第5話 「混戦模様の生徒総会(前編)」

 五月十一日、水曜日。

 生徒総会当日、五時限目が終了すると同時に、カエデ見たさから我先に武蔵講堂へ向かう生徒が渋滞を発生させ、校舎から講堂まで長い行列が作られていた。

 この総会だが、教師陣は立ち入りが禁じられている。行事の一切を取り仕切るのは生徒会であり、総会における議題の採択は我々生徒の多数決に委ねられているからだ。


 ようやく講堂前に辿り着いたものの、まだ開錠されていなかったので、人の波にごった返す様子が広がる。まるで、大手雑貨店の開業を今か今かと待ち続ける買い物客のようだった。


「……塚本」


 その途上で一条先輩と鉢合わせになる。彼女は扇子で表情を隠し、鋭い目線で俺を捉えた。改めて念を押す必要があると思い、彼女に近寄って耳もとでこう呟いた。


「この生徒総会でアクションを起こすのは確実です。くれぐれも目立たないようにお願いします」

「善処しよう」

「いいですか? 絶対に目立たないでくださいよ」

「うぅ……分かっておる」


 念を押して言っておかないと、彼女は絶対に問題行動を起こす。伴弘にも言っておきたいけど……周囲を見渡したところで、運よく彼を見つけられるわけがなかった。


「……もうよい、分かった。互いに最善を尽くそうぞ」


 親指と人差し指を巧みに動かして扇子を素早く閉じると、一条先輩は清々しい表情でそう言った。本当に分かったのかぁ? と思って首を傾げた直後、茶髪の少女が講堂の扉を開錠したことで、生徒たちが講堂へと飛び込んでいく。


「生徒会発足後、初めての大舞台。必ずや成功させましょう」


 雪崩のような勢いに耐えてようやく講堂内に足を踏み入れると、壇上の手前で拳を合わせている生徒会の姿が目に入った。カエデの姿が一段と美しく思える。ああ、輝いてる……あそこが彼女の居場所なんだろうなぁ。


 ……いかんいかん。俺は彼女に生徒会長を辞めてほしいんだ。

 カエデが遠くへ行かないように、俺だけの彼女でいてくれるように。

 

 今回の文藝部は生徒会の観察が第一だった。生徒会のように、自前の親衛隊がないちっぽけな部活なので、情報収集を最優先。今回の総会ではアクションを起こさないと部員全員で合意している。

 先ほどの一条先輩の反応には冷や冷やさせられたが……多分、大丈夫だと思う。根拠があるわけじゃないけど、流石に彼女も常識は持っているよね。ねっ?


 ……そもそも、生徒総会は年に一度六月に開催されるのみ。それが発足してたった一週間で臨時の総会を開くと言うのだから、おそらくは選挙公約に掲げていた「校則の大幅改正」が焦点になるはず。

 議題は二つあると言っていたが、校則改正以上の爆弾を用意する時間は……なかったと信じたい。あの日彼女が言っていた「もう一つは、当日発表します!」の一言が心配の種だ。


 やがて、講堂中を照らしていた照明が明度を落とし、ライブ会場にいるような雰囲気を醸し出していく。本来は六時限目の授業時間ということもあって、ほとんどの生徒が疲弊した脳に魔剤を投入して無理やり活性化させているような状況だ。


 ひょっとすると、彼女はそれを狙っていたのかもしれない。


「生徒会選挙が終了して、一週間が経過しました」


 入学式、会長選挙の立候補演説で聞いた魅惑の美声が聴衆の鼓膜を振動させる。壇上を一歩、また一歩と進む足音が講堂に響いていた。


「私は生徒会長として、自分の掲げた公約を全うする義務があります。今日はその中でも最優先事項を達成するため、皆さんにお集まりいただきました」

 複数の照明が彼女をフォーカスして、その登場とともに無数の手打ちが向けられる。壇上のパフォーマンスは、さまざまな思惑に駆られる全校生徒の視線を確実に集めていた。


「これより、今年度初となる生徒総会を開催します」


 開会宣言は全校生徒を大いに盛り上げ、それはそれは講堂外にも伝わる絶大な支持を象徴する拍手となり、周囲に生息する鳥たちが驚いて一同に飛び立っていくほどだったらしい。

 谷千代学園の歴史に残る生徒総会が、ここに幕を開けた。

 その熱狂が収まる前に、彼女は両手を大きく広げた。


「早速本題に移りましょう。第一に、校則の改正について」


 前方から分厚い用紙が送られてくる。そこには校則に関する内容が記されていた。必要な分だけ取って後ろへと回す。

 ……昨年度の校則との改善点が大まかに分かりやすく記載されているので、とにかく読みやすい。その中でも俺が注目したのは容姿に関する校則だった。


「おいおいおいおい、染髪も認めるのかよ」


 背伸びしたい気持ちは分かるよ。俺だっていつか髪を染めたいな~って思っているし。だけどさ、高校でこれを認めちゃっていいの? つい先日まで伝統を重んじる校風を売りにしていた学校だよ? いささか急ぎ足なのでは……。

 どうやら俺と同じ考えの人は一定数いるらしい。前方に座る生徒が手を伸ばして会長の指名を待っている。俺はその人物に見覚えがあった。


「外出許可はやり過ぎだよ」

「やり過ぎ、と言いますと?」

「なんのための外出許可なんだい。外部との接触を極力避けて個性を伸ばす教育を行うという学校方針に大きく背くことになるのだよ?」


 議題に堂々と反対しているのは、カエデの対抗馬として生徒会選挙に立候補していた二年の赤津あかつ先輩だ。教師陣・理事会の忠実なる僕として昨年度は副会長をやっていたそうで、今年は会長候補筆頭と目されていたのだが、カエデの大躍進によってその期待も水の泡となってしまった。


