◇両片想いのスナップショット② カエデの恋煩い


 六月二十六日、日曜日。

 朝、目が覚める。外はまだ、日差しが昇らない時間。体を起こして立ち上がる。

 寝息を立てる彼の邪魔とならないようコーヒーを淹れ、湯気の立つコップに口を付けた。少し苦味を感じたので、牛乳を入れてみる。

 ふと彼の寝顔が気になって覗いてみると……えへへ、幼げというか、可愛らしい。まるで一週間前に私の看病をしてくれた人とは思えないくらい。


「……かえで」


 その一言が、私の体を荒ぶらせた。ゆ、夢でも見てるのかな?


 ……って、夢に私が出てきているのっ!? 君は一体どんな夢を見てるの……。


 夢の中でも私を見ていてくれるなら……そう考えただけで嬉しさが込み上げてくる。 


「~♪」


 鼻歌交じりで冷蔵庫に辿り着き、牛乳をもとの場所に戻しておいた。規則正しい生活を送ることは私たちのルール。でなければ、彼に叱られてしまう。それに、片付けもできない女だなんてこれ以上思われたくないし……。


 ……いつもなら、この時間は本を読む。ライトノベルから純文学までお構いなしに。だけど、今日だけはそんな気になれなくて。

 彼が起きたら、一緒に外出する予定になっているから。

 もう、これ実質的なデートでしょ!? 同棲カップルのデートとか、新婚旅行にでも行くのかなって感じ。やばい、考えるだけで興奮が止まらない。体の芯から熱いモノが湧き出てくるような……ああ。


 いても立ってもいられない状況を治めるため、ベッドに横たわる。

 君はすやすや眠っているけど、私はおちおち眠っていられないよ。好きな人と一緒にお出掛けできるなんて……正直、普段の生活態度で許されるのかと気負いしてしまう。

 あの時の私、よく勇気を振り絞って約束できたよね、本当に偉い。


「……ん、朝か」


 気の抜けた声が聞こえてくる。好きな人の声。

 飛び跳ねそうになる自分をどうにか止めて彼の様子をうかがった。眠そう、今襲ったらどうなるかな……って、なに考えてんの私!? やっぱり今日はおかしい。


「お、おはよ……コーヒー飲む?」

「ん、ありがと……」


 カップを手に取って、彼に手渡す。特に考えることもなくそれを飲み込んだ彼は、私の興奮に気付く様子はない。うふふ、飲みかけ渡しちゃった。


「まだ日が昇ってないのか」

「そうだよ。まだ寮……出れないね」


 いや、出れるよ。彼はそう言うと、立ち上がって着替え始める。

 どういうこと? 門が開くのは午前九時なのに。休日に誰が出入りしたのかという監視はないけど、門が開くまで外に出ることはできないはず。


「どうやって?」

「裏技を知ってるんだ。たまには外で朝食もいいね」


 ……同棲する私たちでも、常識はある。彼は私に配慮して洗面所で着替えて、私はリビング兼寝室で着替えるルールになっている。部屋は別々になっていないのでほとんど共用の同棲だけど、それが私の生活を華やかにしてくれるの。


「……それで、裏技って?」


 静かに部屋の扉を閉めて鍵を掛ける。早朝で寝静まっているからか、物音一つしない寮で、彼はどんな手段を使って外に出ようと言うの? 気になって仕方がなかった。

 裏口を使って外に出ると、視界にはコンクリート塀が広がる。最近は耐震性に配慮して多少は低くなったみたいだけど……。

 すると、彼は私に視線を向けて、なにかを確認していた。


「えっ、なに?」

「しーっ」


 突然眺められて少し大きな声を出してしまうと、彼は人差し指を立てながら静かにするよう促してくる。


「……」


 白いブラウスに黒のフリルスカート、素足を覆い隠す二―ソックス、動くから邪魔にならないようひとつ結びにしてるけど、おかしいかな。

 ……そんなことを考えていたら、いつの間にか目の前から彼が消えている。


「……ちょっとごめん、そのままでいて」


 どうやら背後にいるみたい。なにをするのかと思ったら、人肌が触れて温もりを感じると共に太ももが圧迫される。気付いた頃には視線が普段よりも高くなっていた。


「えっ、ちょっと!?」


 できるだけ静かに訴えると、彼の優しい声が耳を包み込む。


「……塀に手を付けて、そのまま向こう側に行けるかな?」


 どうやらこのコンクリート塀を越えるために私を持ち上げてくれたみたい。なんて気遣い……いや、でも前もって言ってほしかったな。今すっごい汗かいてるもん、恥ずかしいよ。


 それに――重いとか思われてたらどうしよ。


「おっ、とっと」


 無事に着地して彼の到着を待つ。

 少し経って、彼も無事にブロック塀をよじ登って姿を現した。

 彼は意外と筋肉が付いているけど、一体どこで運動しているんだろう。特別なことを部屋でやっている様子がないから、ちょっと気になる。


 ……だけど、体ばかり見てる変態だと思われたくないので聞けなかった。


「……よかった。無事で」

「うん。とりあえず、寮から少し離れよう。見つかるかもしれない」


 見つかるかもしれない、その言葉で自分が生徒会長であることを自覚させられる。生徒の模範となる人間が校則を破っているなんて知れたら……。


「大丈夫? カエデ」


 その場に立ち止まって動かない私を見て、彼は心配する視線を向けてくれる。

 君になら……今の気持ち、打ち明けてもいいよね?


