懐妊の条件2

「よ、よかった……。もう鬼はここにいないのですねっ……」

「大丈夫か?」

「はい、ありがとうございました」

「俺は何もしていない。お前の力だ」

「私の? ……そういえば鬼はどうして私たちが見えなかったんですか?」

「白拍子が笛を奏でていたからだ。本物の白拍子が奏でる音には結界の力が宿る。広範囲の結界術とはいかないが、奏者やそれに触れている者くらいは隠せる結界だ」

「初めて知りました……」


 そういえば伊勢の斎宮には悪しき妖怪や鬼が出現したことはありません。それは斎王の力だと思っていましたが、毎日稽古けいこに励んでいた巫女や白拍子の力もあったのでしょう。


「お前を探しているのは、どうやら鬼神のようだな」

「知ってるんですか!?」

「ああ」


 黒緋が平然としたまま答えました。

 鬼神と聞いても動じない黒緋に息を飲む。

 鬼神とは鬼属性のなかでも高位の力を持っている鬼のことです。高名な陰陽師や巫女でも鬼神と聞いて震え上がらない者などいないくらいなのに。

 もしかしたら……。

 もしかしたら、この人なら……!


「あなたなら、あの鬼神を……倒せるんですか?」


 ごくりっ。息を飲んで見つめました。

 私の真剣な顔に黒緋は少しだけ眉を上げ、次いでふわりと微笑みます。


「もちろんだ」


 なんでもないことのように黒緋が答えて、ああ……、ため息が漏れる。暗闇に一筋ひとすじの光が差したよう。

 脳裏に浮かぶのは、伊勢に残してきた斎王や巫女や白拍子たち。もしかしたら助けられるかもしれません。いいえ、きっと助けられます。


「お願いですっ。どうか力を貸してください!!」


 私は床に両手をついて頭を下げました。

 まだ出会ったばかりの黒緋にこんなことをお願いするべきでないことは分かっています。身勝手なのも無茶なのもすべて承知です。

 でもこの一筋の光を逃したくありません。


「理由を話してくれないか?」

「黒緋様……」

「お前ほどの白拍子がここまで必死になる理由を知りたい」

「っ、……ありがとうございます。どうか聞いてください。今、私たちの故郷で起きていることを」


 黒緋の優しさに涙が溢れそうでした。

 ようやく見つけた希望に縋るように自分が逃げている理由を話します。


「私の生まれは伊勢にある小さな村で、幼い頃に斎宮にかかえられて白拍子になりました」

「斎宮の白拍子か。どうりで舞が見事なわけだ」

「ありがとうございます。斎王様をお支えするため、日夜にちや稽古に励んでいます」


 白拍子として斎王を、いいえ妹の萌黄を守ること。それが私のほこりであり、生きる意味でした。


「伊勢を出てから苦労も多かっただろう。白拍子として苦汁をなめることも」

「はい、ひどいものでした。まさかみかどの暮らす京の都までこのようにひんの欠けた場所だったなんてっ……」


 思い出すだけで怒りに声が震えてしまいそう。

 私は伊勢を出てから白拍子の現実を知ったのです。

 伊勢では白拍子とは斎王にお仕えする高潔こうけつな存在だというのに、伊勢を出ると遊び女として見られることが多かったのです。京の都の貴族ですら白拍子を遊び女のように思っていたのですから。

 実際、私が地方の都や街道で目にした白拍子の姿はひどいものでした。婀娜あだめいた化粧、誘うように着崩した装束、その舞いの動作も男にびたものばかり。あのような白拍子は白拍子などではありません。絶対に認めたくありません。


「伊勢以外の白拍子は白拍子ではありません」


 思わず口調が強くなりました。

 無意識のそれにハッとして「失礼しました」と袖で口元を隠します。黒緋は都人みやこびとなのです。不快にさせたかもしれません。

 そんな私に黒緋はほがらかに笑いました。


「気にしなくていい。斎宮は雅楽の最高峰、そこの白拍子なら高潔でいて当然だ。そんな白拍子が伊勢を出たならさぞ矜持きょうじけがされたことだろう。鶯は気位きぐらいが高いようだからな」

「…………」


 ……どう受け取っていいのか困惑しました。

 言葉通り受け取るほどおめでたくありません。やはり不快にさせたようです。

 殿方とのがたは生意気な女は好まないと聞いたことがあります。黒緋の気を悪くしてしまったらせっかく掴んだ希望が失せてしまいます。


「お許しください。失礼なことを申しました」

「謝らなくていい。むしろお前の気位きぐらいの高さは気に入っている」

「……変わったご趣味ですね」

「ハハハッ、そう言うな。以前は苦手に思うこともあったが、今では時に愛らしいとすら思うくらいだ」

「そうですか……」


 黒緋は笑いましたが返答に困りました。

 私を愛らしいと言っているわけではないのですが、駄目ですね、頬がじわりと熱くなりました。

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