両片想いのグレート・ゲーム

名暮ゆう

第一部

第1話 「全てはあの入学式が悪いっ!」

 両片想いとは、お互いに好き同士だが、その想いが互いに伝わっておらず、一方的な好意だと思い込んでいる状況である。特に、なかなか自分の感情を相手に伝えられない関係にあると起こりがちで、日本男児を虜にしたトラブルでダークネスな漫画でもそんな展開が見られる。


 ……さて、小学生時代に両片想いとなり、なんやかんやあって高校の入学式で再会した男女の間にはどんな物語が繰り広げられることだろう。


 誰よりも気が利いて優しく、ひたむきに勉強に取り組む努力家・塚本翔太つかもとしょうた

 誰よりも欲深いが、人情に溢れている、ちょっぴり変態思考な天才美少女・島崎楓しまざきかえで


 学校というチェス盤の上で繰り広げられる両片想いのグレート・ゲームは、やがて学校中を巻き込む大事件を発生させてしまうのだが……どうやら今の二人は、その再会による衝撃で過去を振り返るのに没頭している様子。


 ちょっと二人の心の中を覗いていこうじゃないか。

 えっ、別にえっちなことはしませんよ? だって中身は、純愛そのものですもの――。


    ◇◇◇


 たとえば、前進する勇気のない弱虫な少年が成長するとしたらどんな物語だろう。

 守りたいものが虐げられて、いてもたってもいられなくなった時? それとも、大好きな人が遠くに行ってしまわないように立ち上がる時?


 ……キッカケというものは人それぞれなんだ。だから学び舎が存在するんだと思う。成長のキッカケを掴むための場所、目的のために成長できる場所……。

 結果的に、俺は学び舎でその両方を知ることができたから、満足しているよ。


 ……つくづく不幸な人生を送ってきた俺、塚本翔太は十六歳の高校生だ。

 両親ともども教師の家庭に生まれた俺は、幼い頃から勉強が得意で、特に他人から褒められることに一種の快感を覚えていた。そんな人間だったから、幼い頃から勉強に励むために受験専門塾へ通っていた。

 熱心に勉強を続けていたので努力は実り、成績優秀者だけが参加を許される勉強旅行や海外研修に行くことができた。だが、いくら勉強が好きだと言っても、小学校高学年になれば……イヤでも思春期というものがやってくる。異性を意識し始めると、俺は一人の女の子に本気で惚れ込んだ。


 島崎楓、それが彼女の名前。


 全国でも十本指に入る実力を持つカエデは俺のライバルであり、憧れでもあり……そんな感情が、いつしか恋心に変わっていった。

 彼女が目指す中学校に俺も行きたい。受験に合格したら必ず告白するぞ。

 ……そんな心情の変化をともなって、全国でも有名な私立中学を受験。当時の俺に不合格という計画は一切なかったので、それはもう我が物顔で試験に臨んでいた。絶対に受かる自信しかなかった。


――結果、これが見事に滑り落ちて、生まれて初めて挫折を味わった。


 落ちてしまったものは仕方ない。だが、これまで褒められることばかりだったから、初めて味わう挫折と他人のうわべだけの同情が頭痛と吐き気の種になった。それと同時に、無事に合格を果たした初恋の相手は俺のメンタルを盛大に砕いてくれた。


「A判定を取ってきた連中で落ちたの、じゃない?」


 そうか。所詮、俺は彼女にとって同じ学校を目指す他人に過ぎなかったんだ。初めから俺の恋は叶うはずがなかったんだ……。

 不合格と失恋が俺の自信を豪快にえぐり取っていき、しばらくの間はなにに対しても集中できずにいた。


 そんな生活を続けていても、いずれ高校受験がやってくる。考えてみれば、彼女が進学した学校は中高一貫校だ。よほどの理由がなければ、エスカレーター式で高校に進学するはず。


「高校受験は必ず成功させて、俺はできる男なんだと証明してみせる!」


 赤面して慌てふためく彼女の姿が目に浮かぶ……いひひ。

 ……どんなに文句を言われても、俺は絶対に彼女を嫌いにならない自信があった。だって、誰よりも彼女のことを愛しているのだから。

 三度の飯よりカエデだ! 彼女の隣に立てるなら、それくらい余裕だよ!

 よし、やってやろう。これをモチベーションに心を入れ直して、今度こそ合格してやる!


――そして今年の春、俺は私立谷千代学園高等学校に特待生として合格した。


 似合わない制服で背伸びをしたような感覚に陥るが、こんな俺でも高校生になったのだと思うと、努力が報われた気持ちになる。

 ……だが、本来の目的を忘れてはいけない。

 俺はなんのために高校受験を戦ったんだ。彼女にできる男だと証明するためじゃないか。

 早く彼女に会いたい! そして付き合いたい! いつまでも彼女と一緒にいたい!

