第19話 「……やくそく、きのうしたよね?」
……おかゆが完成したところで扉が開く音がする。顔を向けると、清美の姿があった。
私服姿であるのと、先ほどより肌艶がよくなっている気がした。きっとお風呂に入ってきたんだな。大丈夫、カエデのことはしっかり見ていたから。
それにしても、彼女の胸の大きさには驚かされるというか……あの、凄く寝心地よさそうですよね。眼鏡属性なのも相まってと言いますか……って、もちろん俺の中ではカエデが一番だからねっ? 他の女の子に気取られているわけじゃないんだからねっ?
「……なに? そんなにおかしい?」
「いえいえ。お美しいですよ、本当に」
「なにその言い方。カエデにもそうやって言うの?」
それはない。ほら、カエデの姿を見た時ほどのドキドキ感がないからさ、やはり俺はカエデ一筋なんだってことが分かるよね? ねっ?
彼女の言葉に対して、得意顔を浮かべながら腕を組んだ。
「まさか。カエデをぞんざいに扱うわけないじゃない。だって――」
「だって?」
「……いや、なんでもない」
「なんでもないってなによ、ちゃんと最後まで言って!」
言えるわけないじゃん! カエデのことが大好きなんですって素直に言ったら、今度こそ同棲を取り止めにされてしまう。それに、カエデにだって気持ちが伝わってしまう可能性がある。
……いや、本当は伝わってほしいんだけど! 自分の口から言いたいし、なにより彼女が俺に恋愛感情がない可能性だって考えられる。もしその場合、告白したら気持ち悪がられて同棲生活が終わってしまう……。それだけは避けなければならない。
「……やっぱりころす」
ひっ!? なんか、命の危機を感じたんですけど……ん? よく見ると、清美の背後に誰かいるじゃないか。
「君はたしか……カエデの状態を教えてくれた子! 子猫ちゃんだ!」
子猫ちゃんという言葉に殺意を覚えたのか、非常に恐ろしいオーラを放っていた。本当にごめんなさい。お願いですから、指詰めだけは勘弁してくださいっ!
……二人の間に立った清美は、何事もなかったかのように彼女の説明をしてくれる。
「ああ、紹介してなかった。彼女はあたしと同棲してる鬼藤萌夏。生徒会書記にしてキ――いや、うん。生徒会書記の子。ボクも会長の部屋に行くって言い出して、結局付いてきちゃったの」
女の子三人に男一人という状況、これは現実なのかどうかすら分からないが、頬をつねっても目を覚ますことはないので、多分現実という認識で間違いないと思う。
……生徒会役員が寮の規定を破る? 正直、こんなに通報しやすい事案が目の前で起こるなんて思ってもみなかったが……みんな、カエデのことを大切に考えてくれているんだろうね。好きな人がこんなに慕われているなんて……嬉しいことだよ。
あっ、でも媚び売ってるお前ら親衛隊の連中と、有象無象に紛れるカエデ推しだけは許さないからな。俺がカエデを生徒会長の座から退けたいと思った原因だからな。
「まあ、バレなきゃ犯罪じゃないらしいし、いいんじゃないすか」
「昔のカエデも同じようなこと言ってたわ……貴方、カエデと似てるわね」
そりゃ三年近く彼女と隣の席で過ごしていた人間ですから、無意識のうちにお互いの考えに染まっていてもおかしい話ではない。
そんな話をしていると、誰かが腹を空かしたような音が聞こえてくる。萌夏がとっさにお腹に触れて俯くので、音の出どころがわかってしまった。
「……夕食できてるけど、食べる?」
「……うん、です」
おかしな敬語だけど、彼女なりの誠意だと受け取っておく。
カエデを起こすべきかとも思ったが、規則正しい寝息を立てながら休んでいたので、そっとしておくことにした。起きたらすぐにご飯が食べれるよう、お皿に盛り付けてラップでくるむ。
「「「いただきます」」」
うん、今日のご飯も大丈夫。消化にいい食事だから健康な人には少し物足りないかもしれないと思っていたけど、あんまり気にする必要はなさそう。
色とりどりのおかゆを見て、二人も驚きの表情を浮かべていた。
「凄いねこれ。塚本くんが作ったの?」
「まあ、家事には自信があるので」
「……ボクにも料理教えてほしい、です」
先ほどは殺意むき出しで俺を睨んでいた少女が、餌付けをしたら大人しくなったみたいな構図で少し笑えた。萌夏はそのブロンドヘアを躍らせながら夢中になって食べていた。
ありがとう。美味しいって言ってくれる人が少しでも多いと、俺の努力も報われた気がするよ。考えてみると、カエデのために料理を始めたんだったな……君が苦手なことは俺がカバーできるようになるよって。
……あれ、やはり彼女が片付けも料理もまともにできないのって、俺のせいじゃない?
