第17話 「……この予算案は容認できない」

 六月十四日、水曜日。

 生徒総会当日、いつもなら緊迫した空気で少し重たい生徒会室だけど、今の私はむしろ清々しいくらいに冷静だった。

 なぜかって、それは……昨日の夜、しょーたと約束をしたからっ! 総会を頑張ったら頭をなでてくれて~、一緒にお出掛けにも言ってくれるの!

 考えてみてよ。前回の生徒総会、しょーたは一切賛成の色を見せなかったんだよ!? にもかかわらず、今回は私を応援してくれる……。これって、私のことは嫌いじゃないって考えていいんだよね……?


「……最近の会長、ずっとあんな感じだよぉ。どうしちゃったんだろう」

「ねー、まるで恋する乙女って感じ」


 清美から悪意ある言葉が聞こえてきて、感情を抑える一本の線がはち切れた気がした。


「……清美、なにか言った?」

「いいや? 塚本くんとの同棲を止めてほしい、なんて思ってないけど?」


 胸が零れ出るくらい腕組みを強めながら、清美は白々しい表情を向けてくる。

 それ、思ってるじゃん。思ってないとそんな言葉出てこないもん。


 ……ていうか、いつまで清美は私の邪魔をするわけ?


「ねえ、清美。私の邪魔をするのはやめて頂戴。私は自分の魅力をしょーたに叩き込むために同棲を決意したんだから」

「魅力を叩き込む……えっ、それってもしかして!?」


 未礼は興味津々な表情で私に詰め寄る。なにを勘違いして――っ!

 み、魅力って、そういう意味じゃないからねっ!?


「違う、ちょっと待って! 二人とも誤解してる!」

「……男?」


 盛り上がっていたからか、萌夏が生徒会室の扉から顔を覗かせて言った。なぜか彼女の背後から殺意のようなものが感じ取れる。一体、なにがあったんだろう。


「ど、どうしたの萌夏! なんで怒ってるの?」

「怒ってない、です。……塚本翔太は会長にとってどんな存在、ですか」


 どんな存在って言われても……答えにくい質問してこないで。わ、私は谷千代学園高等部の生徒会長だよっ? いくらなんでも気持ちをそのまま表現するなんて……立場的にいけない……よね。

 葛藤と戦う私は、どうやら顔や耳を真っ赤にしていたようで、未礼が意地悪な表情を浮かべながら私の背中を突いてくる。な、なに? 変なこと考えてないよ?


「うふふ、素直なんですねぇ~」

「……う、うるさいっ!」

「……ころす」


 え? 萌夏が小声でなにかを呟いた気がしたけど……聞き取れなかった。


「翔太君も幸せ者ですね……さて、皆さん。用意ができましたので、講堂に向かいましょう」


 萌夏になにを言ったのか訊こうとした時、外からヨシくんの声が聞こえてくる。どうやら出発の準備ができたらしい。……さて、気持ちを切り替えないと。今から生徒総会なんだから。

 ……緊張はない。私の生徒会は盤石だもの。

 それに、今の私にはしょーたがいてくれるから……。


「行きましょうか。武蔵講堂へ」

「「「「はい」」」」


 今日の総会では、今年度の予算案について提案する予定になっている。先月に行った部活動見学のおかげで、この方式は問題なく作用する見通しが立った。無事に可決されれば、これから新しい行事を設けることができるし、学食だってもっと華やかなものになる。

