天上の帝4

「あ、謝らないでください! 私こそ、あなたが天帝と知らずに数々の無礼を申し訳ありませんでした!!」


 地面に額をつける勢いで頭を下げる私に今度は黒緋があせりだします。

 黒緋は私の前に膝をついて「顔を上げてくれ」と肩に手を置いてくれました。

 私はその手を見つめ、おそるおそる顔を上げます。

 すると黒緋が嬉しそうに笑んでくれました。


「鶯、お前がびることはなにもない。それどころかいつも俺にくしてくれている。ありがとう」


 黒緋はそう言うと地面に手をついた私の手をとりました。

 手を包む黒緋の手は大きくて優しくて、私の胸が甘く締め付けられる。


勿体もったいないお言葉です」


 私もそっと力をこめて黒緋の手を握り返すと、彼はまた嬉しそうな笑みを浮かべてくれました。

 そんな私たちの間に紫紺が駆けてきます。


「ちちうえ! ははうえ!」


 紫紺が心配そうに私を見つめて、大丈夫ですよと笑いかけました。


「紫紺、よく頑張りましたね。大丈夫でしたか?」

「オレはだいじょうぶだ! ははうえもだいじょうぶか? ケガはない?」

「大丈夫ですよ。このとおりなんともありません」

「よかった」


 紫紺は安心した顔になって、改めて黒緋に向き直りました。


「ちちうえは、……てんてい、なのか?」

「ああ、そうだ。そしてお前は俺の血を継いだ天の眷属。天帝の嫡子だ」

「……そうか。だからオレは」


 紫紺はそう言って自分の手を見つめました。

 驚きはあるようですが、自分の成長速度が他の人間の子どもとは違っていることに気づいているのです。


「……ちちうえ、わからないことがある」

「なんだ」

「どうして、てんていがここにいるんだ。てならいでべんきょうしたんだ。てんていはてんにいるって。それなのにどうして……」


 紫紺の素朴な疑問でした。

 紫紺は鍛錬を始めたのと同時期に手習てならいも始めています。聡明な子どもなので今ではちょっとした読み書きもできるようになっていました。書物を読むのも好きな子なので、天帝についての神話も知っているのです。

 でもその質問が耳に入ってきた瞬間、私は落ち着かない気持ちになってしまう。

 聞いては駄目だと本能が警鐘けいしょうを鳴らしたのです。

 心臓がどくどくと嫌な音を立て始めて、心がざわざわと騒ぎだす。

 聞きたくありません。聞いてはいけません。だって天地創造の神話が正しいのなら、天帝は。


「俺が地上に降りた理由も、お前を強くしたい理由も一つだけ。――――天妃を取り戻すためだ」


 ……ああ。

 ああ聞きたくなかったのに。

 聞いてしまった答えに私の全身が強張っていく。

 その答えは今まで数々あった疑問の点を線で結ぶものだったのです。そして結んで描かれたのは天妃という存在。

 私は震えそうになる指先をきつく握りしめました。

 馬鹿みたいです。今までどうして黒緋も私を愛していると思っていたんでしょうか。ほんとうに馬鹿みたいです。

 一人で浮かれたりして、勘違いして、ほんとうにっ、ほんとうに……馬鹿みたいですっ……。

 私は黒緋を見つめて笑顔を浮かべました。


「黒緋様、鬼神を討伐していただいてありがとうございます」


 ゆっくりと感謝を伝えました。

 声が震えてしまわないように、笑顔が崩れてしまわないように、握りしめた手に痛いほど爪を立てます。ぐいぐいと爪を食い込ませて、痛みで心を塗りつぶすように。


「これで斎宮のみんなも喜ぶでしょう」

「お前の望みが叶えられて嬉しく思う。さあ帰ろう」

「はい……」


 帰ろうと促す黒緋の声は優しくて、手は当たり前のように私に差し出されます。

 その手に手を重ねると握り返されました。

 天帝とはなんて優しいのでしょうね。懐深ふところふか寛大かんだいで、鷹揚おうようで、穏やかで。

 でももう知ってしまいました。

 その優しさは私だけのものではないのですね。地上にいるすべての人間に向けられるものなのですね。

 そしてそんな天帝の唯一の最愛、それは天妃ただ一人なのですね。






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