第二部
第13話 「両片想いは同棲する」
六月四日、土曜日。
昨日は見事な快晴だったのに、天気は私たちの同棲を祝福したくないくらいの雨模様で、なんだか気落ちしてしまう。
私は偏頭痛持ちだから、気圧が変化すると頭痛が頻繁に起こるのよね。だからお薬飲まなきゃ。そう思って市販の錠剤を口に含み、コップ一杯の水で流し込む。お薬を飲む時はお水をたくさん飲みなさいと母親から言われている。
それはちゃんと実践したんだけど……。
……はあ、どうしよう。
こんな天気でも、しょーたに対する想いは燃え続けてる。今すぐにでも踊り出してしまいそうな気持ちを抑えようと、部屋の中をぐるぐる回ってみたけどほとんど効果はない。
ルームメイトとして、二か月の間一緒に過ごしてくれた清美が置いていった本に目を通しても、やっぱり変わらない。
どうしてこんなにソワソワしてるのかって? ……それは、今からしょーたがこの部屋にやってくるから。つ、つまり、私たちは同棲するってこと!
この同棲は二人が望んだことだし、彼に振り向いてもらうためには必要な計画。あわよくばえっちなことだって――。
……いや、なに考えてんの私っ! 同棲するからって、付き合ったわけじゃないし、万が一そんな事態になったら心の準備が……。彼のことを考えると、いつもそんな気持ちにさせられてしまう。好きで好きで仕方がないの。どこまでも彼を求めてしまう。
……私服を見られるの、久しぶりだなぁ。可愛いって言ってくれるかな?
玄関付近に置いてある立て鏡の前に立って、身だしなみを確認する。袖と首周りにふりふりが施されたトップスに、素足を覆い隠すドレープパンツ……まあ、部屋着ね。うん、見られて恥ずかしいものじゃない……って思うけど、大丈夫かな。
清美は可愛って言ってくれたから、きっと問題ないっ! うん、そうだよ。
心の中でそんなことを呟いていると、突然インターホンが鳴った。全く意識していなかったので、全身から汗が吹き出そうになる。
「は、はいっ!」
とりあえずその場で返事をして扉を開けた。迂闊だったよね、ドア越しで彼の姿を眺めておくべきだった。
「や、や……やあ」
白シャツとグレーのデニムパンツ姿で私の前に現れたしょーた。その清潔感と爽やかな印象は、私のハートにどストライク、やばい……カッコよすぎる。
「……ここ、こ、こんにちは」
どもる彼と同様に、私も言葉をつかえる。お互いに視線を逸らすのだって同じ……。
そんな状況が面白くて、私は口もとに手を当てながら笑ってしまった。どうやら彼も同じ気持ちだったみたいで笑ってくれる。直ぐに和やかな雰囲気になった。
……自分たちで同棲すると決めたのに、いざその状況になると緊張するなんて、人間って不思議な生き物ね。
「どう? 私の服装」
「……可愛いよ。流石はカエデ、似合ってるね」
「……あ、ありがとっ」
やばい、自然と口もとが緩んでしまう。実際に言われるとこんなに胸がキュンキュンするものだなんて思わなかったんだもん! だ、だからお返しに、
「君もカッコいいよっ?」
って言ってあげた。うん、なんか恥ずかしそうで可愛かった。
……いつまでも部屋の前で醜態を晒すわけにはいかないと思い、彼を部屋に招き入れる。
「どうぞ」
「うん」
どう、しょーた。私の部屋にはほどんど荷物がないでしょう。
彼は部屋に入ると、目を見張った様子で家具が置かれている場所を把握し始める。まあ、この寮はどこの部屋も同じ作りだし、十畳の一室とキッチン、洗濯機の付いた洗面所とバスルーム、トイレがある程度で、二人で暮らすにはそんなに広くはない。
「キレイだね。昔のカエデとは大違いだな」
「そう、かな? ……昔とは大違いってどういうこと?」
彼の話だと、昔の私は机すらまともに掃除できず、塾のロッカーには物を詰め込みまくっていたので、私が不在の時に大きな音を出しながら中身を吐き出したとか。そんな恥ずかしいことが起こってたなんて知らなかった……。穴があったら入りたい。
「いやー、本当に変わったなぁ」
そう漏らす彼は押し入れの前で立ち止まると、なにやら異変に気付いたようで取っ手を握って引こうとする。やばい、そこだけは開けちゃダメっ! 危機感を覚えた私は即座に止めようと彼に抱きついた。
「ちょっ……待って!」
「へっ?」
彼の気の抜けた変な声とともにパンドラの箱は開かれてしまい、物が次々と床に落下していく。私の瞳には涙が浮かんでいて、視界が歪んでいた。恥ずかしさを払拭するため、しょーたにしがみついていると、ようやく彼は呟いた。
「やわr……やはり変わらないな」
「だってぇ! 片付けのやり方分からないんだもんっ!」
頭痛なんてすっかり吹き飛んでいた。
……私たちの関係はようやく再スタートした……と言っていいのかな。でも、それと同時に、私は彼に知られたくないことをたくさん知られてしまった。どうしよう、嫌われるどころか幻滅されてたら……。
私たちの同棲生活は最悪なスタートだった。
「なあ、カエデ」
恥を忍んで片付けを終えた私は、夕食の支度をする彼の隣でその手さばきを学んでいた。私より何十倍も家庭的なしょーた。考えてみると、小学生時代からよくお世話されていた気がする……もしかして、私が卒業まで彼の隣の席だったのって、しょーたがいないとなにもできなかったから!?
