第10話 「両片想いは巡り合う」


 五月一七日、火曜日。

 梅雨入りはまだだが、近頃は雨の日が多くなっている。そんな天気を反映するかのように、俺も冴えない日々を送っている。試験前だというのに勉強にも力が入らないのは、ひとえに文藝部の件が解決していないからだ。


 俺は文藝部を退部しようと覚悟に決めた。しかし、千晴が俺たちに本心をぶつけて去っていったことで、告げるタイミングを逃してしまった。ただ、彼女の話を聞いて若干心を入れ替えた俺もいる。

 ……同じ文藝部員なら、ギリギリまで二人を説得する義務がある。それでも変わらなかったら諦めよう。

 そう思って一条先輩と伴弘の説得を続けたが、変化なし。次の日も説得しようと動いたが、あの日以来部員に連絡しても返事がなく、誰にも会っていない。

 学校には登校しているようだが、校舎は二つあるし校内は広いし、説得したい二人は教室に行ってもいないし……もう、俺はどうすればいいのか分からない。潔く顧問の森田先生に退部届を提出するべきなんだろうか。


 状況が好転しない中で、学級委員長の悟は、来月から施行される校則が記載された生徒手帳を事務室に取りに行く付き添いとして、なぜか俺を指名してきた。

 事務室は藝学舎にあるのだが、所属と異なる校舎に入るのはよっぽどのことがないと許されない。たとえば、紫学舎所属の副会長が藝学舎にある生徒会室に行くためとか、部室の鍵を取りに行くためとか、そういう理由じゃないと首を横に振られる。


「おい、どうして俺なんだよ」


 目的地までの道中、先行する悟に対して気怠さを全開に問い掛けた。その光景が面白かったのか、やつは笑みを浮かべるだけでなかなか口を割らない。


「言わないと帰るぞ」

「それは困る」


 仕方ないなと、渋々口を開いた悟は、俺を指名した理由を簡潔に述べた。


「頼まれたのよ」


 頼みごとをされるような知り合いがいた事実に驚かされる。俺が彼とこうして会話できるのも、ルームメイトであるから自然と話すしかなかっただけ。そうじゃなかったら同じクラスに所属する他人の関係だったと思う。

 そんな彼が、一体誰に頼みごとをされたと言うのだろう。交友関係までは把握していないので、思い当たる人物は……良隆くらいしかいない。


「良隆に?」


 名前を挙げてみるが、彼は首を横に振るだけ。


「じゃあ誰だよ」

「そのうち分かるさ」


 ああ、そうかい。俺は今知りたいのだが。こういう時の悟は、絶対に真実を話さない。焦らすのが趣味なのか知らないが、どうしても話してくれない。


 ……まあ、時が来れば分かるのなら、仕方なく待つしかないのかなぁ。


 藝学舎に入ると、部活動前だからか、ユニフォームに着替え終えた生徒が続々と昇降口に向かう姿があった。毎度練習場に向かう体育会系の生徒が長蛇の列を作るので、文化部勢は終礼直後に移動しないと無駄な時間を過ごすことになるらしい。千晴が言っていたことを思い出す。


「うっわ、紫学舎の生徒やんけ」

「なんだよ、がり勉鼻水眼鏡くんじゃねえじゃん。つまんな」

「部活めんどいのに、免除されてる生徒見るとムカつくわァー」


 微妙に聞き取れるトーンで話す生徒がちらほらいる。がり勉鼻水眼鏡くんって誰だよ、語呂はいいけど命名したやつ絶対に悪意あるだろ……。

 ……こんな感じで、藝学舎の中には紫学舎を目の敵にしている生徒がいる。たいていは卒業試験で優秀な成績を修められなかった者や、「特待生」を狙って受験したのに点数が下回ってしまった者だそう。こうしてぐちぐち言ってくるので、校舎間の偏見や差別はなくならないというわけ。カエデ、こういうところを率先して変えていくべきじゃないですかね?


「こらァ、愚痴言ってんじゃないよぉ! 藝学舎の名を貶めるようなことはしちゃだめなんだからー」


 そんな中、とまどう様子を一切見せずに少年少女を注意する生徒の姿があった。たしか、生徒会会計の人だったかな。集合写真に写っていた記憶がある。それにしても、まだ新しい校則が施行されたわけじゃないのに茶髪なのは……彼女も地毛なのかな。


「貴方たちは藝学舎に用事があるの? 事務室?」


 そんなことを考えていると、どうしてこんなところにいるのか疑問視する彼女の姿があった。両手を腰に当てて前屈みになる姿勢がちょっと可愛らしかった。


「……うん。生徒手帳を受け取りに」

「なるほど……って、そっちは笹川君か!」


 お互いに面識があるようで、悟に話題が振られた。しかし、やつは彼女から隠れるように俺を背後に回った。どうやら、彼女は悟にとって最低限の関わりで済ませたい人間みたいです。


