第12話 「定期試験の結果発表」
六月三日、金曜日。
今年は例年と比べて少し早めの梅雨らしい。先月末から雨模様の日が続いていた。しかし、幸運なことに今日は雲一つない晴れ空で、試験結果の発表にはもってこいの日だ。
湿った空気感の中で行われた定期試験も、過ぎれば懐かしい思い出……になるわけないよね。しかも、今回は特にそう。俺とカエデの人生を賭けた戦いが行われたのだから。文藝部室で宣言したあの日から、寝る間も惜しまず勉強に励んだ。
学年一位に君臨するための手っ取り早い方法は、手もとに教科書・問題集がなくても暗唱できるくらいやり込むこと。勉強はゲームと同じ? 違う違う。機械的な作業だよ。いつでもどこでも頭の中にポッと浮かぶくらいまで叩き込む。
ここまでやってようやく土台が完成する。まあ、土台さえ完成してしまえば、後は応用するだけだからね。傾向に合わせて煮るなり焼くなり好き勝手やって、これを点数に繋げるんだ。
問題はそれをやるだけのモチベーションなんだけど……今回は、カエデに絶対勝利するんだっていう心意気が俺の原動力となってくれた。
……さて、谷千代学園では面白いことに、全校生徒の順位が校門に張り出されるそうで、各々複雑な感情を抱きながら足を運んでいる。
俺もその一人。学校改革を推進する生徒会長によって打ち出された秘策、定期試験で好成績を修めた者から寮の同棲相手を選んでいいという権利をカエデに行使できるか、ここに人生の全てを賭けているからだ。
だから俺は心配なんだよ。
カエデに負けたらどうしようカエデに負けたらどうしよう……。
た、たしかに、どちらが勝利しても同棲するという点では同じだが、カエデが勝者には絶対服従という条件を設けてしまったので……うん、もし俺が負ければ、カエデがいないと生きていけない体にされちゃうってことだよね? ……あれ、ちょっと待って。実はそっちの方がいいんじゃないの? だって、俺はカエデのことが好きだろ? ずっと傍にいることができるわけだから――違う、そうじゃない。もしかして、彼女は俺を自分の虜にさせてから一生近づけなくする放置プレイをしようとしている!? 俺を恋の病で殺そうとしている!?
……それはまずい。だって、俺の想いが叶わないじゃん。放置プレイもそれはそれで気持ちよさそうだけど……って、ダメだ忘れろっ!
「しょーた」
俺を呼ぶ声がして我に返る。振り返ると、自信満々な表情で俺を見つめるカエデの姿があった。
「なになに? 会長が声を掛けるだなんて」
「会長も美しいけど、あの人もカッコよくない!?」
きゃあきゃあと、悲鳴にも似た女子たちの高い声で耳を痛める。頼むから、俺と彼女の対決を黙って見届けてほしい。そう思うよな、カエデ?
……入学式の日にカエデが墨染と称した桜の木々は、いつの間にかその花びらを散らし、今では青葉が芽吹き始めている。そんな成長を見守るように建てられた校門に、続々と生徒が集まってきた。
あの日、俺は彼女にこう宣言した。
――君には生徒会長の座から退いてもらいたい。
出せる限りの勇気を振り絞って言ったんだ、定期試験で学年一位を取るのは義務であり、最後まで力を尽くす責任があった。
教師が数十人がかりで大きな張り紙を何枚も持ってやって来ると、場の緊張感は高まっていった。遂に順位が公表される。俺とカエデの間で勃発した戦争が決着する。
やはり、人間は危機的状況になると神頼みをしてしまうんだ。
いるかいないか、そんなことはどうだっていい。
……頼む、彼女と同棲させてほしい。
両目を閉じて祈っていると、喜びと悲しみが共鳴したような叫び声が聞こえてきた。よし、見よう。もし負けていても後悔しない。土壇場にもかかわらず、勇気を振り絞って彼女に気持ちを伝えられた俺を称えよう。そうだ、それでいいんだ。
深呼吸を経ておもむろに目を開け、第一位の文字に視線を向けて、読み上げる。
「……第一位、島崎楓 887点か。……ああ、そうなんだ」
そこにはカエデの名前が記されていた。900満点中、実に887点を獲得したカエデが見事に学年一位に輝いたのである。
