第24話 里帰り
秋のお彼岸の土曜日の朝、俺と澪は新幹線のホームにいた。
ここから新大阪駅まで向かい、在来線に乗り換えて移動し、そこからタクシーで澪の実家を訪ねる予定だ。
「全く、こんな時に限って、仕事があるなんてね」
大きなリュックサックを背中にしょった澪が、頬を膨らませて嘯く。
「まあ、仕方ないよ。急な仕事なんだろ?」
「そうだけどさ、せっかくお祖母ちゃんのとこに行くってのに……」
ということで、俺たちは二人で移動して、澪のお父さんの辰男さんとは、実家で落ち合うことになっている。
「せっかくだから、駅弁でも買う?」
「そうだなあ、朝飯まだだもんな」
駅の構内にある売店で物色すると。地方の特産品が盛られたお弁当が並ぶ。
「今回はお父さんの大判振舞だから、どれでもいいよ」
「そーだなあ。すきやき重なんか……」
「あ、今日の夜はすき焼きにでもしようかって、お祖母ちゃんが言ってたみたいよ」
「じゃあとりま、魚系かな」
鰤の漬け丼とあなご丼とお茶を買って、のぞみ号の指定席に腰を下す。
ホームに出発を告げる電子音が鳴り響き、車両の扉が閉まる音がして。
ここから2時間とちょっと、飛ぶように滑走する車両に身を委ねる。
「わあ、あれ、富士山よね!?」
流れるように現れては消えていく風景に目を向け、澪が子供のようにはしゃいでいる。
こうして一緒に新幹線に乗るのは、小学校の関西方面への修学旅行の時以来だ。
その時は席が全く別々だったので、こうして並んで景色を眺めるのは新鮮だ。
弁当を食べ終えて満腹感に浸りながら、明日の予定についての話しになる。
「ね、明日ってどうしようか? テーマパークもあるみたい」
「そーだなあ。食い倒れの街っていうから、食べ歩きもいいよな」
「それだったら、キタとミナミ、どっちも行きたいね」
「どこでもいいけどさ、せっかくお祖母ちゃんに会いに行くのに、他所に遊びに行っていいのか?」
「……まあそれはあるけど、その……お友達と一緒なんだったら、遊びに行ってきたらってお祖母ちゃんが……」
「ちなみに、俺はお友達ってことになってるんだよな?」
「うん。男の子の、昔からのお友達ってね」
男の子のお友達って、普通里帰りには同行しないよなと改めて思いながら、どう振舞おうかと今から緊張してしまう。
元々、澪のお父さんの辰男さんとの三人行動が頭にあったけども、思いの外澪と二人での動きが多い。
二日目はぼぼ、二人でデート状態になりそうだ。
そんなことを喋っているとあっと言う間に新大阪駅に到着して、そこから電車を乗り換えて、澪の実家の最寄り駅へ。
白い駅ビルのロータリー横から、タクシーに乗った。
20分程車に揺られていると、だんだんと建物の数が減ってきて、風光明媚な風景が広がっていく。
そんな一角にある古い平屋の一軒家の前で、タクシーは停車した。
「着いたよ」
「おう」
生垣の切れ目から数歩進んだ先に玄関があり、澪はその前に立ってチャイムを鳴らした。
緊張で体を固くしながらその後ろに立っていると、ドアが開いて年老いた女の人が顔を覗かせた。
「こんにちは。お久しぶり、お祖母ちゃん!」
「よくきたね。さあ、お上がり」
白髪交じりの髪の毛を後ろで束ねた品の良さげな老女は、澪と似た面影がある。
目尻に皺があるものの、頬は若々しくて艶があり、想像していたよりも若く見える。
こちらに向けて、優しく微笑み掛けている。
「こちら、友達の宗一郎君」
「どうも初めまして、匠宗一郎といいます」
「土田です。よく来て下さったわね。何もないとこだけど、ゆっくりして行ってね」
大きな窓から陽光が指し込むリビングへと案内されて、ソファに座って一息つく。
