謎の陰陽師と斎宮の白拍子5



 私は黒緋の屋敷で過ごすことになりました。

 黒緋からはくれぐれも屋敷を出ないように言われています。私はいつ襲われてもおかしくないようなのです。

 昼餉ひるげを終えたころ、私は白拍子装束しらびょうししょうぞくを着て余暇よかを持て余していました。せっかく都ですごすのだからと黒緋が貴族の姫が着るような上等な着物を用意してくれましたが、見慣れた白拍子の装束が一番落ち着くのです。

 本当は今だって炊事すいじをしている予定でしたが、黒緋が世話役に出現させている式神の女官たちはとても働き者で、掃除、洗濯、食事の支度などの仕事があっという間に終わってしまったのです。

 私がしたことといえば調理の手伝いですが、貴族が食べる豪華な料理は見たことがない贅沢な材料ばかりを扱うのでなんの役にも立てませんでした。

 伊勢の山奥で舞踊ぶようの稽古をしながら育った私の食生活は質素で貧しいものだったのです。白米を初めて食べたのも都に入ってからで、ずっとあわやきびを食べていました。


「調理の仕方をちゃんと覚えたいですね……」


 思い出してため息をついてしまう。……私なんの役にも立てませんでした。

 それに一人で調理できるようになれば、食べさせてあげたい人に作ってあげられます。それは伊勢の斎宮さいぐうで暮らしている斎王。

 贅沢を許された立場にありながら、巫女や白拍子と同じ生活を好むあの優しい斎王に食べさせてあげたい。私が作ったものならきっと食べてくれるはずです。

 私は庭園に面した渡殿わたどのに出ました。

 庭園をぐるりと囲むようにしてある渡殿わたどのは広い縁側えんがわのような作りになっています。

 そこから伊勢がある方角を見つめて思いをせる。


「斎王は無事でいてくれるでしょうか。寂しがっていないといいのですが」


 今頃、斎王はなにをしているでしょうか。斎宮で天上にいるという天帝に祈りを捧げているのでしょうか。

 きっとそうに違いありませんね。代々受け継がれてきた斎王の役目は地上にいながら天帝に仕え、天妃を失った天帝を祈りでなぐさめる役目があるのです。もちろん慰めるといっても相手は天上の神なので会ったことはありません。