「ド、ドウモハタケヤマサン。オレノコトハドウゾキニセズニ」

「あっはっはっはwwロボットみたいな喋り方は相変わらずだねwww」


 ほら、完全に拒否反応が出ている。悟が機械音声のような話し方で対応する際は、決まって話したくない相手なんだ。まあ、機械音声自体はなかなか上手いので、笑いの種になるのは分かる……けど、本人としては、本気で拒否しているんだよね。

 すっかり笑い疲れて深呼吸を幾度かして見せると、再び俺に顔を向けてきた。首を振るたびに揺れるポニーテールが彼女の可愛らしさを引き立てる。


「私は生徒会で庶務と会計を兼ねてる畠山未礼だよぉ。未礼って呼んでね~。先週の総会で見た記憶あるでしょ?」


 ……ああ、そう言えば。講堂を開錠したのって彼女だったような。未礼さんか、覚えよう。せっかく名乗ってくれたのだから、俺も軽く自己紹介をしておいた。


「俺は笹川と同じクラスの塚本翔太。よろしく」

「表情が硬いよぉ。まっ、同じ学年だし接点もあるだろうから、よろしく~。じゃあね」


 俺が別れの言葉を述べる前に機敏な動きで去っていく彼女は、本当に生徒会役員なのかと疑いたくなる。一般の生徒に走るな! ……って注意されてるし。あー、なんか……幼い頃のカエデを思い出すなぁ。塾が終了すると、いつも教室内を走り回っていた。喜びを表現していたんだろうけど、教室長にはよく怒られていたよね。


 はあ、やはりカエデを愛したい。ずっと一緒にいたい。

 でも、無理だよ。俺にはそんな度胸はないし、カエデとは住む世界が違うんだ。そんなことが浮かんできて、思わず首を振った。


「……そういうとこだよ」

「え? なにか言ったか?」


 悟の悟った言葉が聞こえてわざと聞き返すが、彼は答えてくれなかった。そういうところってなんだよ。俺には分かんないよ。


「事務室はもうすぐだぞ、ほら」


 再び先行する彼のことを、俺はほんの少ししか知らない。なにを考え、感じているのか。……俺は友達として彼の隣にいて許されるのか。


「……おう」


 分からない。俺は、自分が分からない。

 他人が分からないのは当然だが、同時に自分がなにをしたいのかも見えてこない。

 カエデを誰よりも愛している……だが、それは俺の本当の気持ちなのだろうか。ただ小学生時代の記憶を懐かしんでいるだけ? 推される彼女の知られざる一面を見ていると優越感に浸っている?


 ……カエデ、分からないよ。俺のことも、君のことも。


 両手に持つ段ボール箱がずしりと乗りかかってきた気がした。廊下が果てしなく長い気がした。俺はなんのために生きている。なんのために歩いている。

 両校舎に挟まれて存在する広場に、数名の生徒が集まっていた。噂話をするように縮こまって、ひそひそと言葉を交わしていた。


「私、さっき見ちゃったんだけど……」

「えっ! なになに?」


「文藝部の人が数名の生徒に連れていかれるところ」


 ……は?


 耳を疑うような会話で背筋が凍る。


 そして、俺を幻想から覚まさせる。その場に立ち止まり、澄まし顔で聞く耳を立てた。


「うわー、それって噂の秘密組織?」

「しーっ! 多分ね」


「たしか今日って、生徒会長が文藝部に見学する日じゃなかった?」


 ――生徒会長。カエデが文藝部に来る。


 しかし、肝心の部員は誰もいない。

 そんな危機的状況に、俺の居場所が晒されていると気付いた頃には、両手を塞ぐ段ボールを悟に持ってもらおうと地面に置いた。やつの段ボールの上に積み重ねればよかったが、隠れマッチョな悟は、既に俺がジャンプしても届かないくらい段ボールを積んでいたのでそうするしかなかった。


「おい、お前!」

「借りは必ず返す!」


 悟の返事が耳に入ってこなかった。

 そのくらい、一所懸命に部室棟へ向かった。

 もうどうにでもなれ。後は部室で勝負を仕掛けるだけ。

 なにをするべきかなんて、既に心に決まっていたじゃないか。どうしてもっと早く自分の気持ちに付かなかった。全身が焼かれているように熱くなって堪らない。

 燃えている、彼女との勝負に。


「……貸しがあったのは俺の方さ。彼女にな」


 翔太の背を見ながら独り言を漏らした悟は、藝学舎の方を眺めていた。二階から観察するように悟を見つめながら赤いマントを羽織る少女は、後は彼次第だと微笑んでその場を去っていく――。


 ……階段を一段飛ばしで駆け上がって部室の扉を勢いよく開く。

 そして、待ち人の姿をこの目で捉える。


「ひゃっ!?」


 落ち着いて手もとを眺めている時に突然大きな音が聞こえたので、驚き声を上げるカエデがいた。彼女は手に持っていたものを急いで背中に隠していた。


「しょーた……!」

「カエデ……」


 二人の会話は、入学式の日に桜の下で交わした時以来だった。

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