知ってはいけない事実に辿り着いてしまった気がして、雷に打たれたような衝撃が俺の脳内に走っていた。すると、そのタイミングでカエデが寝返りを打った。
「んっ……」
ゆっくりと目を開き、こちらを見つめるカエデ。熱のせいか、頬が若干赤く染まっており、病弱な彼女も愛おしいと思ってしまえた。
「……わたしも、ごはん」
匂いで料理に気付いたのか、手を伸ばすように布団をゴソゴソと動かすが、なかなか動けないらしく、目を細めて訴えてくる。
「あたしが――」
「俺がやるよ。任せて」
立ち上がろうとする清美を止めて、ラップでくるんでおいたお皿と木製のスプーンを手に取り、彼女の口もとへと運ぶ。上半身は自分で起こせるらしく、そのまま上手くスプーンへと食いついてくれた。
「……んふ、きょうもおいひい」
ほら、口に含んだ状態で喋るんじゃない。そう叱りたかったが、今日の彼女には悪影響だろうと思って、黙って聞き流すことにした。
なにか悪さはしないかと、二人の鋭い視線が俺の背中を刺すような気がしたが、今はカエデ優先……カエデ優先!
食欲は十分あるようで、お皿の中はすっかり空に。満足そうな表情を浮かべるカエデだったが、その顔にはまだご飯粒が残っている。
「ほら、頬っぺたにご飯粒付いてるよ」
子供を育児する母親ってこういう気分なのかな……やばい、カエデは俺の母性本能をくすぐる悪魔なんじゃないかな。すべすべの肌に触れたくなったという話は置いておいて、彼女の頬に人差し指を滑らせてご飯粒を取る。
「ちょっ」
「……んっ」
拭き取ろうと思って手を自分の方へ持ってこようとすると、人差し指に生温かい感覚が広がって変な声が出てしまう。
……カエデが俺の指を食べちゃった。正確には、人差し指に付いたご飯粒を舐め取るために咥えてしまったということだけど……文字起こしすると、ちょっとえっちだね。
――塚本翔太、お主は一体なにを考えている。相手は病人であるぞ! ……って、一条先輩のお叱りの声が聞こえてきた気がする。幻聴だと思うけど。
「ねえ、しょーた」
彼女の声が聞こえてきて我に返る。右も左も分からないような様子なので、少し心配になるが……どうやら彼女の記憶力はマトモらしい。次の一言でそう思わされた。
「……やくそく、きのうしたよね?」
昨日約束したこと。それは、カエデが生徒総会を頑張ったら、頭を撫でること。そして、一緒にお出掛けすることだ。この様子じゃ今週は無理だろうけど……。
「いいの?」
「うん」
ご要望通り、そっと頭頂部に手を回して、おもむろに髪を撫でた。日中もサラサラに保たれた髪の触り心地は最高で、天国にいる気分だった。気持ちは彼女も同じようで、普段は見せない恍惚とした表情を俺に向けてくれる。
「うそ……こんなにデレてるカエデ、初めて見た……」
「なんで……会長……」
……そうだった。俺たち以外にも部屋に人がいたんだった。完全に忘れていた。
赤面を隠すように両手を顔にあてる清美と、絶望の淵でなにかを叫ぶような表情でこちらを見つめる萌夏。対極な表情がなんとも人間らしいと言いますか……萌夏さんに関しては恐ろしいです、やはり指詰めが必要なんでしょうか。
「今までの乙女顔って、そういう意味だったのね……。塚本くん、あたし貴方のこと誤解していたみたい。ごめんなさい」
これまでの疑問が晴れたような様子を見せながら、清美は俺に深々と頭を下げてくる。一体なにが彼女をそうさせたのか分からなかったが、誤解が解けたと言うのなら、俺にとってはいい結果ということだろうか。
「……」
気付けば、カエデは満足そうな笑顔を浮かべながら眠りについていた。俺も満足、清美も多分満足。萌夏は怒り心頭、俺死にそう。頼むから、カエデとの外出が叶うまでは俺の命は取らないでほしいです……。
おやすみなさいっ!
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