 必ず成功させるんだ、今回の生徒総会も。


「ローゼンのおかげで生徒の入場がスムーズに行われていますね」

「でしょう。彼らには頭が上がらないよ」

「……清美さんのおかげですよ」


 ヨシくんの言葉に、清美は恥じらうような表情を見せていた。へえ、意外……って思ったけど、そうだったね。実は清美だって――。

 そんなことを思い返して笑っていると、ローゼンを指揮する清美が鋭い視線を向けてきた。ああ、気付かれちゃった。……ここは話を逸らさないと。


「ありがとう、清美。貴女のおかげよ?」

「もう、絶対変なこと考えてたでしょ……。まあ、いいわ。カエデの力になれたのなら、本望だよ」


 ありがとうの気持ちは本心だよ、清美。いつも私の力になってくれる清美が大好きなの。だから、清美が迷っている時は私が手を差し伸べるんだ。

 ……そうして今日まで戦ってきたんだもん。これからもきっとそう。


「……完了、です」


 入口に立っている萌夏は両手で大きな円を描く。これは講堂内に全校生徒が入ったという合図だ。庶務の未礼には、いつものように照明の操作をお願いしている。


「準備が整ったみたいね」


 ゆっくりと照明を落としてもらうため、私は手を上げて未礼に合図した。

 やがて生徒の声も消えていき、生徒が寝静まった深夜の寮を彷彿とさせる。

 壇上の中央に私が立ったところで、今度は中央の照明の明かりを徐々に強めていく。


「……これより、生徒総会を始めます」


 待ちに待ったその時がやってきたと、拍手の嵐が巻き起こる。

 普段ならこれが快感だけど、今日は違う。

 ……私、火照ってる。朝からずっと胸がドキドキしてる。

 中央に立つしょーたの姿が目に入った。宣言通り、頑張るから。


 ――どうか、私を見ていてほしいの。


「本日は今年度の予算案について提案します。お手もとの資料をご覧ください」


 予想はしていたが、驚きの声が各所から上がった。なにせ、寮制度と匹敵する大改革なのだから。更なる理解に繋がるよう、スクリーンにプレゼン用の資料を表示してもらう。


「先月の部活動見学や過去のデータを踏まえ、予算案について新たな提案をします。反対意見は当然出てくると思いますが、まずはこちらの説明をお聞きください」


 スクリーンの邪魔にならないように左端へと移動して、私は説明を開始した。


「これまで、本校はあまりにも無駄な経費が多かったのです。……たしかに、部費で購入した備品が破損して、それを買い替えや修理等で経費から落とすのは理解できます。しかし、ある部活では、活動中に交通事故で車が破損したとか、部活中に吸うタバコが必要だったからとか……耳を疑うような話も出てきました」


 頷く生徒や聞いたこともない話で驚いた様子を見せる生徒が大勢いた。


「つまり、適切に配分された予算案ではなかったのです。このままでは、我々生徒が学校に支払ってきたお金が無駄になってしまう……。この状況を変えるために、新たな政策を打ち出すことに決めました。部費は人数比で最低限の分配とし、必要になったら申請する方式にして無駄をなくす。これが、生徒会の提案する予算案の新方式です」


 必要最低限の部費を提供するのであり、仮にもし提供した以上の経費が必要になった場合は、生徒会監修のもとで申請を行い、追加の予算を受け取ることができる仕組みだ。少し会社っぽい方式で、早めの社会学習としてはいい経験だと思って提案してみたの。どうかな、しょーた?

 ……緊張していないはずだけど、なぜか肌寒い。それに、普段なら壇上で邪念を思い浮かべることなんてあり得ないのに、しょーたのことばかり考えてしまう。


「……この予算案は


 私の体調なんてお構いなしに、一人の生徒が声を上げた。もはや恒例になりつつある、赤津先輩の異議。彼は学校に同調している人だから、今回も反対するだろうと思ってた。


「どの辺りが容認できませんか」

「これまでの予算案は、適切に配分された予算案だったからだよ」


 あり得ない、そんな野次が飛んでくる。その言葉はきっと私を擁護する方だと思う。だって胸元に薔薇の紋章を付けてるから。

 それに、私は言ったはず。これまでの本校はあまりにも無駄な経費が多かった……って。

それでも食い下がる秋津先輩は一体なにを考えているのか、次の言葉でようやくその全貌が見えてきた。


「……予算案をいじることは、特定の部活動のやる気を著しく削ぐ可能性だってある。それに、新しく導入されるこの方式は……生徒会の横暴さがうかがえるよ」

「横暴、というのは失礼な言い方だと思います。私たちは今日まで最良の予算案を熟考し、その結果を提案しているのです。果たして勝手気ままでしょうか。……加えて、結果的に予算が減少するわけではありません。必要になった場合に申請してくだされば、生徒会の承認を得ることで臨時の予算が組まれるのですから」