 日本の人々は天帝を神としてあがめ、斎王は日本に安寧あんねいをもたらす為に祈りを捧げているのです。

 でも。


「馬鹿らしい……。なにが天帝ですか」


 冷たく吐き捨てました。

 祈ったところで天帝はなにをしてくれるのでしょうか。

 もし天上の天帝が人々を救うというなら、地上で最も天帝に仕えている斎王の嘆きを聞き届けるはずです。

 今の斎王は少し鈍臭どんくさいところがあるけれど、とても優しいのです。だから私は今も生きています。

 私は懐から扇を取りだしました。

 きっと斎王は今も天帝のために祈っていることでしょう。斎王が祈りを捧げるというなら、遠く離れていても私もそれに従いましょう。

 扇を広げ、天地創造の神話を舞います。

 見物する観衆はいません。奏者が奏でる音色もありません。でもそれでいいのです。私は当代の斎王を支えるために舞っているのですから。

 私は舞いに集中し、天帝と天妃の切ない神話を舞い続けました。

 でも視線を動かした時、ふと視界に黒緋の姿が映ります。

 いつの間にか黒緋が向かいの渡殿から私を見ていたのです。


「黒緋様っ……」


 驚いて舞いを止めました。

 まさか見られていたなんて……。

 でも動きを止めた私に黒緋のほうが申し訳なさそうな顔になります。


「邪魔したか?」

「いえ、そんなわけでは」


 私が慌てて首を横に振ると、「それなら良かった」と黒緋が安堵の笑みを浮かべます。


「ならば、もっと近くで見てもいいだろうか」

「構いませんが……」

「ありがとう」


 黒緋はそう言うと渡殿を回って私のところにやってきました。

 私が舞っている渡殿の座敷にあがると腰を下ろします。


「この舞がお好きなんですか?」


 なにげなく聞きました。

 天地創造の舞は天帝と天妃の別れを描いた悲恋の物語。その切なくも優美な舞いは都の貴族が好むものだと聞いたことがあります。

 でも黒緋は曖昧あいまいな笑みを浮かべるだけでした。

 まるでなにかを誤魔化しているようにも見えましたが「続けてくれ」と促されます。

 こうして私は黒緋が見つめる中、また天地創造の舞を再開しました。

 四凶の目覚めによって天帝が地上の荒廃に嘆き、天妃がそれを憂える。そして天妃が地上に落ちる様は一番の盛り上がりをみせる場面です。

 目のえた貴族の前で舞っても必ず感嘆のため息が漏れる場面ですが……。

 黒緋は静かに舞いを見つめるだけでした。

 感嘆のため息を漏らすことも、ましてや夢見心地の顔をすることもありません。

 静謐せいひつな湖面のように静かに舞を見つめ、時折その瞳に苦しそうな、それでいて今にも泣きだしてしまいそうな色を宿らせるのです。

 私は舞いながら気づきました。

 黒緋はきっとこの天地創造の舞が好きではないのでしょう。

 だって、なにかの面影を追うような、ここではない何処どこかを見つめるような、そんな思い詰めた面差しをしているのですから。

 それを見ていると私はその答えを聞きたいような聞きたくないような、複雑な気持ちになりました。

 しばらくして舞が終わり、床に両手をついて礼をしました。


「ありがとうございました」

「ありがとう。素晴らしかった」

「いえ、つたない舞いです」

謙遜けんそんはいらない。これほどの舞いを見たのは久しぶりだ」


 黒緋は穏やかな顔で言いました。

 そこにはもう先ほどまでの思い詰めた様子はありません。

 さっきのは気のせいだったかと思いかけていると、ふと黒緋が鷹揚おうように口を開きます。


「なあ鶯、俺の子をはらむ気はないか?」


 …………。

 ………………。


「ええっ!?」


 唐突なそれに頓狂とんきょうな声を上げてしまいました。

 意味が理解できません。いえ、言葉の意味は分かるのです。分かるのですが、私に向けられたことに理解が追いつかない。


「あ、あああなた、いったいなにを寝惚ねぼけたことをっ!」

「寝惚けてなんかいない。俺は本気だ」

「尚更悪いです! それに白拍子の私が子どもを作るなど許されることではありません!」


 子を孕むということは殿方の夜伽をするということ。白拍子は処女であらねばならないのに、そんなこと許されるはずがありません!

 しかし黒緋は穏やかな様子のまま続けます。


「それは問題ない。俺の子を孕むのに夜伽は必要ない。俺にとって夜伽はあくまで快楽のためのもの。子を作るのは処女のままでいい」

「えっ……?」


 言い切った黒緋に絶句しました。

 今度は本当に意味が分かりません。

 子を孕むのに夜伽は必要ないというのです。そんなことあり得るのでしょうか。

 おそるおそる黒緋を見ると、とてもたわむれを口にしているようには見えません。ということは本気なのですね……。

 でもたしかに黒緋ほどの陰陽師ならそういう不思議なことも可能なのかもしれません。そういう秘術でもあるのでしょう。

 しかしだからといって子どもを作るなど簡単に了承できるはずがありません。だいたい黒緋とは出会ったばかりなのです。それなのにっ……。


「お、お断りしますっ。それは出来ません。私が子どもを孕むなんて」

「なぜだ。俺は強い子どもが欲しいんだが」

「馬鹿言わないでくださいっ。なにが強い子どもですか!」


 猛烈に拒否しました。

 もう駄目です。これ以上話しているとおかしくなってしまいそう。

 私は立ち上がり、「そんな馬鹿なこと二度と言わないでください!」と逃げるように立ち去りました。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る