第8話 「葛藤する男たちのネットワーク」

「なるほど、そういうことか」


 五月一三日、金曜日。

 昼休憩の時間、都会を感じさせない景色を教室のベランダから眺めていると、ある男が声を掛けてきた。紫学舎の中でも人望が厚く、主席候補と言われる副会長の一条良隆だ。


「くれぐれも気を付けてください。貴方が関係者だと思われていても仕方ないですから」


 要件は一つ。生徒会が部活動見学を行うと決定し、注目されているのは文藝部だということ。生徒総会で寮制度の変更を声高に否定した一条彩姫と大場伴弘の処遇を巡って生徒会が動き出したのだ。


「生徒会と……噂の秘密組織も動き出したのか?」

「極秘の情報ですが、貴方にならよいでしょう。そうです、私たちはと呼んでいます」


 特別高等警察やゲシュタポを彷彿とさせる秘密組織のキキが関与していると。

 ……存在は噂で聞いたことがある。カエデに反抗する生徒を片っ端から摘発して、ありもしない罪を擦り付けたり、脅迫したり……カエデさんって、もしかして生粋のドSだったりしますかね?


 ……右手に持った紙パックのオレンジジュースを飲み干してから、彼の表情をうかがった。特に身を隠すこともなく堂々とした面持ちでこちらを見つめている良隆。

 彼とは仲がいいものの、俺とは比べものにならないくらい人気が高いので、一緒にいるところを見られて彼の経歴に傷がつかないか心配になる。


「しかし、よく俺なんかと話そうと思うね。副会長の威厳に障るんじゃないか」

「まさか。……貴方は少々自己評価が低いのですよ。もっと自分に自信を持って周りとコミュニケーションを取ればよいのです」

「そんなお世辞はいいよ。……お姉さんが心配なんだよな?」


 姉の話題に触れたところ、彼はすぐさま表情を曇らせた。ああ、そう。図星なのね。

 普段は真面目で生徒を引っ張っていくような面をしているが、本性はシスコンのようだ。まあ、そんな一面があるのも人間か。俺が彼女を誰よりも愛しているのと同じ。


「それは大いにありますが……僕としては、紫学舎にとって優秀である人材をこのようなことで失う破目だけは避けたいのです」


 ……なるほど。彼の言うことにも信憑性があった。

 実は、良隆にもある噂が流れている。姉と違って常識人であり、紫学舎と藝学舎の橋渡しとなる存在として見込まれたから副会長に選ばれた。しかし、実際は自分が所属する紫学舎の存在を守るために副会長に名乗り出たのではないか……。

 真偽はいまいち分からなかったが、今の発言でなんとなく辻褄が合う。高名な血統であり、貴族主義にかぶれた姉を持つ彼がシスコンであったとしたら、教養のある紫学舎を優先するのは理解できる。


「そもそも、成績上位者から同棲相手を選べることに関しては、会長や清美さん、そして紫学舎が圧倒的に有利と言えます。どうやら彼女には秘策があるようですが……なにを考えているのか見当も付きません」

「今は洗脳期間なのかねぇ。校則は譲歩できたとしても、同棲に関しては彼女の雄弁がなければ失敗していた可能性の方が高いし……この先どうなることやら」


 壁に寄り掛かりながら空を見上げる彼は、生徒会副会長と呼ばれる人間にしては清々しさが漂っていた。なにか限界を悟ったような面持ちであり、心配になってくる。


「貴方になら、なんでも話せる気がしてしまうのが怖いですね。知らぬ間に本心を呟いていそうで、自分が分からなくなります」

「それは、俺の影が薄いっていう皮肉だと受け取っておくよ」

「おほほほ、まさか。誉め言葉ですよ。それでは」


 頃合いを見計らって去っていく彼だが、数秒前の雰囲気とは全く異なって、紫学舎の生徒から信頼される知性に溢れる一条良隆がそこにいた。

 梅雨前の過ごしやすい天気は、自分と向き合うように諭している気がした。


 俺は自分に自信がない……そうだな、彼の言う通りだ。カエデを生徒会長の座から退かせるだなんて不可能も同然なのに……。彼女の隣に立つ自信がないからと、現実逃避をするようにそれを果たそうと心に抱いている。

 もっと自分に自信があったらなぁ。あの時、彼女に言われたことを思い出す。


 ――A判定を取ってきた連中で落ちたの、貴方だけじゃない?


 あの日、無神経な彼女が呟いた言葉が今でも俺の心を虫食んでいる。分かっているよ、君がそんなことを言う人間じゃないって。だって四年間も一緒に塾で頑張った仲だよ?

