第28話 「両片想いは昇華する」

「始まったな」


 静まり返っていた藝学舎に、悲鳴にも似た叫び声が無数に響いている。清美率いる親衛隊の真価を発揮する時が来たんだ。


「始まった、じゃないよ」


 どうしてそんなに余裕そうなの、千晴は俺の頬をつねりながら呟いた。おまけに頭にチョップを一発。……普通に痛い。告白を断ってからのスキンシップがグレードアップしたと言いますか……ちょっと過激になってきてない?


「……もうすぐ到着するから」


 一階で最も日の当たらない場所が、俺たちの目的地だった。


「さてさて、ここが難所だな」


 萌夏や千晴と同じくキキに所属する笹川悟が右頬にえくぼを作りながら笑った。


「……」


 避難用通路の表記がある部屋の扉を開き、シェルターへと入っていく。


「分からんのじゃが、なぜお主はシェルターの鍵を持ち出せるのじゃ?」


 ここは国民保護サイレン等の特別な事情が発生した場合にだけ解放される部屋。当然、一般生徒が持ち歩ける鍵ではない。それを知っている一条先輩だからこそ、疑問に思うのだろう。


「そりゃ、今が特別な事情だからな」


 それだけじゃ分からないだろうと思って、俺は悟の言葉を補足する。


「担任の森田先生に事情を話したら、特例で持ち出し許可が下りたらしいよ」

「あの顧問は一体……」


 死に設定になりつつある文藝部顧問という設定を拾ってくれてありがとう、伴弘。

 シェルターは紫学舎、藝学舎、武蔵講堂、体育館、部室棟を繋ぐ避難施設となっている。年に一度、避難訓練で使用されるだけで普段は立ち入り禁止なので、この道を使って行動に潜り込むとは思わないだろうと賭けに出たのだ。


「巨額の富を投じて避難用シェルターを建設したことだけは、学校側を褒め称えよう。だが、予算案等にシェルターの建設費が明記されていたか。残念ながら、我の記憶にはないな」

「……谷千代学園は魔の巣窟じゃ。世界最大の私企業がバックに付いていたとしても、わらわは驚かぬ自信があるぞ」


 伴弘の言う通り、全校生徒がシェルターの存在を理解しているが、いつ建設されたとか、どのくらいの費用が掛かったとか、そういったことは一切知らない。カエデですら分からないのだから、無理もない。

 だが、そんなことはどうだっていい。今俺たちがやるべきことは、ただ一つ。


「……今は目の前のことに集中しよう。常に警戒して動かないと、いつ鉢合わせするか分からないから」


 部屋という部屋を抜けて、遂に目的地にまで辿り着く。

 このシェルターの扉さえ開ければ、武蔵講堂に出ることができる。


「慎重に開けるぞ」

「分かった」


 俺と伴弘の二人がかりでどうにかシェルターを開こうと試みるが、びくともしない。なんなら体重を押し付けても動かない。


「なにをしておるのじゃ、お主ら。非力にも程度があるぞ」

「文藝部だぞ、当然だろう」

「ふふん、わらわの方が役立つのう」

「なんだと貴様ァ!」


 伴弘と先輩の取っ組み合いに発展する直前、キキの三人が割って入る。正直なところ、この三人がやったところで結果は変わらないと思うのだが……今はなんでもいい。一刻も早くカエデの無事を確認したい、その気持ちが勝っていた。


「せーのでやる」

「「了解」」


 特殊部隊みたいで憧れるな、この三人。あっ、キキってある意味特殊部隊か。


「せーの」


 ……限界まで空気を入れたバランスボールが破裂するような音が鼓膜を襲う。その拍子に伴弘と一条先輩が尻餅をついて倒れ込んだ。


「び、びっくりしたぞ」

「……なんじゃこの爆音は! 丸聞こえではないか!」


 そうだよ、一条先輩の言う通りだ。こんな音が響いてしまったら――


「おいおいおいおい、バレるんじゃないかこれは」


 武蔵講堂とシェルターを繋ぐ入口がどこにあるか、それはちょうど講堂の真ん中だ。異変に気付いたナリト派の連中が全員視線を向けていた。


「主将! 講堂の中央が開きました!!」

「見れば分かる。だが……シェルターは考えていなかった。流石は塚本翔太」


 中岡先輩の声が聞こえる。外を見ていたのか、入口の方に立っていた。

 ……俺がこじ開けたんじゃないからね? そこのところは勘違いしないでくださいよ? それに、この作戦を思い付いたのは俺たちの策士、悟だ。


「カエデ!」

「しょーた! ……よかった、信じてた」


 壇上に立つ赤津先輩の隣にはアヒル座りでこちらを見つめるカエデの姿があった。よかった無事だった……っておいおい! そんな座り方すると骨盤が歪んじゃいますよ! せっかく安産型なんだか……いいえ、なんでもないです。