不思議と絶望はなかった。思えば、小学生時代からクラス内一位……いいや、全国でも十本指に入るレベルで優秀だったもんな。いくら努力したって越えられる壁じゃなかったんだ。
彼女の方に目を向けると、啞然とした表情でこちらを見ていた。
「しょーた……」
いまさら声を掛ける必要なんてないのに。俺は同情の言葉がなにより嫌いなんだ。どうして君は……ううん、ここは素直におめでとうと言うべきか。負の感情を一切封じ込んで、清々しい笑顔を彼女に向けた。
「おめでとう、カエデ」
「うん……しょーたも、本当に……ありがとう……」
ありがとう? それは、負けてくれてありがとうってこと? 言葉の意味が分からず首を傾げていると、こんな声が聞こえてくる。
「やっぱ会長すごくない!? 学年一位だよ!?」
「それな! でも、一位が二人いるじゃん」
一位が二人いる、その言葉にどれほど救われたことだろう。直ぐに視線を張り紙に戻して、上から二番目の名前を確認する。
――第一位、塚本翔太 887点。
……絶望してないって言ったよね。あれ、噓だよ。
今すぐにでも死にたいと思っていた。
でも、君のおかげで……俺の人生はもう少し続きそうだ。
今度こそ彼女の言葉の真意がわかった気がした。一位を取ってくれてありがとう、私と並んでくれてありがとう。つまり、彼女も勝敗がつくのはイヤだったんだ。……多分ね。
「しょーた、改めて言うけど」
いろいろな気持ちが込み上げてきて感傷に浸っていると、彼女が話を切り出した。周囲の人々も、俺たちに視線を集めてなにやらひそひそと会話している。
いいじゃないか、俺たちの戦いに水を差さないでくれよ。
「貴方に私を分かってもらいたいの。だから同棲しましょう」
「臨むところだ。カエデには必ず生徒会長の座から退いてもらうからな」
流石に人の前ではあの時みたいなことを言えないみたいで、ちょっと悲しかったけど……いや、なにを悲しんでいるんだ俺は。やはりドМなんですかね、俺は。
と、とにかく、二人が同棲するという話は固まった。
「ちょっと待ちなさい。なにを言っているの?」
二人の間に割って入る形で、今にもこぼれ落ちそうな胸元に薔薇の紋章を付けた少女が現れた。胸でっか、カエデの比じゃないぞ……って、今はそんなことを考えている時じゃない。知ってるぞ、彼女のこと。
「……副会長か。俺はカエデに宣言したんだ。君には生徒会長の座を退いてもらうって」
「そのために同棲する理由は? とても繋がっているようには思えないけど」
「そ、それは……」
流石に言えない。カエデのことを独り占めしたいとか、好きで好きで仕方ないとか……うん、言ったら終わる。なにも答えられずに渋っていると、カエデの背後から怒りにも似たオーラが発せられているのが分かった。
まるで、邪魔するなって言ってるみたいで恐ろしかった。
「清美、私は彼を更生させるわ。二度と私を生徒会長の座から引きずりおろすだなんて言えなくしてみせる」
「で、でも……カエデ」
いや、引きずりおろすとまでは……まあ、結果的には同じことなんだけどさあ。
カエデはそっと副会長の身を抱き寄せて、彼女の不安を拭うように耳元で呟いた。
「大丈夫。私が決めたことだから」
そう、かな。カエデもそれなりの覚悟を持って俺に宣言してくれたんだと思う。その気持ちが伝わったのか、敵意むき出しの表情を俺に向けながらも、副会長は頷いていた。
「……カエデが、そう言うなら。……で、でも塚本くん! あたしは貴方のこと信用してないからね!」
「はいはい」
「なにその空返事は!」
こんなやり取りをしていると、カエデが冷酷な視線で副会長を眺めていたので俺はとっさに離れた。対する副会長も、負けじと立場を譲らない表情でカエデを見ていた。
まあ、たしかに……会長が突然見知らぬ男と同棲するって言い出したら心配するよね。考えてみれば、普通はそうなる。
……あー、なんか不安になってきた。俺たち、本当に大丈夫なんだろうか。
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