚げを口に運びながら、今日は俺の方から話を切り出した。
あまり面白がって話していいことではないけど、澪になら伝えておいた方がいいかなと思った。
「そう……」
「二人でいる時に、偶然京極さんと会ってさ。その時に告白の返事を迫られてね、ごめんなさいって言ってた」
「そっか……朱里が告白されたのって、京極さんだったんだね」
「うん。他に好きな人がいるんだってさ」
「……」
それだけ話して唐揚げをパクつく俺を、澪は箸を止めてじっと見つめる。
「それで、宗は朱里に、なにか喋ったの?」
「その人はその事を知ってるのって訊いたら、鈍感な人だから知らないだろうって。だから、そのうち気づいてもらえるといいねって」
澪がにわかに真顔になって、俺に冷えた目線を送ってくる。
「……どうかしたか?」
「宗、あなたもうちょっと、女の子の気持ちが分かるようになった方がいいわよ」
「え、どういうことだ?」
「ま、らしいといえばらしいけどさ」
やれやれといった表情で溜息をついて、テーブルの上で両掌を組んで、なにかもじもじしている。
「俺、なにかまずいこと言ったっけ?」
「あのね、宗……もし、自分に好きな子がいて、いつも気軽に話し掛けてくれるけど、自分の気持ちに気づいてくれていなかったら、どんな感じ?」
「え…… それは、どうだろうなあ。多分悲しいとは思うけど、でもその子との関係は続けたいから、普通に接するんじゃないかな」
「そうだよね、私でも、そうすると思う。だから……もしかして朱里も、同じなんじゃないかな」
「そうか。だとしたら、梅宮さんの好きな人って、彼女の身近にいる人ってことか?」
「……多分、そう」
そう小さく呟くと、澪はぐっと顎を引いて、その表情が見えなくなった。
「夏祭りの前に、私が宗に話しをしたの、覚えてる?」
「ああ」
「あれってね、多分、宗に止めて欲しかったんだと思う。自分でもうまく言えないけど。そうじゃないと、わざわざあんなこと、伝えたりしないから」
それは、後になってから、自分でもそんな気がしていた。
遠くまで澪を追いかけて行ったのは一人よがりだったかも知れないけれど、それをするチャンスと勇気が持てたのは、澪の言葉だった。
「ありがとう。あれがなかったら、今こうして一緒に、ご飯食べていなかったんだろうな」
「だからね、何となく分かるんだ、朱里の気持ちも。伝えたいのに中々使わらないのって、たまに堪えるからさ。素直に言葉にできたら、もっと楽なんだけど」
そこまで話を聞いて、鈍感な俺もようやく理解できた。
確かに、梅宮さんは、俺に何かを伝えたかったのかも知れない。
わざわざ二人で校舎の屋上に行って、俺に話しをした時の彼女は、一体どんな気持ちだったのだろうか。
京極さんからの告白を断った後の俺の姿を見て、どう思ったのだろう。
にわかには信じられないけれど、でもそう考えると、色んなことが繋がっていく。
俺と一緒にいてくれる時間、向けられる笑顔、時折みせる物憂げな表情。
彼女の好きな人って、もしかして――
心臓の鼓動が激しくなっているのが分かるが、幸福感とかときめきからのそれではない。
罪悪感と切なさで、胸がきゅっと痛くなる。
「ありがとう、澪。俺どうしたらいいかよく分からないけど、考えてみるよ」
「うん……でも……」
「うん?」
「絶対に、私の所に戻ってきてね」
縋るような眼差しを向てくる澪に、俺はぎこちなく笑って応えた。
「分かってるよ。冷めないうちに、飯食っちまおうぜ。この唐揚げ、最高だ。俺はお前の飯無しでは、生きていけないんだ」
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