「あたし、生徒会長なのに……」


 そこで言葉を詰まらせてしまう。こんな弱腰な姿、やっぱり見せるべきじゃないと思ったからだ。でも、それだけでも彼は私の真意をくみ取ってくれる。


「……立場は人それぞれ。それでも、休みの日くらいは忘れようよ。カエデは俺と外出するより会長の立場を大事にしたい? それなら戻るけど」


 そんな、意地悪な選択肢を出されたら……一つしか答えられないじゃんっ。


「……しょーたと一緒に行く」


 待ちに待ったお出掛けの日。この日を原動力に今日まで頑張ってきたんだ。今更引き返す選択肢なんて私にはない。

 照れ隠しなのか、彼は背を向けて歩き出した。えへへ、可愛いっ。


「あっ……この時間、まだお店開いてないよね」

「たしかに」


 ようやく日が昇ってきた頃だ、お店は開店準備どころか出勤前。どれだけ計画を立てても実行できない時間帯だった。朝食を食べようにも、開いてるお店は……。


「……少しだけ歩くけど、開いてるお店知ってるよ」

「ほんとに?」


 谷千代学園は実家からそう遠くない位置にある。実家周辺にこの時間も開いているお店があるのを思い出して、彼に提案してみた。


「うん。付いてきて」


 お忍びの背徳感と大好きな人と一緒にいられる感覚が混ざり合って、とにかく興奮している私がいた。……途中、危うく赤信号を渡ってしまいそうになった時は死ぬかと思った。彼が止めてくれなかったら……私、再び彼を傷付けてしまうところだった。


「……ごめん」

「忘れようよ。俺は忘れた」


 ……君のそんな切り替えが早いところも好きだなぁ。君の言葉がいつも私を助けてくれる。私を守ってくれる。

 ……小学生時代の君を思い出す。

 初めて私が上級レベルの教室で授業を受ける時、席が分からなかった。このまま誰にも声を掛けられずに一日が終わる気がして、本当に怖かったのを覚えてる。そんな時、君が私に声を掛けてくれた。


「どうしたの? 大丈夫?」

「……うん。席が分からなくて」


 一度しか話したことのない君が、親身になって私を助けてくれたこと、今でも覚えてるよ。たしか、私と君は隣の席だったよね。懐かしいなぁ、ほとんど毎日塾だったから、意識すると授業が頭に入ってこなかったっけ。


「さて、この辺かな?」


 ……気付けば懐かしい場所が目に入った。地元の縁結びで有名な神社。


「ねえ、少しだけ寄り道してもいい?」


 私のお願いに、空腹と相談しながら渋々頷いてくれる彼は、迷うことなく歩みを進める私を駆け足で追ってくれる。


「早いって。……ここ、神社?」

「そう。久々に行きたいなって」


 ……もし神様がいるなら、貴方は私を覚えていますか。谷千代学園中等部の合格発表日、顔を涙で濡らしながら必死に懺悔していた私を。彼に酷い言葉を掛けて後悔の念に駆られていた私を。


「……ここは、有名な神社なの?」


 参道の真ん中を避けて歩き、手を清める。その途中で彼は訊いてきた。お賽銭を投げ入れる直前、私は彼に視線を向けて様子をうかがう。

 ……その気の抜けた表情、たまらなく好きっ。


「……縁結び、かな」


 自分の野望のためならなんだってやる。だから私は、朝というのもお構いなしに鈴を鳴らしてやった。彼は若干驚いていたけど、私の魂胆を見抜いたのか、呆れた様子を見せつつも同じようにしてくれた。

 二礼二拍手を済ませ、手を合わせる。目を閉じて願望を頭に思い浮かべた。


 ――彼と結ばれますように。


 ……気をたしかに持て、島崎楓。

 たしかに、私は塚本翔太のことが大好きだ。でも、いつまでもこの日常に浮かれていては、野望も果たせず終わってしまうじゃないか。


 ……彼を振り向かせる。だから生徒会長になったんだ。


 今日は少し、気持ちが高ぶって幼い頃の自分と重ね合わせてしまっていた。でも、もう大丈夫。島崎楓は谷千代の生徒会長で、君のルームメイトなんだ。


 祈り終えて目を開く。


 彼を見て微笑みかける。


「……なにを祈ったの?」


 まるで意外なことを訊かれた反応で、彼はからかうような笑顔を浮かべる。


「願いごとは他人に言うものじゃないよ。だから、内緒」

「そう。じゃあ、私も内緒!」


 境内を出ると、太陽が空の高いところを目指して昇っているのが見える。梅雨の季節を一切感じさせない天気に、私の気持ちも晴れやかになっていった。


「さて、朝食にしましょう? その後も行くところはいっぱいあるんだから」

「……あのさ、頼むから両手で持てる範囲でショッピングしろよ?」

「と、と……当然! 私を誰だと思っているの? 谷千代学園高等部生徒会長、島崎楓だよ。あんまり馬鹿にしていると痛い目を見るんだからっ!」


 私の言葉に、彼は口角を上げてみせる。


「よかった、いつも通りのカエデに戻ったな」

 朝食になにを食べようか考えている私に、その言葉は届かない。


 ……私たちの同棲が始まって一か月近くが経つ。まるで、ハッピーエンドを意味するかのような幸せな時間は、あっという間に過ぎていった。


 一人の女の子として、島崎楓は塚本翔太に恋している。


 今までも、そして、多分これからも。


 でも、そんな幸福もそう長くは続かない。


 二人の間で繰り広げられるグレートゲームは、更なる展開を迎えていく。


 その盤上を狂わせたのは、だった。

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