第三部

第20話 「反抗勢力の旗揚げ」

「号外~! 号外ですよ!」


 七月四日、月曜日。

 新聞部の連中が血相を変えて新聞を配っている。朝からご苦労さん、そう言ってやりたいが……一体、なにがあったと言うのだろう。

 新聞部は、『週刊谷千代』と呼ばれる新聞を毎週水曜日に発行しているので、それ以外の曜日に配っている新聞は必然的に号外となっている。生徒や教師のスキャンダルを報道することは今のところないらしいが、学校の事情にはやけに詳しく、お得情報満載の週刊新聞を発行してくれている。

 号外の見出しを見た俺は、正直なところ、意外だなという感想が大きかった。


「谷千代学園野球部が、東東京ひがしとうきょう大会を初戦敗退……へえ、毎年甲子園に進む強豪校なのに、意外だなぁ」


 そう、谷千代学園野球部が地方大会で破れてしまい、夏の甲子園に進むことができなくなってしまったのだ。たしかに、新聞部が血相を変えて号外を発行する理由も頷ける。

 そんな気持ちで廊下を歩いていると、窓から顔を出して広場を眺める悟の姿を見つける。


「おはよう、悟。見たかこの記事?」

「おお、翔太。見たぜ、散々だったな」


 なんだよ、その俺が散々だったみたいな言い方は。まあ、多少野球観戦はするけどさ……母校が負けたってくらいで、特にへこんだりしないよ。


「学校中がそわそわしているよなぁ……まあ、内容が内容だもんな」

「それで、翔太。お前はどうするつもりだ?」


 ……その言葉に違和感を覚える。話が嚙み合っていない。


「ん? 悟はさっきからなんの話をしているんだ? 言っていることが理解できないんだが」

「はあ? ……待て、お前ちゃんと新聞読んだか?」


 まだ見出ししか読んでませんでした。悟に言われてしまったので、しっかり目を通すことに決めた。


「どれどれ……野球部の敗因として、生徒会による予算案の大幅削減が挙げられており、今回の初戦敗退はそれを明確に反対するための意思表示だと主張する声もある。島崎楓生徒会に対する怒りの声も少しずつ高まっており、今後の動向に注目したい。……って、なんだこれは。野球部はカエデが悪いと言っているのか?」

「そういうこと」

「意図が分からない。自分たちの実力不足を責任転嫁しているだけじゃないか。これでカエデが叩かれるのはおかしい」

「まあ、どう思うかはこの演説を聞いた後にしてくれねえか、ほら」


 先ほどから広場に顔を向けていた悟は、これから始まる催しに興味津々な表情を浮かべながら呟いた。広場には朝礼台が設置され、その周囲には何人もの坊主頭が警戒するように立っている。当然、それは状況が分からない人たちの視線誘い、上手い具合に集客できていた。

 一体なにが始まるんだろう。そう思って眺めていると、高校生には感じられないない、いかつい坊主頭の生徒が姿を現し、朝礼台へと上っていく。


 ……この人、どこかで見覚えがある。


「あーあー。聞こえてんのかい、これは」


 その場のほとんどが手で大きな丸を描いて合図すると、男は不気味な笑みを浮かべて語り始める。


「どうも皆さんこんにちは。ワシは野球部主将の中岡鳴斗なかおかなりとです。残念なことに、我々硬式野球部は全国高校野球選手権大会の地方大会で初戦敗退となり、甲子園球場に皆さんを連れていくことが……あー、できません。大変申し訳ない」


 声を聞くと同時に、生徒総会での記憶が蘇ってくる。赤津先輩、だっけ。生徒会選挙でカエデと戦った人をよく諭していた人間だったはず。

 今回は、律儀に野球部が初戦敗退したことを謝罪しているわけか。しかし、この記事の内容を見る限り、それだけでは終わらない気がする。ここからどんな話が続いていくのだろう。

 中岡先輩は咳払いをすると、ここからが本題だと言いたげな雰囲気を作り出す。容姿と話し方に圧倒されて、その光景を眺める誰もが釘付けとなっていた。


「そこで、どうしてワシらが破れてしまったのか反省会を開いたわけですな。深く考えれば見えてくるものもある、と。そこで、部員全員が口を揃えてこう言うんですよ」


 ――生徒会長が予算案の件で俺たちを脅した、ってね。


 朝礼台を囲む野球部員たちが、そうだそうだと野次を飛ばす。なぜか、聴衆も結構な人が頷いていて驚かされた。

 先輩は雰囲気作りが本当に上手だ。まるでカエデのように……。

 その場の空気に飲み込まれないよう自我を保ち、中岡先輩が発した言葉の意味をなぞりながら自分の考えを整理してみる。


 ……脅した、か。予算案の件は六月の生徒総会で決まった話だな。人数比で必要最低限の分配とし、必要になったら生徒会に申請する方式……。例年の予算案だと振り分けが偏っており、毎年使い切ろうと各部活は躍起になるから、それをなくしたいというカエデの想いが込められた提案だ。

 野球部はそれを、部費が減ったから負けたと言いたいわけだ。たしかに、甲子園に行くなら別途で必要になる予算案だったとは思う。だが、俺からすれば、敗北した理由を責任転嫁しているだけ。


 しかし、この場にいる生徒の多くが頷いている。


 ――まるで、カエデを打倒したいと言わんばかりの表情で……。


 ……もしかして、彼らはカエデによる生徒会を打破しようとしているのか?