 ……きっと、俺が落ちたから、やり場のない気持ちを吐いてしまったんだよね。

 ずっと隣にいてあげたかった。欲を言えば、ずっと隣にいてほしかった。そんな本心を伝えられない俺が憎い。小学生時代から成長できていない俺がイヤになる。


 ……日差しを浴びる気分じゃなくなって、教室に戻る。

 すると、彼女の声が放送を介して耳に届いた。


「来週から生徒会による部活動見学を行います。来月の予算案編成に繋げたいと思っています。皆さんの活動風景を私たちに見せてください」


 良隆が言っていた件か。どうやら本当らしいな。さて、文藝部の活動方針も決めないとな。


 ……金曜日の午後は世界史と古典がある。小学生の時、カエデの得意教科は社会だったか。俺の知らない偉人のことにも詳しくて感心させられたっけ。今日までの振る舞いを思い返してみると、どこか独裁的で権力志向な性格が彼女に宿っているような気がする。

 もし、俺がそうさせてしまったのだとしたら……不安が残る。


「終礼を始めるぞー」


 授業の復習がてら、カエデを思い浮かべながらノートを眺めていると、担任の声が聞こえてきたので顔を向ける。小太りでたくましい剛毛を晒す森田昭喜もりたあきのぶは、国語科の教師として本校に務めている教員で、同時に文藝部の顧問も務めている。

 教員の中でも生徒の自主性を重視する彼は、文藝部の活動に口出しすることはほとんどなく俺たちの意思を尊重してくれている。


「月末には定期試験があるから、各自勉強を怠らないように。それと、校則の改正に伴って改訂版の生徒手帳が来週中に配布するそうだから、委員長は忘れずに事務室へ」


 指名された委員長は気怠そうに返事をするので、クラスの大半が呆れた様子を見せる。生徒総会前の部活の時、特別授業に出席しない俺を心配してくれた委員長の笹川悟ささかわさとる。彼は俺のルームメイトでもある。


「翔太、今日は部活か?」

「いいや?」


 今後の作戦を考える必要があると思い、翌日の土曜日を使って集まろうということになっていた。一緒に帰寮する日があってもいいだろうという話になって、雑談を交わしながら自室まで一緒に歩く。

 悟は本好きで、暇さえあれば本に目を向けているほど。そのジャンルは多岐にわたるが、なぜか兵法書まで読んでいる化け物だ。

 しかし、文藝部に入る気はないそうで、その理由を訊いてみると、


「俺、文章は書かないからな。ただ読みたいものを読む、それだけさ」


 ブイサインを向けながら悟は答えてくれた。別に書かなくても入れるのに……まあ、彼が入らないと決めているならそれ以上言うことはないけど。

 やがて部屋に辿り着いて鍵を開け、朝の片付けや着替えをしていると、大衆小説を片手に優雅なティータイムを過ごす彼の姿が目に入る。

 どうやら彼は、教室というものに居心地の悪さを感じているらしい。委員長に推薦されたのも、読書好きで真面目キャラだから、という浅はかな理由。優秀な生徒が集まる紫学舎でそれが許されるのかと思ったが、担任も担任なので無理もなかった。

 高価な制服がシワにならないようハンガーに掛け、部屋着に着替え終えた俺が落ち着いて話のできる状態になったと察したのか、悟は珍しく読書を中断して意味深な言葉を呟いた。


「――文藝部、危機なんだってな」


 どうしてそれを知っている。奇妙に思っていぶかしむ視線を向けていると、彼は嘲笑にも思える表情を作り出した。


「生徒総会でちょっと意見しただけなのに、反乱分子の疑いを掛けられるだなんて、現代の日本じゃ考えられないね」

「俺と良隆の話を聞いていたのか?」


 彼は首を縦に振った。考えてみると、彼は窓際の席なので、ベランダでの会話が聞こえていてもおかしくはない。誰かに聞かれるような場所で会話を交わす俺たちが悪手だったと言わざるを得ないか。大事な話は人目に付くところでするもんじゃないね。

 だが幸運なことに、悟の立場は俺たちにとって都合のいいものだ。


「前から言っているが、俺も島崎楓の生徒会には納得していない。同時に一条良隆が嫌いだ。たいして能力もないのに紫学舎の人気を集めて自己顕示欲を高めようとしている悪人だからな」


 そうなのか? 少なくとも成績優秀で周りからも認められる能力が十分に備わっていると思うが。悪人までは言い過ぎたと感じたのか、とっさに咳払いをして話題を逸らした。


「まあ、力になれることがあったら言ってくれ。面倒なことは起こる前に潰すのが一番さ」


 普段から煩わしいことはイヤがる彼だが、時には破壊衝動に駆られて暴力を示唆するような発言をすることがある。もちろん、俺にだけだよ? 気の許せる相手だと思ってくれているならありがたいが、暴力は絶対に行使してはいけない。


「潰す、ではなくて、退ける、だけどな。……行き詰った時は頼るよ」


 その言葉を聞いて満足したのか、彼は再び本の世界へと入っていく。定期試験が間近に迫っているというのに、焦りを一切見せない彼には脱帽するよ。

 ……悟のことは気にせず入浴や夕食を済ませた後、暇な時間を勉強に充てていたら一日が終了した。

 お互いにやることを終えたので、消灯してベッドに入った。


 ……すると、どういうわけかカエデの顔が頭に思い浮かんでくる。


 もし、俺が学年一位になったら彼女と同棲する選択もあるのか。……えっ、最高じゃん。だって好きな人の素顔を独占できるわけだよね? しかも、彼女だって俺のことを見てくれる。

 たしかに、生徒会長として頑張る彼女も好きだよ? だが、そんな彼女を囲ってけしからん妄想を繰り広げているやつらは許せない。だからこそ、俺はカエデを生徒会長の座から退いてもらう必要があるんだ。


 そうは言っても、今の俺には……自分の立場を捨ててまで彼女に立ち向かう勇気がない。遠くに行ってしまう彼女を追いかけて、隣に立つ自信がない。


 胸騒ぎがする。もうすぐ、人生における大きな決断を下さなければいけない気がした。

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