苦悩で頭を悩ませているタイミングで話し掛けられたので、ちょっとビックリした。
「どっ、どうしたの?」
「今回の定期試験、君は一体なにを仕込んだ?」
……ああ、そのことね。彼が私に疑いの視線を向ける理由は重々承知している。でも、ルールを破ったわけじゃない。
「藝学舎に所属する生徒の多くが紫学舎の生徒を抜いて好成績を修めたって話?」
「そうそう」
ニンジンを切り終えた彼は、厚手の鍋でサラダ油を熱すると牛肉を炒めていく。
「私はただ、みんな平等に高得点が取れるよう、対策用のプリントを配っただけだよ。過去二十年の定期試験を分析して、頻出の問題を対策させたの。当然、紫学舎で使いたいって人には配ったし」
今回の定期試験、一学年では面白いことが起こっていた。それは、上位三割に紫学舎よりも藝学舎の生徒が多く入り込んだことだった。
学問が最優先となっている紫学舎は、生徒の価値を定期試験や外部模試で判断する。正直、紫学舎の生徒にとって藝学舎に敗北する人間は恥も同然。にもかかわらず、多くの藝学舎生徒に敗北してしまったことで、教師から手厳しく叱られているらしい。
対する藝学舎では、同棲相手を選べるという単純な理由で燃え上がる生徒が多かったので、結果的に勉強の意欲を高めることができたと言える。それに、私も藝学舎の生徒だから、団体戦で紫学舎に一矢報いる成果が挙げられたのは大きな実績。
……だけど、彼の視点は私とは大きく異なっていた。
「俺は、今回の結果で両校舎の差別が広がると思っているよ。今までの谷千代学園を知っている君なら、この言葉の意味は理解できるはずだ」
「……たしかに、その視点では失敗だったかもしれない。だけど、私の最終目標は学校の校風は自由にすること。その過程で両校舎の偏見や差別はなくさないといけないの。今は藝学舎を優先する形になってしまっているけど、いつか必ず両校舎が納得できるようにしてみせるから」
「……そうかい。まあ、藝学舎の連中に足もとを掬われるようなことがないよう、頑張ってほしいものだね」
「なんでそんなに上から目線なわけ?」
肉や野菜を炒め終えて、厚手の鍋に分量通りの水を注ぎ終えた彼は、私の方をジッと見つめると、眉をひそめながらこう呟いた。
「勘違いしているみたいだが、俺は君に生徒会長から退いてもらうことを目的に同棲を決意したんだ。反対意見は惜しみなく言うよ」
「なるほど、家庭内野党ってわけね?」
……私、なに言ってるんだろう。それじゃあまるで夫婦みたいじゃない。恥ずかしくなって、
「やっぱり前言撤回っ!」
と、背中を向けて呟いた。……意外だったんだけど、しょーたはその言葉に納得しているみたいで、
「……それでもよかったのに」
そんな言葉を小声で漏らしていた。
ぐつぐつと音を立てる熱湯は、まるで私の心の葛藤を表してるみたい……。しょーたのことが好き。だけど、この同棲は一つの宣言によって成り立ってる。あと少しのところで彼と結ばれそうなのに、言葉の責任が私たちの間に巨大な壁を生み出している気がした。
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