第3話 「ようこそ、反生徒会の本丸・文藝部へ!」
好きな人が目立つようになって、胸が締め付けられるような痛みを覚えた。
俺の中にある、カエデが大好きって気持ちは一切変わらない。だけど周囲の人々が、
「カエデ様! 大好きです!」
「カエデちゃん、俺にも手を振ってくれ!」
「月まで届け、俺の気持ち! カエデちゃん、愛してる!」
……って言うようになってから、非常に気分が悪い。もしかして、俺って同担拒否なんだろうか。……いやいや、俺にとってカエデは推しではないんだよ。心の底から愛している、たった一人の女性なんだ。夫婦は日本じゃ一夫一婦だろ?
愛するカエデが周囲の人になびいてしまわないか不安になってしまうんだ。べ、別に束縛したいわけじゃない。待て待て、実はそうなのか? いやいや、分からない……とにかくカエデ、目立たないでっ!
……そんなことを考えていると手の力が抜けてしまい、持っていたプリントを床に落としてしまう。学校について詳しく書かれたプリントなので、紛失でもしたら大変なことになる。
欠損がないか目を通してみるが、特に問題はなしっと。……しかし、改めて読んでみてもこの学校の歴史や特徴は面白いなぁと思わされる。
谷千代学園は創設以来、医者・弁護士、トップアスリートや有名政治家といった人物を毎年のように輩出している名門校である。
この実績を作り上げた大きな要因として、校舎が二つ存在し、学力や運動能力によって組分けされていることが挙げられる。
校舎の名前はそれぞれ
前者は中等部の卒業試験で優秀な成績を収めた者と、高入試験で八割以上の高得点を獲得した特待生から構成される、勉学に突出した生徒が通うことのできる少数精鋭の校舎だ。その起源は平安時代にあるそうで、高貴な意味合いを持つ紫が使われている点で頷ける。
後者は中等部の卒業試験で平凡な成績であった者、高入試験で八割未満だが一定の得点を獲得した者から構成される、芸能と学問を極める文武両道を目指すことを目的として創設された校舎だ。その起源は江戸時代にあって、もともとは武芸や武士道を学ぶ私塾だったらしい。
こうして谷千代学園が誕生した。
だが、教師陣は本校の卒業生であることが多いため、同じ教育が繰り返されるという現象が発生している。そんな生き地獄に新風を吹かせようと立ち上がったカエデは、激戦をくぐり抜けて生徒会長に就任したのである。
……プリントを眺めていると、カエデの声が放送を介して加減なく聞こえてくる。
「五月十一日に臨時の生徒総会を行います。議題は二つ。一つは校則の改正と……もう一つは、当日発表します」
――五月九日、月曜日。生徒会選挙が決着して数日が経過していた。
昼休憩の時間、午前の疲れを癒すために生徒が談笑していたところで、臨時の生徒総会の開催が告げられる。
「会場は武蔵講堂です。六限目を使用します。どうぞお楽しみに!」
武蔵講堂は入学式が行われた場所だ。カエデは再びあの壇上に立ってどのような議題を提起するんだろう。俺は購買で購入したメロンパンを頬張りながら、スマホの連絡アプリを開き、「放課後 部室に集合」と打ち込んだ。
午後も骨のある授業を二コマ受けて、終礼後に焦ることなく教室を後にする。
「翔太! 今日の特別授業は出席しないのか?」
去り際に声をかけられて、今日は俺にとって大事な勉強デーだったことを思い出す。
特別授業とは、紫学舎にのみ組まれたカリキュラムで、大手予備校の教師が特定の日に講義を持つ特殊な時間割だ。紫学舎の生徒は文化部にのみ所属することが許されているので、部活動や外せない予定のある生徒には参加が強制されていないが、俺は特別授業が好きということもあって、毎回参加するつもりでいた。
ただし、今日はどうしても外せない部活なので……ブッチしちゃおう。え、言葉が低俗過ぎるって? どれだけ真面目そうな人間に思えても、考えてることは意外と単純なんだよ。
「実は部活で冊子を作ることになっていて、近頃は手が離せないんだ」
「あーなるほどな。面倒だけど、先生に言っといてやるかぁ」
持つべき友は優秀な学級委員長だな。後でなにかしらお礼をしないと。
部室棟に辿り着いて二階に駆け上がると、歓声が上がって妙に騒がしかった。見世物でもやっているのかと少しだけ顔を覗かせると、湧き上がる歓声の正体が分かる。
「カエデさまぁ~! 今日も素敵です!」
「今日のカエデちゃんも他人を寄せ付けない輝きを放っているな……やばい、俺もアツくなってきた」
「カエデ様! ぼくに光あれって言ってください!」
男女問わず一丸となってその瞳に映しているのは、和服姿で撮影会を行っているカエデだった。新聞部と写真部が一眼レフカメラを持ち出して、あらゆる角度から撮影している様子から察するに、部活の月刊雑誌に掲載するための写真撮影だと思う。
大和撫子、日本の華とも言うべき彼女の姿に俺の心拍数は爆上がりだった。
もうね、見ただけで体が動かなくなるくらい可愛いの……ああ、尊い。
……それと同時に、周囲のやつらを滅ぼしてやりたいという感情に駆られる。なにが光あれだ、なにがアツくなってきただ。それを一番言いたいのは俺なんだよっ! ……理性に身を委ねて、当初の目的を思い出した。うん。だって、文藝部という魔の巣窟が俺を待っているのだから。
「……おお、塚本。ちと遅かったな」
「すみません、茶道部の前で通行を阻まれまして……」
