第18話 「カエデが高熱を出して倒れた」

 生徒総会が終わり、生徒たちが講堂から長蛇の列を作ってぞろぞろと退場していく。このなかには混ざりたくないなぁと感じた俺は、遠目からその様子をうかがっていた。

 どうしても、そういう気分になれなかったんだ。

 胸騒ぎがする……俺の知らないところでなにかが起こっている。


「塚本翔太」


 聞き覚えのない声が俺の名前を呼んでいる。振り返ってみると、あれ。誰もいない。


「こっち、です」


 ん? 疑問に思いながら視線を下に向けていくと……なんと、そこにはブロンドヘアの髪を持った少女の姿があった。たしかに、うちの学校は染髪が許されたけど……ブロンドヘアに染めるなんて、攻めてる女の子だなぁ。

 ……ちょっと待って。俺はこの子に見覚えがある。


「キミさ、俺とどこかで会ったことあるよね?」

「……秘密、です」


 なぜか複雑な表情を浮かべる少女。やはり、絶対にどこかであったことがあるやつだ。秘密って反応もそれっぽいし。こんな感じの子がいなかったか記憶を辿ってみる。

 たしかあれは……土曜日の部活だったか。

 部室棟の前でうちの部室を睨んでいる少女の姿を思い出す。


「あっ、思い出した! 声掛けたら異次元の速さで逃げていった猫ちゃんだ!」

「いいえ。ボクは人間、です。そんなことより」


 背が小さくてボクっ娘!? めったに見られない属性で関心を寄せていると、少女が話題を変えるように言い出すのでそのまま言葉を待った。


「ころ……すじゃなかった。会長が高熱を出して倒れた、です」


 敬語が苦手なのかなって方に気取られていたので、肝心の内容を頭で理解するのに少しだけ時間が掛かってしまった。


 ……会長が高熱を出して?


 カエデが高熱を出して倒れた!? 彼女の言葉をようやく理解して驚愕した。


 昨日の夜から普段とは違うなぁとは思っていたが、まさか病気の前兆だったなんて。いや、もしかしたら俺のハウリングが原因なのか? ……こうしてはいられない。今すぐこの長蛇の列を打ち破ってカエデのところへ行かないと!

 目の前に立つ少女のことなんか忘れて、俺はとっさに走り出した。すると、即座に首根っこをつかまれて身動きが取れなくなる。妙に締め付けが強い。

 ま、まさか……彼女は俺を殺そうとしているのか!?


「ちょいちょい、なにするんだ」

「そっちからじゃ時間がかかる、です」


 なにを言っているんだ、出口はここだけじゃないか。そう思っていると、いつの間にか彼女にお姫様抱っこされている俺がいた。嘘だろ……彼女のどこに俺を抱えられる力があるって言うんだ!? しかも余裕みたいだし。

 幸いなことに、周囲の視線が俺たちに向けられることはなかった。こんなところ見られたら恥ずかしすぎて死んでしまう。


「動かないで、ください」


 彼女に言われるがまま体を硬直させて待っていると、なぜか天井が近くなる。


 ……え、なにが起きてるの?


 彼女は二階の床へ無事に着地して、そのまま窓から飛び降りていく。

 

「ちょいちょいちょいちょい、なにやってんだ!?」

「うるさい、です」


 鬼の形相をした少女が俺を脅してくるので、当然口を塞ぎました。ここで殺されたらカエデに会えなくなってしまうので。

 少女は難なく着地してみせると、ようやく俺を解放してくれる。


「医務室まで走って、ください」

「あ、ありがとう……君の名前は?」


 名前を訊こうと思って振り返ると、そこには既に誰もいない。雑草が生い茂る倉庫の裏に俺だけが取り残されていた。せめて彼女の名前は知っておきたかったが、それよりも優先しなければいけないことがある。


「……そうだ、カエデ」


 きっと高熱を出してうなされている。一刻も早く彼女の安否を確認したい。まだ誰も戻っていない藝学舎を無我夢中で走り回って、俺は医務室へと辿り着いた。

 三度ノックして、いざ鎌倉! しかし、ノックし終えたタイミングで向かい側から扉が開かれた。


「やっと来たね」

「えっ、どうして」


 そこに立っていたのは、胸元から下乳まで理想的な放物線を描いている副会長だった。なるほど、総会中に倒れたなら彼女が付き添い人であって当然だ。なにもおかしいことはない。ただし、問題なのは彼女の視線だ。


「……どうしてそんな、軽蔑する視線を向けてくるんですか」

「あたし、まだ認めてないから」


 眼鏡を軽く押してそう呟く副会長。ちょっぴりカッコいい。

 でもなにを認めてないって……ああ、きっと同棲のことだと思う。彼女は俺がカエデに変なことをしないか疑っているんだ。だけど、仮に万が一、俺が煩悩にまみれた超次元変態であったとしても、カエデを襲わない自信がある。


 だって俺の好きは……純愛だから。


「なにも変なことはしないって。……それで、カエデの様子は?」

「溜まってた疲れが一気に出た感じだって、先生が言ってた。土日安静にしていれば回復するって」


 よかった、大事には至らないみたいだ。俺が悪いってわけでもなさそうかな? 胸をなで下ろす俺を見た副会長は、緊張感が足りないと言いたげな表情で言葉を続けた。


「今から担架で寮に運ぶから。その後は食材の調達と……解熱剤も買っておこう。そっちの部屋って床に敷ける布団ある?」


 ないから寮で借りるしかないな。いつカエデが目を覚ますか分からないし、なるべく簡単に作れて食べやすいものにしないと。栄養価もできるだけ高いものにして……ん? どうして副会長は布団の話をしてきたんだ?