「まあ、要するに、勝てばよかろうなのだ……そうだろう?」


 秋津先輩の隣に立ついかつい坊主頭の男が、先輩に渡されたマイクを奪って訊いてくる。

 ……まあ、そういうことになるのかな。


「はい。地方大会で優秀な成績を修め、全国大会に出場することとなれば、申請によって臨時の予算が組まれます」


 秋津先輩を納得させたいのか、坊主頭の男は耳もとでなにか呟いていた。


「……分かりました。こちらとしては、これ以上異論を唱えることはありません」


 秋津先輩の一言でようやく決着、静まる講堂の様子から私は胸をなで下ろした。

 ……そんな暇は与えないと言いたげな様子で、一人が天を貫くほどの勢いで手を上げた。それは見覚えのある男だ。しかも、絶対にしょーた関連で。


「我はこの提案に断固反対するッ! よいか貴様ら、騙されてはいけない。この予算案は一切平等ではないのだ! 人数が多い部活ほど得をする。これでは更なる労働格差を生むのは必至! 直ちに、全部活動へ同額の予算案を組むよう求めるッ!」


 文藝部に所属する一年生、大庭伴弘だ。

 このままだと、絶対にヨシくんのお姉さんも出てくるよね……。


「お主! これに乗じ、また意味の分からぬ本を買おうとしておるな! 文藝部の部費を無駄にされては困るぞ!」

「なんだと! 日本国を変える人民のための著作をないがしろにするつもりか!」


 流石に止めないと、そう思って清美に合図しようとしたタイミングで中央から手が上がる。

 それは――塚本翔太の手だった。

 即座にマイクを渡すよう萌夏に合図する。同調か、反論か……固唾を呑んでその様子をうかがっていると、彼はマイクに力を込めて怒りを露わにしていた。


「頼むから、これ以上二人で喧嘩するなら外に言ってくれ! 文藝部の品位を著しく低下させる行為は控えてほしい!」


 白熱する二人の空気を塗り替える勢いで喋り出したので、講堂のスピーカーがハウリングを起こして全校生徒の耳を破壊しようとする。


 どうやら、講堂でハウリングが起こるのは初めてだったようで、しょーたの声がとてつもなく大きかったのが分かる。少しの間、耳が聞こえなかったし。


「むう……なんじゃこれは、聞こえぬ」

「……ぐ、聞こえん! 塚本ぉ! 一体なにをしたぁ!」


 ……それから少し経って、ほとんど全員が聞こえるようになった頃、しょーたがその場で謝罪してこの一件は治まった。

 すると、周囲からしょーたを揶揄するような発言が聞こえてくる。


「さっきの人って、会長と同棲してる人じゃない?」

「うっわぁ、めっちゃイケメンじゃん」

「会長と同じく学年一位だった人?」

「美男美女カップルじゃん……うらやま」


 えっ、美男美女!? た、たしかにそうかも。しょーたイケメンだし……むしろ、私が隣にいていいのか不安になるくらい。もしかして、私たちってそういう関係だと思われてるのかな!? いたって健全だけど、だけど……いつかそうなりたいとは、ちょっぴり思ってるなんて、えへへ。


「……やばい、会長が」

「……非常に危険ですね。清美さん、会長のことはお願いします」

「わかった」


 あれ、なぜか幕が下りていく。総会はまだ終わっていないのに。


「どうし……て?」

 あれ、体が言うことを聞かない。未礼の方を見たつもりなのに、視界が定まらない。

 上を見上げてしまい、天井が遠くなっていく。


「おっと。危なかった」

「ひゃっ!?」


 冷たいものが頭に触れる。体温を感じ取るような……それは小さくて優しい手だった。


「やばい、熱あるよ」

 たしかに……体が火照って心臓の鼓動も早く感じる。

 でも、この熱は彼への想い……。


「これより、十五分間の休憩時間を設けます。総会再開の三分前には着席できるよう心掛けてください」


 ヨシくんの声がぼんやりと聞こえてくる。

 休憩……じゃあ、私もちょっとだけ休もうかな。


「会長! 大丈夫ですか!?」

「未礼、萌夏ちゃんのこと呼んできてもらえる?」

「ここに、います」


 どうやら生徒会メンバーが全員集まっているらしい。

 私もしっかりしないと……そう思って体を動かそうとするけど、全く思い通りにならない。


「精力的に活動されてましたから、無理が祟ったのかもしれませんね」

「そうかも。カエデはあたしと萌夏ちゃんで医務室に運ぶよ。その間、総会の方をお願いしてもいい?」

「当然です。お互いに副会長として責務を果たしましょう」

「わたしは……なにすれば」


 ようやく声が出た。


 清美の顔がうっすらと映る。微笑んでいるように思えた。


「カエデはゆっくりお休みなさい。ここからはあたしたちに任せて」


 その言葉を最後に、私の記憶は途切れていった。

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