謎の陰陽師と斎宮の白拍子3

「天帝に仕えるものを犯すのが愉快ゆかいでなあ。特に斎王に仕える伊勢の白拍子を犯すのは格別だろう」

「最初から私を狙っていたんですね!」

「当たり前だ。貴様こそ鬼から逃げられると思ったか」


 そう言うと鬼が私を押し倒しました。

 手足を振り回して暴れるけれど、鬼が力任せに夜着を引き裂いていく。

 鬼のごつごつした手が私の足を鷲掴みます。


「っ、嫌です! 離しなさい……!」

「それで抵抗のつもりか。もっと逆らってみせろ」

「あっ、やめ……!」


 強引に足を開かされました。

 ゆるんだ腰巻こしまきが乱れて、太ももが鬼の前にさらされます。


「ああ、美味うまそうだ。この血肉ちにく鬼神きしん様に献上けんじょうせねばならぬとは……」

「いやっ、嫌です!」


 無我夢中で暴れました。

 足を振り上げて鬼の巨体を蹴りつけますがびくともしません。

 でもこのまま好きに犯されて食い荒らされるなど絶対嫌です。

 私は暴れまわって、ふと手が小太刀に届きました。瞬間。


「苦しんで死になさい!!」


 グサッ!!

 肉を突き刺す感触。

 私は小太刀を鬼の顔面に突き刺したのです。

 人間でないのなら躊躇ためらいません。突き刺した小太刀をえぐるようにひねってやります。


「許してあげませんっ、死んでびなさい……!」

「クッ、グアアアアアッ……!!」


 鬼が絶叫してのたうち回ります。

 逃げるなら今!

 ドカッ! 鬼がひるんだすきに巨体を蹴り飛ばしました。

 鬼の下から飛び出して、御簾みすをくぐってとこから逃げ出しました。

 素足すあしのまま格子こうしを越えて転がるように庭園に出ます。

 鬼が追ってくる気配に全身の血の気が引いていく。

 急いで屋敷を出ると、月明かりだけを頼りに夜の都を走りました。

 人の気配を感じません。野犬の遠吠えすら聞こえません。はあはあと自分の息が乱れる音だけが響いています。それは未だ鬼の結界内にいるということ。

 背後に迫る鬼の気配に恐怖が高まっていきます。

 これほど広範囲に結界を張れる鬼が普通の鬼であるはずがありません。やはり伊勢から私を追ってきた鬼。捕まれば犯され、人の身などいともたやすく引き裂かれるでしょう。

 それだけは駄目です。絶対駄目です。

 もし私が死ねば伊勢の斎王さいおうに危険が及んでしまいます。それだけは阻止せねばならぬのです。だから私はできるだけ生き抜いて、できるだけ遠くへ逃げなければ。

 私は恐怖で震える体を叱咤しったして走り続けました。

 でも曲がりかどを曲がった、その時。


「うわっ!」


 ドンッ! なにかにぶつかりました。

 衝撃に跳ね飛ばされそうになるも、力強い腕に抱きとめられます。


「大丈夫か?」


 頭上から心配そうにのぞき込まれ、私は驚きで目を丸めました。

 ぶつかったのは黒の絹生地に朱色糸の刺繍を施した狩衣かりぎぬ姿の男だったのです。

 きたえられた体躯の男は精悍せいかんながらも息を飲むほど美しく整った顔立ちをしていました。

 思わず凝視してしまう。なぜか胸の奥がざわついて言葉を失う。

 そして男も私を見て一瞬だけ驚愕きょうがくしました。でもそれは見間違いかと思うほど一瞬で、すぐに男は鷹揚おうようとした笑みを浮かべました。


「怪我はないか?」


 優しく聞かれてハッとします。

 胸のざわつきに困惑している場合ではありません。ここは鬼の結界内なのです。


「どうしてここに人がいるんですか! いえ、今はそんなこと言っている場合ではありませんっ。早くここから逃げましょう! って、なんで走らないんですか!」


 私は焦って声をあげました。

 一緒に逃げようと男の腕をつかんだのにびくともしないのです。

 そんな私の気も知らず男は笑みを深めます。


「結界が張られたから来てみたが、まさか鬼に追われる白拍子と出会うとは思わなかったぞ」


 男はそう言うと私を背後に下がらせます。

 背中に隠されるようにされ、私は慌てて男の狩衣の袖を握りました。


「駄目ですっ、鬼が来ます! 早く逃げないと!」

「大丈夫だ。そこにいろ」

「なにを寝ぼけたことをっ」


 この人は死にたいのでしょうか!

 そうこうしている間にも周囲の空気がよどみ、とうとう鬼が姿を見せました。


「見つけた! 見つけたぞおおおおおお!!」


 ドスドスドスドス!!

 地鳴りのような足音を響かせて突進してきました。

 まるで大型猛獣が突進してくるようで、もう駄目ですっ、逃げられない……!

 でもその時。


「――――止まれ」


 ぴたりっ。鬼の巨体が止まりました。


「え?」


 唖然あぜんとして男の背中を凝視しました。

 止まれと命令したのは男だったのです。

 男は淡々と言葉を続けます。


「どこの鬼か知らないが、俺の都で面白いことをするじゃないか」

「き、貴様は陰陽……師……」


 鬼は体を動かせないまま顔面を恐怖で歪ませました。

 陰陽師おんみょうじの男は憂えた顔で鬼を見つめるも、顔前にスッと手を上げて指でいんを組む。


「安らかに眠れ」

「や、やめっ。ぐあああああああ!!!!」


 みるみるうちに鬼の巨体が砂塵さじんとなって消えていく。

 鬼は断末魔とともに消滅したのです。

 ――――キンッ。耳鳴りがして都の音が戻ってくる。

 鬼が消滅したことで結界が解かれたのです。

 一瞬にして鬼を消滅させた男に驚愕が隠し切れません。こんなのあり得ない、陰陽師といえど鬼をいともたやすく討伐してしまうなんて……。


「あなたは、いったい……」


 男に話しかけようとして、でも緊張と恐怖から解放されてどっと疲れが押し寄せてきます。

 急激な解放感に意識が遠くなる。視界が強制的に暗くなって、脱力とともに膝から崩れ落ちてしまう。

 でも私の体を男が抱きとめてくれました。

「しっかりしろ!」と声をかけられたけれど返事もできない。

 お礼だってまだ伝えていないのに、私は意識を手放してしまったのでした。





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