「……どうして敷布団が必要なの?」


 そんなの決まってるじゃん、彼女は豊満な胸を揺らしながら呟いて俺を睨みつけた。


「あたしがそっちの部屋に泊まるからだよ」

「は?」


 寮内では、割り振られた部屋以外に泊まることは原則として禁じられている。やむを得ない事情が発生した場合は、管理者に連絡して認めてもらう必要があるんだ。

 ……どうやら、既にその話は済ませている様子。カエデに似て行動力のある副会長だな。良隆とは大違いだよ。


「言ったでしょ、あたしはまだ貴方を認めていない。そんなやつがカエデの肌に触れるとか……もう想像しただけで吐き気がするよ」


 あのさ、そういう生々しいことを言い出すから俺だって意識しちゃうんだぞ。今までそんな気持ちじゃなかったのに……まあ、実際にカエデの体を拭くってなったら俺も気が気じゃなかったな。うん、副会長の想像力に負けました。


「わかったわかった。とりあえず、今すぐカエデを運ぼう。カエデも自分が運ばれている姿は見られたくないだろうし」


 きっと、まだ武蔵講堂付近で立ち往生している生徒がほとんどだろう。今なら誰にも目撃されずに寮へ運ぶことができると踏んで提案してみると、


「遅れました、大丈夫ですか」

「会長! 無事に総会終わったよぉ!」

「しーっ、寝てるから」


 良隆と未礼が急ぎ足で医務室にやって来る。ただ、少し声が大きかったので、副会長が制止するように人差し指を口もとに当てた。

 さて、これで人手不足が解消されたな。四人もいれば速やかにカエデを運ぶことができる。


「早速だけど、担架でカエデを寮に運ぶから手伝ってほしい」

 その提案に、誰もが頷いていた。



 ……誰かに見られることもなく、自室へと辿り着いた。

 鍵を開けてカエデを部屋へと運び込む。飲みかけのコーヒーカップがテーブルの上に置かれていて、同棲する人以外にその様子を見られるのは少し恥ずかしかった。まあ、今日の朝は時間がなかったから……仕方ないよね。


「未礼、ヨシくん、ありがとう」


 あっ、俺には言ってくれないんですね。そうですか、分かりました。


「私も看病したいよぉ!」


 地毛の茶髪で結われたサイドテールを揺らしながら未礼は訴えていた。

 小動物が懇願するような動きでちょっと面白い。

 ……しかし、そんな彼女に対して副会長は冷静な様子を見せる。


「気持ちは分かるけど、未礼が同棲してる子は生徒会役員じゃないし、あまり会長の状態を外部に流したくないの。カエデもそれは望んでいないはず。あたしは萌夏と一緒だから問題ないけど……ね、お願い」

「うぅ……まあ、清美ちゃんと塚本くんが一緒ならなにも心配ないよぉ! 会長のことをよろしくね」

 未礼はやけに俺のことを信頼してくれるなぁ。一度しか話したことないのに。副会長とは大違いだ……って思っていると、どうやらそれが伝わってしまったらしく、右頬をつねられた。

「いててて……止めてくれよ」

「馬鹿にされた気がした」


 ……痛みに耐えて考えてみたんだが、これは彼女から信頼を獲得する大チャンスじゃないか!? カエデの看病を抜かりなく進めていく過程できっと認めてくれるはず……!

 よし、頑張ろう。副会長には俺の気持ちを分かってもらうんだ。

 心の中でそんな決意を抱いていると、良隆が顔を近付けてくる。


「いいですか、清美さんに変なことしたら許しませんよ」

「……は、はあ」


 お前はなにが言いたいんだよ。俺が副会長に手を出すとでも思っているのか?

 だとしたら良隆は俺を見誤っている。俺には心に決めた人がいるんだ。そりゃもちろん、他の女の子の容姿もいいなって思う時はあるけど……断然、カエデの方が可愛い。

 カエデが最高! カエデしか勝たん! 勝たんしかカエデ!


 ……さて、そんな俺に構うことなく、役目を終えた二人は部屋を去っていった。残された俺たちにはやることが山ほどある。


「副会長、荷物どうする?」


 そう、俺たちは終礼に顔を出さずに部屋まで来てしまっている。きっと、俺たちがいなくても終礼は済まされるだろうが、手荷物は教室に残したままなんだ。財布も置いてきてしまったので、今すぐ取りに行かないと買い物に行けない。

 彼女は首を傾げると、なにやら考え込む様子を見せる。


「んー、まあ、時間があったら行くよ。今はカエデが優先」

「そっか。俺は財布と一緒に置いてきちゃったから取りに行くね。買い出しも行ってくるから、副会長はカエデのことよろしく」

「ねえ、その副会長って言われるのイヤだな。清美って呼んで」


 言われてみれば、ずっと副会長って呼んでいたな。名前を知らなかったんだ……許してほしい。

 ……ただ、副会長は二人いるから、区別するためにも名前で呼んだ方がいいな。

 教室に戻って荷物を確保し、外出権を行使してスーパーに向かう。

 体調が優れない日にはおかゆが一番だ。お米は部屋にあるから、大根・人参、卵を買って……あっ、解熱剤も必要だったな。

 ひと通り買い揃えて寮に戻ると、寝間着に着替え終えたカエデの姿が目に入る。


「おかえり、塚本くん」

「……ただいま、清美」


 用意した冷水にタオルを浸す清美が挨拶してくれる。いつもは俺が言う側だから、ちょっと新鮮。どうやら彼女がカエデの着替えをやってくれたらしい。そのおかげか、先ほどまで窮屈そうだったカエデの表情が、少し穏やかになっている気がした。


「あたし、自室から必要なもの取ってくるから、カエデのことお願いしてもいい?」

「わかった。いってらっしゃい」


 その間、俺はご飯の準備もしてしまおうかな。

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