 ようやくその考えに頭が回った時、中岡先輩は周囲を見渡すように促した。


「ほらほら、校舎を見なされ。不当な生徒会長をなんとしてでも死守したいやつらが、ワシらを睨みつけておる。学校の空気を自由にしたい、その気持ちは分からんでもないが……それを実現するため、反対する芽を摘もうとするやり方は、果たして許される行為なのかねぇ」


 俺たちを含め、大勢の人々が校舎からその様子をうかがっている。きっと、その中にはローゼンやキキが紛れているのだろう。

 悟は中岡先輩の言葉を聞いて顔を逸らしていた。……なにか気負いすることでもあったのか? 悟はカエデのやり方に納得していない人間だ。当然、彼女が創設した組織には入っていないはずだが……。


「そこで、ワシらはある結論を導き出した。野球部が果たすべき責任は一体なんなのか……それは、現生徒会長の島崎楓さんを生徒会長の座から退かせるために、行動を起こすことだ」


 ……やはりそうなんだ。彼らはカエデを打倒するために立ち上がるつもりなんだ。拳に力が入る。きっと彼女が負けるはずない。だが、なんとかして阻止しなければいけない。

 ……いや、ちょっと待て。俺は当初からカエデに生徒会長を退いてもらうつもりだったんじゃないか。どうしてそれを阻止しようとしているんだ。

 分からない、自分が分からない。一か月の同棲を経て、自分の中でなにかが代わってしまった気がした。

 ここで更なる展開が待っていた。中岡先輩の発言で広場は盛り上がりをみせる。


「ここにナリト派の結成を宣言するッ! ワシの名前を使うのはいささか気が引けるが……まあ、数日の間だからな。さて、我々ナリト派が現会長に代わってその身を学校と生徒に捧げたい人物は誰か……一人適任がいたので、皆さんに紹介したい」


 野球部員が道を開けるとともに、見覚えのある人物が軽快な足取りでやってきたのだ。朝礼台に立った彼は、誰もが驚く表情を浮かべる言葉を発していた。


「おはようございます。次期生徒会長の赤津です」


 ……負け惜しみが過ぎる。赤津先輩は生徒会選挙、総会と何度もカエデに論戦で敗れてきた人間じゃないか。それなのに、どうしてそこまでやれるんだ。その強靭な打たれ強さには敬意を表したい。


「まず、自分がこの場に立つことは許される行為なのか、それをよく考えました。……自分は一度、島崎楓に選挙で敗北しています。次の生徒会長として、皆さんの信任を得ることができませんでした。では、一人の生徒としてなにが可能か……それは積極的に声をあげ、少しでも多くの考えを皆さんに広めよう、そして議論に花を咲かせよう。……そう思って生徒総会では度々声をあげました」


 赤津先輩は学校側の刺客、これが俺の中でもっぱら評判だった。ただ、少し可哀想だと思えたこともある。清美に発言を遮断されていたよね……。敗北者はこんなにも肩身が狭いのかと同情してしまった。

 あれだけうわべだけの同情を嫌っていた人間が、同じことを他人にするなんて、酷い話だ。


 ……だが、今回の赤津先輩の勢いは、それまでとは比べものにならないほど。その場にいる誰もが耳を傾け、考えに頷く素振りすら見せる。ますますカエデに対する不安が募っていく。


「ですが、実際にはどうですか。成績優秀者を優遇した寮制度、結果的に生徒の素行を悪くした校則の改正。挙句の果てに、予算案を変更して生徒会の私腹を肥やそうとしている。現生徒会長は、己の欲望のためだけに皆さんを利用したのです!」


 言いたいことは分かる。やり方は強引だし、それで被害にあった生徒もいる。


 ……だが、今の俺は複雑な気持ちで心が揺れていた。


 なあ、どうしてしまったんだ塚本翔太。お前はカエデが生徒会長の座から退くを臨んでいたんじゃないのか。遠くへ行かないように、自分のことだけを見てくれるように、文藝部で精力的に活動していたじゃないか。


 だが、どうしても心が納得しようとしない。赤津先輩に賛同してはいけない気がするんだ。なあ、なぜか教えてくれ。俺は一体どうすればいい。


「このことから、島崎会長にはその任を全うできないと判断しています。これは、聖戦です。自分たちの学校の秩序を守るために、誰かが立ち上がらなければならない。そして、それに続いて戦う者たちがいなければならない」


 彼は数枚の紙切れを高らかに掲げ、心の声を生徒に訴え続けた。


「もし、この赤津と同じ想いを抱く方がいらっしゃるのであれば、この用紙に署名していただきたい。これは生徒会長の辞任に関する意見書であり、全校生徒のうち三分の一の署名が集まれば、翌日にでも生徒総会を開くことができます。皆さんの署名が、この学校の明るい未来を導きます。どうか、一筆お願いしますっ! そして、このナリト派に力を貸してください!」


 赤津先輩が頭を下げたことで、広場だけでなく、校舎からその様子を覗く生徒からも拍手が向けられた。


「俺は書くぞ!」

「カエデちゃん……ごめんな、これが俺の気持ちなんだ」

「なんか面白そうだから、名前書いとくか」


 人々は我先にと用紙へ群がり、自分は何者であるのか、その名前を記していく。それは十人、二十人の規模ではない。百人をも超える規模だ。


「……さて、翔太。俺はお前にもう一度問うぞ」


 演説を聞き終えて沈黙を保っていた俺たちだったが、遂に悟が口火を切った。まるで、二者択一を強要ような問いは、俺に大きな決断を迫っていた。


「お前はどうするつもりだ?」


 その時点で、俺は答えることができなかった。自分がなにをしたいのか、明確に分からなかったからだ。

 ……今年の梅雨明けはやや遅い。まるで、学校における不穏な空気を表すように、空はクロへと染まっていき、今にも雨が降ってしまいそうだった。


 この曇天は、どちらの心情を表しているのだろう。赤津先輩? それとも、カエデ?


 どちらにしても、谷千代学園の行く末は、この事件を乗り越えた会長に全てが委ねられることとなる。

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