世界で一番優しくて、世界で一番ひどい男6



 その晩、私は萌黄の寝床ねどこを整えていました。


「ありがとう、鶯。でもそれくらい自分でできるわ」

「いいえ、斎王のあなたに寝床の準備などさせるわけにはいきません」

「そうだけど、私と鶯は双子の姉妹だよ?」


 萌黄が申し訳なさそうに言いました。

 そんな萌黄に私は苦笑してしまう。

 斎王になった萌黄は誰からも尊敬されるとうとい身分になりました。でも神気のない私はおまけのような存在だったのです。

 本当は斎宮へあがるのは斎王に選ばれた萌黄だけでした。しかし萌黄が鶯も一緒でなければ嫌だと駄々だだをこねて、私も貧しい村から斎宮へと一緒にいけることになったのです。

 斎宮での私の暮らしは白拍子の稽古けいこをしながら、他の下女げじょと同じように下働きをする生活でした。萌黄はそれをいつも申し訳なさそうに見ていたのです。同じ血を分けた姉妹なのにと。


「気にしないでください。姉妹だったとしても、あなたは斎王なんですから」


 そう言って私は萌黄に笑いかけました。

 この言葉に嘘偽うそいつわりはありません。

 私たち姉妹は生まれた時からずっと二人で生きてきたのです。萌黄は少し鈍臭どんくさいところがあるので、姉である私が守ってあげなければなりません。

 だから一緒に斎宮にあがれた時も、白拍子として斎王の萌黄を支えることができて嬉しかったのです。

 でも今、胸がちりりっと痛んでしまう。

 その理由は分かっているけれど、今は考えないようにしながら黙々もくもくと寝床を整えました。


「終わりましたよ。今晩はゆっくり休んでください。長旅で疲れたでしょう」

「ありがとう」


 萌黄が礼を言ってごそごそ寝床に入ります。

 私は枕元に正座して見守ると、「明かりを消しますね」と燭台しょくだいの火を消そうとしました。

 でもその前に萌黄が私の着物のすそを掴みます。


「待って。まだ眠くない」

「眠れないんですか?」

「うん。明日のこと考えると緊張して」

「明日は御所ごしょみかどにご挨拶するんでしたね」


 萌黄の明日の予定を思うと、たしかに眠れないかもしれませんね。

 今回、斎王が斎宮のある伊勢から出てこられたのは異例中の異例です。本当なら私に会うためにきょうみやこにくるなど決して許されないことでした。しかし萌黄は脅迫に近い形で無理を押し通し、無理やり理由を作って伊勢を出てきました。

 その理由とは、御所ごしょみかど謁見えっけんすること。

 斎王がみかど謁見えっけんすることを神事として扱うことで、斎王の式典行事として萌黄は伊勢を出てきたのです。


「くれぐれも明日は粗相そそうのないようにしてくださいね。今日のように牛車から転がり落ちるなんてことはないように」

「そ、それは鶯を見つけて慌てたからだよっ。いつもはちゃんとしてるから」

「ならば明日もちゃんと謁見してくるんですよ?」

「うぅ、やっぱり緊張してきた……」


 萌黄が布団の中で頭を抱えました。

 その姿がなんだか可笑おかしくて私は思わず笑ってしまいます。

 だって子どもの頃からちっとも変っていないのですから。


「……鶯のいじわる。なぐさめてくれてもいいのに」

「斎王の大切なお役目です。頑張ってきなさい」

「はーい」


 萌黄が甘えた返事をしました。まるで子どものようですね。

 でも、この子がこうして甘えるのは私にだけなのです。斎王の重責じゅうせきつぶされそうになる日々の中で私にだけ見せてくれる萌黄の本当の姿でした。

 子どもの頃から少し鈍臭どんくさい子だったので斎宮にあがったばかりの頃は傷つくことも多かったのです。でもどんな時も明るい笑顔の萌黄は誰からも好かれて、今では立派に斎王の役目を果たすまでになりました。

 かわいいですね、ほんとうに。もう私などが守る必要はないほど大きくなったけれど、それでも守ってあげたいと思っています。それはあなたが私のたった一人の妹だから。大きな神気を持った斎王だけど、私にとってはたった一人の妹です。


