第21話 「全てを捨てる選択は、かけがえのない君のため」


 罰当たり、一言で表すならそれが最適ね。


 生徒会長の座に味を占めて欲をかいた私への罰。それが、もう一人の生徒会長を生んでしまった。こうなる前に赤津先輩を潰しておけば、反乱の芽を潰しておけば……いや、それはだめ。だって、それならしょーただって潰さなきゃいけなくなる。


 私のことが嫌いで、反抗心を抱いていた彼……もしかしたら、今もそうかもしれない。同棲してるから、気を遣ってくれてるのかな。いつもそう。私ばかり優先して、仮に迷惑だったとしても、そう言わず受け入れてくれる……優しすぎるよ、しょーたは。


 ……そんな優しさに惚れてしまった私が悪いの。だから、現実を受け入れる覚悟はできてる。


「……こんなことになるだなんて。会長、やばいよぉ……」


 未礼が怯える様子を見せながら小声で呟いた。そっと彼女の肩に手を当てて、自分の気持ちを抑えながら静かに言った。


「大丈夫だよ、未礼。安心して」

「……会長」


 こういう時、清美は誰よりも冷静さを保っていられる子だ。表情を一つも変えず、私に視線を向けている。


「カエデ、あたしは貴女の決断に従う。だから、一つだけ問いたいの」

「ボクも会長の気持ちが訊きたい、です」

 相変わらず敬語慣れしていないのか、最期は付け加えるように言う萌夏は、非常に冷たい表情だった。虎のような……今にも誰かを殺してしまいそうな、そんな表情。もし、私がそうさせてしまったのなら、諫めなきゃならない。

「折れてないよ。私は生徒の意思を信じたい。だから、手荒な真似はしないつもり」

「でも……」

「いいの、萌夏。私が決めたことだから」


 今度は彼女の小柄なその身を抱き寄せて、耳もとでそう呟いた。私の気持ちが伝わったのか、普段は見せないしおらしさが私の心を痛めた。……ごめんね、萌夏の気持ちを尊重できなくて。


「こちらとしては、会長の決断に一切異論ありません。動かざること山の如し、ですね」

「そう。私たちは必ず勝利する。だって、盤石だもの」


 特に対策を練ることもなく、今日の生徒会はお開きとなった。多分、しょーたよりも早く寮に帰れるんじゃないかな。一緒に夕食作りたいなぁ。そして、一緒にお話して~、ゆっくり休む。


 ……現実を忘れることしか、私の逃げ道はない。


 ……薄々気付いてる。多分、私は生徒会長でいられない。きっと、ナリト派によってその座を追われて、学校では一人ぼっちになってしまうんだ。


 だって、あの勢いを見たらそうとしか思えないもん。まるで、発売初日に電気屋さんで並び待つ転売ヤーみたいだった。自分に利益があるだろうと、そう踏んだ人たちが大勢いた。

 ほんと罰当たりだ、私は。しょーたへの気持ちが強すぎて、周りが見えなくなっていた。生徒会長として失格。もう、この座を追われたって仕方ないんだ。


 でも君は……君は、私の味方になってくれるかな。


 ……なってくれるはずないか。


 ……そうだよね、ないよね。考えてみれば分かる話。五月の生徒会の時にも私の提案に反対して、同棲の時だって、


「カエデには生徒会長の座から退いてもらいたい」


 と言って私を睨んでいた……。

 中等部時代から恋愛をするために必死になって活動してきた。その努力が報われて、生徒会長に就任することができた。でも、その後の行いは誰が見ても私欲だった。


 ……結局のところ、私の幸福は長くは続かない。


「お前さんが島崎楓だね」


 夕焼けを隠す曇り空の下、校門で佇む一人の男は、背景と同化するほど静かだった。声を掛けられるまでその気配に気付かなかった私がいる。


「……貴方は野球部の部長さん、でしたよね」

「中岡鳴斗。まあ、ワシのことなんざどうだっていい。それより、お前さんに訊きたいことがあってね」


 この座を狙う男の一人が、こうも自然と私の前に現れるなんて思ってもみなかった。緊張感を漂わせる彼は、一歩ずつ私に近づきながら呟いた。


「……汚い手は使いたくなかったが、お前さんはそれを平気でやる。だから、恨むんなら自分を恨みなさいよ」


 彼が胸ポケットから取り出したのは、チラシくらいの大きさの紙。ただし、そこに書かれていることは、私にとって――しょーたにとって、厄災をもたらしかねない内容だった。


「なん……で?」

「少なくとも、寮には千を超える全校生徒が収容されておる。君たちのように、大人の目を盗んで外出する人間も少なくないってわけだ」


 六月二十六日。あの日、私としょーたは早朝からお出掛けをした。お察しの通り、正規ルートではなく裏のブロック塀をよじ登ったので、問題行動も甚だしい。その様子を写真に収めた人間がいたようで……それを記事にして、明日にでも配ってやろうという魂胆。


