謎の陰陽師と斎宮の白拍子4



 翌日の朝。


「うっ……ん」


 重い瞼を開けると、ぼんやりした視界に映るのは見慣れぬ天井でした。

 御簾みすの隙間から朝陽が差し込んでいて、その暖かな温もりにほっとため息がもれます。


「……ここは、いったい……」


 ぼんやり呟くも、ハッとして飛び起きました。

 昨夜のことを思い出しました。私は鬼に襲われたところを見知らぬ男に助けられたのです。

 ここは昨夜の男の屋敷でしょうか……。

 見慣れぬ室内を見回す。

 御簾の向こうには玉砂利の庭園が広がっていました。大きな池に朱色の橋がかかった立派な庭園です。寝床の調度品もひと目で一級品だと分かる品々で、それだけでここが高貴な身分の男の屋敷だと分かります。


「目が覚めたようだな」


 御簾の向こうから声がかけられました。

 その声に緊張します。

 それは昨夜の男の声。鬼を一瞬で消滅させた男は陰陽師だと言っていました。

 でもまずお礼を伝えるのが先です。


「あの、昨夜はありがとうございました……」

「礼なんていらない」


 低く穏やかに響きながらも甘さを感じさせる声。それだけで男の鷹揚おうようで誠実そうな雰囲気が伝わってきます。


「入ってもいいだろうか」

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ。あの枕元にある打掛うちかけを身に着けてもいいでしょうか」

「お前のために用意したものだ。好きに使ってくれ」

「ありがとうございます」


 慌てて寝床を下りると、枕元に置いてあった打掛を羽織りました。

 打掛の下が夜着なので殿方とのがたに対面するのははばかられますが、長くお待たせすることはできません。居住まいを正して迎えます。


「どうぞ、入ってください」


 正座して両手を床につき、屋敷の主人である男を座礼して出迎えました。

 礼儀知らずの田舎者だと思われたくありません。伊勢にいる斎王や巫女や白拍子の恥にもなってしまう。


「おはようございます。改めて礼を言います。昨夜は助けていただいてありがとうございました」

「礼はいらない。それよりよく休めたか?」

「おかげさまで」

「顔を上げろ」

「はい」


 ゆっくり顔を上げました。

 改めて目にした男の容貌に内心胸が高鳴ります。夜に見た容貌も冴え冴えとして凛々しいものでしたが、こうして朝の明るい日差し下で見るとそこに穏やかな優しさを纏うのです。

 今まで目にしてきた貴族の男はろくなものではなかっただけに、その違いに驚きます。いいえ、彼はただの貴族ではありませんね。あの鬼を一瞬で消滅させるほどの力を持つ陰陽師です。さぞ高名な陰陽師なのでしょう。


「私はうぐいすと申します。旅の白拍子しらびょうしです」

「俺の名は黒緋くろあけ陰陽師おんみょうじをしている」


 男は黒緋と名乗ると、緊張する私に優しく微笑みかけてくれました。


「旅をしているのか。目的は?」

「……特にありません。各地を転々としています」

「そうか。京の都にはいつ入った?」

「三日前です。ですが、今日で都を出ようと思います」


 そう、今日で都を出なくてはいけません。

 これ以上ここにいてはまた鬼に見つかってしまうでしょう。


「急だな。もう少しゆっくりすればいい。三日くらいじゃ都見物も出来ていないだろう」

「いえ、長居するつもりはありません。それに都見物をするために旅をしているわけではありませんから」


 申し訳ないと思いつつも断りました。

 でもね、少しだけ惜しいと思ってしまう。なぜだか黒緋と離れがたかったのです。

 しかしそれを隠してまた深々と頭を下げました。


「黒緋様、ご恩を返せずに旅立つことをお許しください。それでは出立の支度をしますので」


 私はそう告げると荷造にづくりを始めようとします。

 でも。


「急ぎの旅というわけだな。それは鬼から逃れるためか?」


 荷造りの手が止まりました。

 困惑しながらも振り返ります。

 そんな私の様子に黒緋が穏やかなまま口を開きます。


「話したくないなら理由は聞かない。だがせめて後一日はここにいたほうがいい」

「……なぜです?」

「昨夜の鬼のほかに都に侵入した鬼がいる。今お前がここを離れれば都の人々が巻き添えをくらいかねない」

「えっ」


 動揺しました。

 そんな馬鹿なと困惑しますが、黒緋がいつわりを口にしているとは思えません。


「私はどうすれば……」

「ここにいればいい。鬼の狙いはお前だろう? それなら立ち去るまでここにいればいい。そうすれば都の人々が巻き添えをくうことはない。そしてお前も守ってやれる。悪い話じゃないはずだ」

「たしかに……」


 都で足止めされるのは不本意ですが黒緋の提案は納得できるものでした。

 私だって無関係の人を巻き込むのは避けたいのです。


「ありがとうございます。ではなにかお礼をさせてください。出会ったばかりなのに私ばかり良くしてもらって申し訳なく思います……」

「気にしなくていいぞ」

「いいえ気にします。炊事すいじでもなんでも構いません。私にできることをさせてください」

「なるほど。貸し借りは無しということだな」


 面白いと黒緋は喉奥で笑いました。

 その通りです。私は貸し借りを作りたくありません。本来なら誰とも関わらずに都を出なければならない身です。

 でもそれが難しいのなら今は頭を下げてお願いしなければなりません。


「お願いします。どうか」

「分かった。お前の気の済むようにしろ。いつも身の回りの世話は式神しきがみの女官にさせている。彼女らを好きに使ってくれ」

「ありがとうございます」


 私は深々と頭を下げました。

 役目を与えられてほっと安堵したのです。




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