 そんなことを夢想しているうちに、待ちに待った入学式の日がやってきた。

 高等学校に入学する者は例外なく参加するので、中等部からエスカレーター式で入学する生徒も当然、その中に紛れている。だから、彼女も会場である武蔵講堂むさしこうどうのどこかにいるはず。

 再会したらどう声をかけようかな、見分けが付かないくらい変貌を遂げていたらどうしよう。入学式が始まっても、俺はそんな具合で浮かれていた。

 新入生代表挨拶になって、その名前を聞くまでは。


「新入生代表挨拶、代表・島崎楓」


 三年前、耳にたこができるくらい聞かされたその名前。

 腰の辺りまで伸びたサラサラな髪とともに彼女の後ろ姿が目に映り込んでくる。小さくなったか……いいや、俺の身長が伸びたんだ。

 壇上に立った彼女は、ようやくその顔を俺たち新入生に拝ませてくれる。二重の目もと、そばかすや毛穴が目立たないキレイな肌、そしてみずみずしい唇。日本男児なら誰もが一目惚れしてしまいそうな姿がそこにあった。


 ……やばい、可愛すぎて直視できないっ!


 気持ちを落ち着かせようと首を全方位にブンブン振る俺を見て、周囲の人たちは、


「こいつ……彼女に一目惚れしたんだな」


 と勘違いしたことだろう。だがそれは大間違いだ。俺はもっと前から惚れていた!

 ……そんな俺の奇行なんて気にせず、壇上に立つ彼女はゆっくりと口を開いた。


「暖かい日差しに包まれ、新緑が芽吹く季節となりました。校門で私たちを迎えてくれた桜は、まるで深草に咲いた桜のようです」


 無意識に耳を傾けてしまうような美声。彼女は他人を魅了する声質を持っているらしい。カンペもなしに喋り続ける彼女は、この日のために全文を暗記してきたとでも言うのか。

 ……だが、彼女が読み上げる内容に違和感を覚えた俺は、すぐ我に返った。


「深草に咲いた桜、これは時の太政大臣・藤原基経ふじわらのもとつねが亡くなった際、親しい仲であった上野岑雄かみつけのみねおが詠んだ歌に登場する桜です」


 深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染めに咲け


 彼女は歌を読み上げると、数十秒の沈黙を設ける。


 講堂がざわついていたから。


 ……次第に、人々が本能的になにかを察知して口をつぐむ。


 彼女がなにを考えて演説しているのか、続きを聞きたいと考えたから。


「私はこう解釈します。桜の花言葉には『精神の美』というものがあります。心の清らかさや美しさ……桜は日本人を象徴するような花。ですが、我が校の桜は墨染、つまりは死んだ花なのです」


 ……なるほど。死んだ花とは、「藤原基経が亡くなった際に読まれた歌だから」ということだろう。しかし、どうしてこんな話を代表挨拶に盛り込んだのか……彼女の目論見は一体なんなんだ。

 そう考えていた矢先、彼女は俺の予想をはるかに上回る発言を始めた。


「成績優秀者には勉強を重視させて学校に箱詰め、部活動に励む生徒にはチームの絆を重視させて土日の合宿を強要……。思春期真っ盛りの高校生に、恋愛の一つも許さない学校のやり方……ここのどこに日本人としての心の清らかさが存在すると言うのか、私には理解できません。恋愛の自由は日本国民に与えられた平等な権利です。!」


 彼女の主張によって、会場は騒然とする。教職員が慌ててカエデを壇上から引きずりおろそうとするが、体格のいい新入生が肉壁バリケードを形成し、その行く手を阻もうと躍起になる。

 きっと彼らは、彼女の考えに同調している中等部出身の生徒だと思う。見ず知らずの学校の入学式で堂々と壇上に立てる生徒はなかなかいない。

 正直、こうなると入学式どころではなかった。子供の晴れ舞台を見に来た父母にとっては最悪な入学式で、


「もうまったく、やんなっちゃうわ!」

 そう叫ぶ親御さんの声が耳に届いた。

 そうだとしても、俺たち生徒はこの話題から絶対に目を逸らしてはいけない。


 恋愛が許されないだって? 冗談じゃない。少子化がこの学校の施策に起因するとどうして気が付かないんだ。くそっ、俺も今すぐ加勢したいよ!

 彼女の言葉に触発された俺は、体の芯から熱くなっていた。


「校門の桜は我々の行動によってしか蘇りません! 新入生代表として、私は生徒会長に立候補し、必ずや恋愛を自由化し、学校の空気は自由にすることを宣言します! どうか応援の方をよろしくお願い申し上げ……いててて」


 生徒によって作られた肉壁バリケードも、十数人の教職員が束になって立ち向かうことでようやく崩壊した。教職員たちは勢いのままカエデが持っていたマイクを没収し、数人がかりで彼女を舞台裏に連れ去っていく。

 この異常事態にどう反応すればいいのか分からないけど……と、とにかく、俺が恋心を抱いている相手は、学校においてかなり過激な人間であることは理解できた。そして、生徒会長に立候補して学校を変革したいことも理解できた。


 だが、カエデが目立つのはちょっとイヤだな。なぜかって? それはほら、俺だけのカエデであってほしいから。大好きな彼女が遠くに行ってほしくないんだ。


 ……そんな恋心に悶える俺はまだ知らない。

 その決意の背景には、俺の存在があったという事実を。

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