「誰だお前たちは!」


 警戒態勢の野球部員が鉄パイプをこちらに向けながら叫んだ。その状況に一切の隙を見せな一条先輩がカッコいい。


「誰だお前たちは、と訊かれたら……答えるのが筋というもの。じゃが、事態は火急を要する。文藝部と生徒会、こう言えば伝わるかのう?」

「そいつは酔狂なものですね。あれだけ生徒総会で対立していたのに、どういう風の吹き回しですか」

「赤津ぅ、そろそろお主も限界を感じておるじゃろう。署名も集まらず、批判に晒される毎日。もう後がない。そんなお主が生徒会長を名乗ったところで誰が賛同する?」

「それは貴女だって同じでしょう、彩姫。今すぐにでも生徒会長になりたい。地位と名誉が欲しい……だが、自分にはその力がないと限界を感じている」

「そうじゃな。お主とわらわは似た者同士……。じゃが、明確に異なる部分があるぞ」


 扇子と共に蛇にも似た鋭い気迫を向ける一条先輩は、この場の誰よりも目立っている。高貴な血筋を引くに相応しい人物だと思えた。


「仲間じゃよ。お主には背中を預けることができる仲間はおるか?」


 どうやらぐうの音も出ないようで、彼は俯くとただやり場のない感情を拳に込めるだけだった。

 すると、ここぞとばかりに伴弘が声を張り上げて宣言した。


「我は一度決めたことは最後まで貫き通す性分でな。島崎楓生徒会の打倒、恋愛成熟、日本の社会主義改革……そして、貴様ら悪党を滅ぼすまでは死ねんのだよ」

「改革以外は右に同じじゃ。よいか、これ以上悪事を働くと言うのであれば……こやつらが容赦はせぬぞッ!」


 こやつらとは、キキのことである。萌夏、千晴、悟の後ろに立った一条先輩は、自信満々な表情でそう答えていた。

 視界は良好。金属バットや鉄パイプを手に持つ野球部員は、一条先輩の言葉を挑発だと感じ取ったのか、怒りに身を任せて走り出した。


「……馬鹿が」


 鋭く尖った言葉、そこには萌夏の殺意が宿っている。

 相手がバットを振り下ろす構えを見せたところで、萌夏は一瞬にしてゼロ距離まで近づき、みぞおちめがけて拳を突き上げた。言葉を漏らすことなく倒れ込む野球部員。それを見て、周囲は怖気づいてしまう。


「怯むな」


 重く冷たいその一言が、即座に彼らを支配する。


「こえー、やっぱあんな態度の主将だから初戦敗退なんだろうな」

「それはそう」

「……」


 悟の言葉に千晴が頷きながら肯定した。あのさ、あんまり怒らせないでくれないかなぁ。……暴力とか好きじゃないからさ。

 だが、それが開戦の合図となってしまい、俺たちを包囲するナリト派の連中が次々と攻撃を仕掛けてくる。キキの三人を連れていなかったら、多分俺たちは死んでいたと思う。喧嘩ってこんなに殺伐としてるんですね……。


「おい、翔太!」


 乱戦状態の講堂で、悟は俺の名前を呼んだ。


「行ってこい、彼女とのところへ!」


 まるで全てを託すような言い方で、ちょっとだけ全身が震えた。


 ……これは武者震い。勇み立つさ、カエデのためなら!


 喧嘩から逃げるように走り出し、なんとかして攻撃を避けながら壇上へと向かう。全てはそこでの勝負に掛かっている!


 ――そして、ようやく壇上へと辿り着く。


 一戦一勝、一条先輩と赤津先輩の論戦では我らの部長が勝利をあげてくれた。ここまで繋いでくれた全員の力を無駄にはできない。そして、カエデに想いを伝えるためには絶対に負けられないっ!

 若干睨みつけるような視線を向けながらも、赤津先輩は俺のことをジッと見つめてきた。まるで品定めを行う競り業者みたいに。


「……変革をもたらす人間は、常に自分が正義だと思い込んでいる。失敗したら他人のせい。自分はなにも悪くない。どうして君たちは分かってくれないんだ……そう、考えている。これからも自分の信念を原動力に進み続ける君たちは、いつか必ずその壁にぶつかるだろう。それが遅いか早いかの話だよ、これは」


 彼の発言に納得できる要素はある。だが、そのやり方には納得できない。


「だからといって、こんな暴力的なやり方でカエデを生徒会長から退けるのは間違いだ」

「暴力的なやり方? じゃあ、カエデさんのやり方は暴力的じゃなかったと言うのかい?」


 それは……たしかに、この光景を見れば彼女も同じ穴の狢だと言わざるを得ない。キキという戦力を創設していたのだから。それがたとえ、本意じゃなくてもね。


 だが、俺は知っている。カエデと赤津先輩の大きな違いを。


 ……俺は変わったんだ。確固たる信念のために戦うことができる。


 大好きな君のために、声を上げることができる!