広い家だ。
古い造りだけれど、どこも綺麗に整頓されていて、年代物の小物が戸棚の上に飾られている。
「はいこれ、お土産」
「ありがとう。お茶でも入れようかね」
お祖母ちゃんが入れてくれたほうじ茶を啜りながら、持参した和菓子をかじる。
「お祖母ちゃん、お墓はいつ行こうか?」
「辰男さんは明日ゆっくり行くって言ってたからね。先に今日行っておくかい?」
「そうだなあ。その方が、明日ゆっくりできるかな。ね、宗?」
「ああ、それでいいと思うよ」
しばらく、普段どんなことを澪としているかとか、うちの家の話とかに花が咲く。
「じゃあ澪ちゃんは、宗一郎君のお家でも、お世話になっているのね?」
「うん。一緒にご飯食べたり、遅くまでいさせてもらったとか、色々よ」
「辰男さんは普段忙しい人だから、そういうのはありがたいねえ」
「いえ、澪にはいつもご飯作ってもらったりだとかで、うちの親も感謝しきりでして」
「澪と仲良くしてくれて、ありがとうね、宗一郎君」
「いえ、そんな……」
目の前で深々と頭を下げられて、こちらも思わず同じような姿勢で返す。
「それじゃそろそろ、私の方も、支度しようかねえ」
と、お祖母ちゃんは、ゆっくりと腰を上げた。
「やっぱ、澪と似てるね」
「そりゃね。血がつながっているんだし」
「あの、お祖父さんの方は、もう亡くなったんだったよね?」
「うん。お母さんが亡くなる、ちょっと前にね」
ということは、お祖母ちゃんは10年近くの間、ここに一人で住んでいることになる。
お墓には車で行くとのことで、お祖母ちゃんがタクシーを呼んだ。
三人で車に乗ってから30分ほどして、山間にある墓園に辿り着いた。
明るく開放的な墓園で、大小の墓石が遠くの丘の向こうまで連なっている。
桶に水を汲んで、持参したお供え物を携えて少し歩いた先に、小さ目で真新しく見える墓石があった。
面には美咲家の名前が刻まれ、側面には澪のお母さんの名前の他に、赤字で辰男さんの名前も刻まれていた。
遠い将来、辰男さんも、ここに眠るということなのだろう。
そこでお線香に火をつけて、三人で手を合わせる。
「お母さん、なかなか来れなくてごめんね」
澪が静かに呟く横で、俺は澪のお母さんに何と伝えたらよいのか分からず、だだその冥福と、澪を生んでくれて、会わせてくれてありがとうございます、とだけ祈った。
「宗一郎君、ありがとうね。わざわざここまで来てくれて」
「いえ、そんな。大事なことですから」
「多分、あの娘も喜んでいると思うわよ。澪が初めて、恋人を連れてきてくれたってね」
「え…… お祖母ちゃん、宗と私は、友達なんだってば!」
「あら、そう? 辰男さんは、ちょっと違った風に言ってたけど?」
クスクスと笑いながらのお祖母ちゃんの言葉に、俺と澪はその場で恐縮して、ちんまりと縮こまった。
無事に墓参を済ませての帰りの車中で、
「せっかくだから、温泉にでも行ってくるかい? その間に、晩御飯の準備をしとくから」
「それだったら、私も手伝うよ? ねえ宗、それでいい?」
「ああ、もちろん。何なら俺も手伝います」
「そうかい? じゃあ、彼氏さんにも、家にいてもらおうかね」
とのことで、男友達から、すっかり恋人兼彼氏さん扱いになったようだ。
墓参から戻ると、従前の情報通りに、すき焼きの準備が始まった。
いつもは澪に任せきりで何もしていないが、今日はちょっとは動いた方がいいかなと思って、手伝いを買って出た。
「本当にできるの、宗?」
「……多分」
玉ねぎの皮を剥いて適当な大きさに切ることすら初体験だ。
ぎこちない手つきで包丁を握る俺に、澪が真横から心配そうな顔を向けてくる。
えいや!