「個性とは、他者の存在があって初めて生まれる概念です。もし個性を伸ばすと言うなら、我々を学校という箱庭に閉じ込めて井の中の蛙を育てようとする教育こそ、学校の方針に大きく背くと思いますが」


 彼女な冷静な返答を後押しする野次が無数に飛び交う。たしかに一理ある。小さなコミュニティではなく、学校外も含めた大きな社会で個性を育む、それはこの学校に欠けた要素だ。

 あまりにも野次の声が大きく、赤津先輩の声は封じられてしまう。会長が静粛にさせたものの、赤津先輩の勢いは既に失われているも同然だった。


「本校の昼休憩は非常にせわしいです。購買と食堂でゆっくり過ごせるほど時間が確保されていませんし、なにより食堂には人数制限があります。多くの生徒が立ち入れる場だとは思えません。仮に外出を許可する場合、周囲の飲食店やコンビニに足を運び、昼食を取ることが可能になります。更にこの度、谷千代学園だけの特別な学割制度を設けて、安くより多く美味しい料理を提供するとの旨を、各店舗の店長さんに確約していただきました」


 なるほど、昼休憩の席取り合戦に終止符を打とうと考えた末に辿り着いたのが外出許可なのか。寮の部屋にあるキッチンも湯沸かし程度にしか使えなかったが、この校則改正が実現した場合、スーパーに足を運べるしお得意の自炊も可能になる。食費が浮くじゃん、最高だっ!


 ……言い忘れていたが、俺は家庭的な男なのです。小学生時代は、カエデが勉強に全振りして身の回りのことがおざなりになっていたので、それを補填するために俺が家事や掃除をこなせる必要があったわけだ。その過程で料理も得意になっちゃったていう話。

 ……さて、多くの生徒がカエデの意図を理解していて、言葉を聞き終えると歓声が上がった。


「しかし、やはり学校の方針に反して」

「無益な言葉ばかりを並べて総会の進行を阻むのならば……」


 同じ論調の言葉を繰り返されて魔が差したのか、副会長の稲田清美はマイクを持ち出し、仕事の鬼と化した冷徹な視線を向けてそう言い留めた。言論弾圧とも見て取れる行為だが、無益なのもそうだ。加えて、彼は学校側の意向を背負って生徒会選挙を戦い、結果的に敗北したという事実が存在するのだから、そう言われても仕方がない。


「流石は副会長にして親衛隊隊長……鬼だぜ」

「メガネをかけた真面目系とか、俺の性癖どストライクなんだが」

「二面性を持つ清美ちゃん、それでも俺は愛そう!」


 そんな冗談の言葉も聞こえてくる。いや、こいつらは冗談じゃないな。

 ライトに当てられて黒髪が光沢を帯びている。彼女は仕事のためなら鬼にもなれると噂だ。黙って座る赤津先輩がどうしても惨めに思えた。負けたことを再三言われると辛くなっちゃうよね。分かるよ、俺も不合格のこと触れられて辛かったもん。


「まあ、そう噛みつきなさんな。深く考えれば見えてくるものもある」


 気落ちする赤津先輩を慰めるように、坊主頭のいかつい生徒が声をかけていた。こめかみに大きな手術痕のある彼は、赤津先輩が敬うように接していることから三年生なのだろう。野球部のオーラを感じた。

 ……さまざまな校則の改正案が提示され、彼女はすべて簡潔に触れていった。改正に至った根拠と影響……利点ばかり話すのは、とにかく生徒会を盤石にしたいからか。必死になっているカエデも可愛い。なにをやっても絵になるな……。


 やがて採決に移ると、その場にいるほとんどの生徒が賛成のために右手を高らかに挙げた。

 ……当然だけど、俺は反対の方に手を挙げたよ。

 えっ、可愛いとか言っているくせになんで賛成しないんだって? それは、俺の考えに反するからに決まっているじゃないか。ここで賛成の意思を示せば、彼女が遠くに行くことを認めてしまうことになる。それだけは明確に反対だ。


 一瞬、彼女と目が合った気がする。この視線はなんだろう。怒り……いいや、悔しさだろうか。とにかく負のオーラを肌で感じてひやりとさせられた。新手の羞恥プレイですか? 


 も、もし俺の行動に不満を覚えたのなら、それはカエデのせいなんだからねっ。カエデが目立つのが悪い! 俺の気持ちを分かってくれないのが悪いっ!


 ……そうは言うけど、俺もカエデの気持ちは分からないんだよな。何度も軽蔑するような発言をされてきたから、嫌われているんだろうけど……。

 余計なことを考えるうちに賛否の集計ができたようで、拍手喝采の嵐が巻き起こった。


「ただいまの議案は、賛成多数によって可決されました。この校則は来月より適用されます」


 ライブらしい雰囲気も相まって更なる熱気を生み出していく。この調子で二つ目の議題を提示した時、一体なにが待っているのか――俺には予想できない。頼むから、ぶっ飛んだ内容のものだけはやめてほしい。

 まるで組分け帽子に懇願するような気持ちで両手を握っていると、


「続いての議題に移ります。第二に、寮制度の一部変更について。生徒を縛るものとして長年存在し続けてきた寮制度ですが、理事会にある提案を申し出たところ、無事に許可を得ることができました」


 という、極限まで焦らすような話し方で彼女が呟いた。いいから早く言ってよっ! 俺のドキドキが止まらないじゃないか。……カエデの焦らしプレイなら体験してみたいかも。


 そんな俺の気を知ってか、彼女はようやく二個目の議題を告げた。


「――生徒同士の交流を増やすため、シーズンごとに同棲相手を入れ替える制度を導入したいと考えています」

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