「斎宮のみんなは変わりありませんか?」

「うん。斎宮のみんなも、手習てならいに通ってる子たちもちゃんと元気にしてるよ」

「そうですか。安心しました」


 伊勢での暮らしを思い出してほっと安堵しました。

 私は斎宮で白拍子をするかたわら、孤児を集めて食事を与えたり手習てならいを教えていました。最初は私が勝手に始めたことですが、それを知った萌黄も手伝ってくれるようになったのです。斎王の援助を得られたことで、孤児たちに住む場所や充分な食事を提供できるようになったのです。


「みんな一生懸命に手習いしてるよ。私もあの子たちと一緒にいる時間が大好きなの」

「良かったです。あなたのおかげであの子たちも安心して暮らせるようになりました」

「鶯、それは違うわ。鶯が最初に孤独だったあの子たちを見つけてくれて、最初に大事なものを与えてくれた。あの子たちにずっとっているのは鶯だよ」


 萌黄が説得するように言ってくれました。

 私は苦笑して萌黄の頭をなでなでしてあげます。

 あなたはそう言ってくれるけれど、なんの力も持たない私が出来たことは自分に配給はいきゅうされたわずかな米を使って水でひたひたのかゆを作って配っただけ。それがいったいなんのはらしになったでしょうか。


「萌黄、どうかあの子たちをお願いしますね。あの子たちに手習いを教えて、ちゃんと生きていけるように」

「うん、大丈夫。こういう時の斎王権限だもんね。鶯が守ろうとしてたものは、私もちゃんと守るよ」

「ふふふ。あの鈍臭どんくさかったあなたが言うようになったじゃないですか」

「鶯だって不器用なくせに」

「私のどこか不器用なんです。針仕事はりしごとだって得意ですよ」

「そういうことじゃなくて……」


 萌黄がなにか言いたげに私を見ます。

 どうしました? と問うと、萌黄がううんと苦笑して首を横に振りました。


「それにしても、鶯に子どもが出来ててびっくりしたわ」

「紫紺のことを黙っていてごめんなさい」

「ううん、理由は聞いてるよ。ありがとう。斎宮を守ってくれて」

「斎宮の白拍子として当然のことです」


 私がそう言うと、萌黄が少し困った顔になってしまいました。

 そんな顔をしてほしくなくて、萌黄のおでこを指で撫でてあげます。

 萌黄はくすぐったそうに肩を竦めて聞いてきます。


「鶯は天帝の妻になったの?」

「それは……」


 答えられませんでした。

 高貴な身分の殿方は正妃がいたとしても、気に入った女性がいれば妻にめとることもあります。

 私は紫紺を生んだことでその気になったけれど、……どうなのでしょうね。相手が天帝だと思うと自分が妻だなどと烏滸おこがましいことは言えませんでした。


「……分かりません。でも黒緋様は優しい御方おかたです。私たちを助けてくれました」

「そっか、そうだね。うん、天帝は優しかったね」


 そう言って萌黄が微笑みました。

 その微笑に胸がツキンと痛くなる。今、萌黄は黒緋のことを思い出しているのでしょう。

 萌黄は微笑みながら続けます。


「ずっとおつかえしてきた天帝があんなに優しくて良い方だとは思わなかったわ。今まで一生懸命おつかえしてきて良かった」


 萌黄の口から『天帝』と言葉が紡がれるたびに心臓がきりきり締め付けられるようでした。

 でも私は顔に笑みを貼りつけたままで、布団を萌黄の肩までかけてあげます。


「……そろそろ眠った方がいいです。寝坊してしまいますよ?」

「まだ眠くないわ」

「緊張して少し興奮しているだけですよ。目を閉じていれば眠れますから」


 私はそう言うと燭台しょくだいの明かりを消しました。

 明かりが消えると淡い月明かりが床の間に差し込みます。

 月明かりに照らされた萌黄はまるで自身が輝いているかのように見えました。神気の輝きを放っているかのように見えて。


「鶯、おやすみなさい」

「おやすみなさい、萌黄」


 萌黄を見つめながら、良かった……と内心で安堵あんどしていました。

 だって今、月が萌黄を照らしているなら、逆光になっている私の顔は見えないはずですから。

 今の私はきっと……ひどい顔をしているはずですから。






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