大きさは不揃いだけれども、味は同じだろう。
「もっとざっくり切るんだよ、それ」
「えと、こうか?」
「もう。私やるから、ちゃんと見ててね?」
そう言ってもぎ取られた包丁と澪の横顔を眺めていて、たまにはこういうのもいいなと思った。
今度からは、もうちょっと澪の手伝いをしてみよう。
……邪魔者扱いされなければだが。
晩御飯の下ごしらえを終えてから、家の奥の別室へと通された。
「今夜寝るのは、二人一緒でいいかい?」
「お、お祖母ちゃん……」
「まあ、いいじゃないか。せっかく二人一緒なんだし。宗一郎君も、嫌じゃなければね」
「あ……嫌じゃあないですけど……」
結局今夜は澪と同じ部屋で寝ることになり、そこに荷物を運び入れた。
「もう……お父さん、お祖母ちゃんとどんな話してるのよ……」
ぶつぶつ言いながらも、澪は満更でもなさげで、頬が緩んでいる。
普段俺の家でお泊りする時は別々の部屋で寝ているので、これはこれで新鮮だし、気分が高揚してくる。
なんだかんだで、澪と一緒にいる時間は楽しいのだと、改めて実感してしまう。
「何か、変なことになってるね……」
「そうだな、でもまあ、せっかくのご厚意だし……」
「ご厚意……か、うん! そうよね!」
少し照れた様子ながら、澪がぱっと笑顔の花を咲かせた。
夜になってから辰男さんが合流して、そこから宴会が始まった。
ぐつぐつという音を立てながら、甘く香ばしい匂いを振りまく鍋を囲み、
「宗君、こんな機会だし、まあ一杯」
「はい、頂きます」
「ちょっと二人とも、そういうのダメだって!」
「澪ちゃんの言う通り。酒ばっかり飲んでると、ろくな大人にならないよ」
辰男さんはそんなことは気にせず、自分一人で、相変わらず豪快に酒を煽る。
そんな夕食後にお風呂を頂いてから、二人きりの部屋に。
思いっきり布団をくっつけて敷いてから、いつもと違って、テレビもゲームも本も何もない中で時間が流れる。
「ねえ、ちょっと寒くない?」
「そうだな、布団にもぐろうか」
片方の布団に入ろうとすると、当然のように澪が同じ布団に入ろうとしてくる。
「おい、これ。見られたらまずいって」
「……いいじゃん、せっかくのご厚意なんだし」
「いや、それ、俺が勝手に言っただけだし……」
「だって、この方があったかいよ?」
そう言いながら澪が体を寄せてくると、心地よい温もりが伝わってきて、安心感とドキドキ感が心を満たしていく。
「宗、今日はありがとうね。お母さん、きっと喜んでると思う」
「なあ、澪のお母さんって、どんな人だったんだ?」
「優しい人だったよ。いつも笑ってて、怒られたことなんかなかった。お料利が上手で、私の好きな物、よく作ってくれたなあ。学校から帰ったら、いつもぎゅっと抱きしめてくれて」
懐かしそうに穏やかに、俺の胸元で言葉を紡ぐ。
「なんかそれって、今の澪にそっくりだな。さすが母娘かな」
「そうかな、だとしたら、嬉しいな……」
「俺の場合、よくお前には怒られてるけどな」
「……もう。そんなとこで、余計なこと言わなくても……」
少し拗ねたようにしながら、俺の胸元をつついてくる。
「お母さんに感謝だよ。澪を生んでくれた人だし、もしかして、こうやって巡り合わせてくれたのかも知れない」
「……うん」
澪が俺の頬に自分のそれをくっつけて、背中に手を回して抱きしめてくる。
二人きりで同衾状態の中、胸が高鳴って興奮して眠れないのではと思ったけれど、温かみに包まれて幸福感を味わっていると、旅と緊張の疲れも手伝ってか、いつの間にか眠りに落ちてしまっていた。
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