「……」

「まあ、お前さんたちがどんな関係かは知らん。……いや、気になるところではあるが。だが、生徒の上に立つ人間が真っ向から問題行動を起こしたと広まれば……批判の嵐だろうな。それに、この少年にも多大な迷惑を掛けることになるだろう」


 ああ、破り捨てても無駄だ。予備はいくらでもあるからな。彼はそう言って、自ら破ってみせると、紙くずを胸ポケットへとしまった。

 私は即座に頭を下げて、彼にこう懇願していた。


「その記事だけは絶対に流失させないでください。私の身になにが降りかかっても構いません。しょーたに危害が加わることだけは……お願いします、どうか彼だけは」

「おいおい、お前さん。そうやって簡単に、なんでもします、なんてこと言っちゃあいかんよ。……まあ、塚本翔太にはお前さんを動かすだけの力があるということか……」


 中岡先輩は表情を曇らせていたが、その理由は分からない。それに、それを聞けるだけの余裕はなかった。


「ワシらが望むことはただ二つ」


 しかし、そんな暗雲も即座に振り払って、彼は私に決断を迫った。


「明後日に生徒総会を開くと約束すること。そして、その職を辞する宣言を自らすること。その方が、お前さんのためにもなるだろう」


 遂に来た、辞職宣言。最悪の事態とも言える決断だった。もしそれを受け入れるなら、私は生徒会の仲間と支持してくれた生徒を裏切ることになる。でも、もしそれを受けなかったら、しょーたと私のランデブーが世間に晒されてしまい、生徒会長としての責任問題にも発展するだろう。


 ……どの道、私には辞職以外の道が残されていなかった。できるだけ多くの人が悲しまない選択を取るなら、きっとそれは――。


「……分かり、ました」

「明後日、お前さんが武蔵講堂に足を運ぶことを楽しみにしているよ」


 胸にすっぽり穴が開いたような感覚になる。まるで、自分の野望が潰えたような感覚。もはや、誰にも信用してもらえない気がした。生徒会役員、親衛隊やキキの生徒……しょーた漬けの私を許してください……。

 校門を見渡しても、既に先輩の姿はない。一人取り残された私は……偶像のように固まって、動く気も起きなかった。


「あっ、カエデ」

「……しょーた」


 やがて、部活を終えたしょーたの姿が目に入る。先輩とのやり取りを知らない彼は普段通りの表情で私に駆け寄って、こう呟いた。


「もう遅いし、帰ろうか」


 ……私はしょーたのことが好き。その想いは空よりも広く、海よりも深い。

 でも、きっとその野望は二度と叶えることができないモノとなってしまう。学校は以前の姿へ回帰して、恋愛沙汰も叶わない学校へ一直線。

 だからせめて、今だけは彼の隣にいることを許してほしい。罰はいくらでも受けるから、彼の隣に立つことを認めてほしい。


「……うんっ」


 そんな気持ちを胸に抱きながら、精いっぱいの笑顔で彼に返事をした。





「……中岡先輩、どうして噓を言ったのですか」


 寮へと帰っていく二人の様子を眺めながら、赤津はその真意を問うように呟いた。坊主頭のいかつい男は、桜の木に触れるだけでなにも言わない。

 ただ無駄な時間だけが去っていく、赤津は少し苛立ちを覚えていた。

 やがて口火を切る男は、不思議なことに満足そうな表情を浮かべていた。


「たしかに、記事はこの一枚しかない。保存もしていないし、写真も消させた。……それに、明日までに全校生徒の三分の一の署名を集めるのは不可能。加えて、破滅の危機にあるのはワシらの方だ。……それでも、島崎楓は約束してくれた。会長の座を辞すると」

「言いたいことは分かりますが……どうして攻勢を緩める必要があるのですか」

「くくく、おかしなことを言うな、お前さんは。最初から言っているだろう」


 いくら悪賢い人間に見えても、男は実に単純なのだ。ただ自己の興味を満たすために、赤津に助け舟を出したのである。


「ワシの恋路を邪魔する若造……塚本翔太とは一体なんなのか、ただそれだけだ」

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