「自分が正義か悪党か、そんなことは本質じゃない。状況を変えるために声を上げることができるかできないか、そこに本質があるんだ。現状維持というぬるま湯に浸かって生徒会選挙に立候補した赤津先輩と、自分の野望を叶えるために立ち上がったカエデ、俺は間違いなく後者を応援するし、だからこそ彼女に支持が集まった……そうでしょう!」

「……違うっ! 彼女が強引なやり方で生徒を騙し、それが現生徒会を生み出してしまったんだ! だから自分のやり方で――」

「赤津先輩がそれを真似した結果、ほとんど誰も付いてこなかった」

「……っ!」


 正常な状態じゃない赤津先輩をいじめている気分になってきた。できた人間じゃないのは重々承知しているが、そんな俺が彼を憐れんでしまいそうになる。

 言葉を失って黙り込む秋津先輩に代わり、中岡先輩が声を上げた。


「……分からないな。なにがお前さんを突き動かす? プライド、それとも野心か?」


 ――そんなの、五年前のあの日からに決まってる。

 仁王立ちで俺の言葉を待つ先輩方に顔を向けて、今出せる精一杯の声でがなり立てる。


「カエデのことが好きだからだああああ!!!」


 ちょうど外で騒いでいたローゼンをはじめとする生徒たちが講堂に足を踏み入れたタイミング。なにが起こったのか分からず、戦闘状態にあった生徒たちも動きを止め、俺に視線をあてた。

 そして――誰よりもこの言葉を聞いてほしかった人は、放心状態になってしまったのか、表情を変えることなく俺を見つめていた。俺が君を好きだって言うこと、そんなにおかしいかな。


「愛の力がお前さんを突き動かしたわけか」

「……そうです。中岡先輩がカエデを知る前からずっと、俺は彼女が好きだった」


 大きなため息を吐いて俯いた先輩は、物寂しげな表情を浮かべた気がした。だが、すぐに俺へと視線を戻すと、石のように固まって戦意を喪失した赤津先輩を担ぎ、壇上を去っていく。

 去り際、彼は俺の右肩に手を乗せてこう呟いていた。


「……ワシの分まで愛せよ、彼女を」


 余計な言葉を残さない、まさに仁義に厚い男であることが分かった。坊主頭で厳つく、そしてその額の縫い傷が物語っていた。

 ……去り際のその一言で、俺は全てを察した。つまり、彼はカエデのことが好きだったということ。同時に俺を試していたんだ。カエデを愛するに足る人間かどうかを。


 俺の想いは貴方に勝ったんですね、中岡先輩。ありがとうございます。これで俺は、惜しみなく彼女に想いを――


「……うそ」


 ようやく意識を取り戻したのか、カエデが小さな声でそう呟いた。


「噓じゃない! 本当の気持ちだ!」

「……いつから?」

「……小学校高学年あたりから」

「はい、私の方が早い! 私は初めて会った日からだもん!」

「……うそだろ?」

「噓じゃないもん、私だってしょーたのことが好きなんだもん!」

「俺のことが嫌いだったわけじゃ……ないんだな?」

「そうよっ! ……たしかに、しょーたには酷いこと言っちゃった時もあったけど……あれはとっさに出ちゃった言葉で……全然本意じゃないから! 私の気持ちは昔から変わらないから! 貴方のことが好きなのっ!」


 ……やはりそうだったんだ。葛藤する彼女がつい言ってしまっただけ。俺の予想は当たっていたみたい。


「しょーただって、私のことが嫌いだったんじゃないの!?」

「なんでだよ! ずっと好きに決まってるじゃん!」

「……それなら、どうして私を会長の座から降ろしたいだなんて……」

「そ、それは……君に遠くへ行ってほしくなかったから! 俺だけを見ていてほしかったから! そういう自己中心的な考え!」

「……うそ」

「だから噓じゃないって! ……でも、君を傷付けてしまったよね。本当にごめんなさい」

「……私も、今までの中傷発言を全て撤回させていただきます。大変申し訳ございませんでした」


 ……壇上で繰り広げられる奇妙な夫婦漫才に、誰もが両目を見開いて呆然と立っていた。そんな状況も知らない俺たちは、日が暮れるまで互いの愛を打ち明けていた。


 紆余曲折あったが、最終的に二人生徒会長問題はの勝利となった。

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