撮影会の邪魔にならないよう文藝部の扉を静かに閉めると、部長の声がして即座に返答する。既に全員集まっているようで、歓声を聞いた部員の一人が眉間にしわを寄せていた。
「あの偶像崇拝はいつまで続くのだ。既に人民のいくらかは彼女を生涯の推しと言っているし、ある人民は彼女の写真集や等身大フィギュアを製作すると騒いで商品化を検討している。非常に不愉快だ」
えっ、写真部がカエデ関連のグッズを販売しようとしてるの!? ……絶対買おう。三つは買わないとね。持ち歩き用、部屋での鑑賞用、永久保存用のために。
……や、やはりけしからんな。カエデで商売をやろうとするなんて。彼女はお前らのものじゃないのに。
購入したい気持ちと販売をやめさせたい気持ちに揺れる俺をよそに、部長は扇子を素早く開いてあおぎ始めた。
「まあそう言うな
自分の信条を正面から否定してきたカエデに不満を漏らす男に対して、文藝部部長の
一条先輩が醸し出す高貴な雰囲気とその仕草はカッコいいんだけど……直後の言葉でいつも落胆させられるんだよなぁ。
「しかし、どうしてその座がわらわのものとならぬのか、それだけが解せぬな。誰よりも美しく気高く、愚かな国民どもからこぞって敬愛されるわらわが――なぜ」
「たしかに一条先輩は美人ですよ。……ですが、愚かという他人を見下すような発言は現代じゃいけませんね。権利は平等なんですから。それに、貴女の掲げるイビツな貴族主義に共感できなくて、友達が離れていくという話をよく耳にしますけど」
なんじゃと!? それは真か!? 相変わらず古風な喋り方でそう迫ってくる先輩だが、あんまり近いので、彼女が振りまくラベンダーの香りが俺の周辺を満たしていく。きっとシャンプーなんだろうけど……大人っぽい可愛らしい香りがして心地よく、心拍数が――
「ちょっと先輩、近いので離れてください」
会話に全く興味を示さずスマホを覗いていた少女が、俺と一条先輩のやり取りを見てとっさに割って入る。彼女のスマホから、ホラーゲームを実況する動画配信者の悲鳴がかすかに聞こえてきた。
オカルト好きの
……ただ、彼女は身だしなみに対する意識が緩いと言うか……着崩している場合が多い。今日もスカートの丈を折って短くしているようで、あと少しで下着が見えてしまう。
「またスカート短くしてるだろ、ちゃんと直せよ」
「翔太くんまで先生みたいなこと言うの? ……意識してくれるのは嬉しいけど」
「なんだって? 最後の方聞こえなかった」
「なんでもなーい。あっ、そうだ。今日の動画面白いから見て!」
また話を逸らすんだから……彼女の悪い癖だ。
文藝部にはオカルト好きがいないので、俺が話し相手になっている状態だ。現代科学で証明できない事象、ワクワクするよね。オカルト系には疎いけど、都市伝説や怪談話を聞くのは飽きないから好き。
……そんな俺たちのやり取りなど気にせずに、偶像崇拝を嫌う男が持論を展開した。
「生徒総会はまやかしだ! あの場は長い間生徒会の行動を正当化させるために開催されてきた腐敗の温床。彼女は従来の学校方針を転換させただけで、その制度を上手く使用してきた歴代の生徒会となにも変わらない。議会による統治、人民格差の是正! 生徒会の廃止と校舎の統合こそが真に平等をもたらすのだ。私はそう信じている!」
「ああ、また伴弘が狂いだした。先輩、そこにある本を渡してやってください」
一条先輩とはまた別の思想でカエデに反感を抱いている同級生の
二人は生徒のことを頻繁に「人民」や「国民」と表現するので、政治家を輩出する高校らしいなぁと思わされるよ……。
「一条先輩が学内で変人って言われてよかったよね。そのおかげで文藝部は魔の巣窟って風潮ができたわけだし。なにより、ここはうちにとって大切な居場所だから……」
千晴は俺に目配せしながら呟いたが、なにを伝えたいのかよく分からなくて首を傾げていると頭を叩かれた。普通に痛い。ていうか、今のどこに叩く要素あったの!?
対する一条先輩は変人と呼ばれて痛くも痒くもないないのか、優雅な舞を見せつける。
「左様。崇高なわらわがあったからこそ、文藝部は神域として認知され、並の者では入れぬ空間に……え、わらわが変人?」
先輩、気付くのが遅いです。
……だが、並の者では入部できない空間であることは間違いない。部長の一条先輩がこの調子なので、他人を寄せ付けない文藝部となっている。
それは、カエデが創設したローゼンという親衛隊を寄せ付けない対策としては有効だった。
「……さて、そろそろ部活を始めましょうか」
そう。いつまでも無駄話をしていては集まった理由が見えてこない。俺は両手を叩いて三人に合図を送った。最終目標はそれぞれ違うが、カエデを生徒会長から引きずりおろす点では合意している。
――俺はカエデに生徒会長の座を退いてもらいたいんだ。
束縛しているんじゃない。カエデには遠くに行ってほしくないんだ。どうしても雲の上の存在となってしまいそうで……怖いんだ。
俺には人前でなにかをする勇気がないから、前に進む君の隣に立つことはできない……そう悟った。だから、せめて人目の付かないところで静かに、幸せに二人で暮らしたい。
……カエデ、分かってくれないか。
生徒会室があるであろう方向を見つめながら俺は考えていた。
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