天上の玉座に天帝と天妃の姿ありて【本編完結】


 天上界。

 私は宮殿の後宮にいました。

 四凶しきょうを討伐した後、私と紫紺と青藍は黒緋とともに天上へ帰りました。

 久しぶりに後宮に帰ると、私につかえる女官たちがずらりと整列して出迎えてくれました。

 後宮は天妃である私が生活する宮殿です。

 以前はここに私以外の女性が暮らしていました。それは天帝に愛されることを許された他の妻たちです。天帝の黒緋は私を天妃に迎えながらも、他にも多くの妻をめとったのです。

 しかし今はいません。ここで暮らしているのは私だけ。

 それというのも黒緋が私を探すために地上に降りる際、すべての妻と離縁して後宮から出したそうです。

 おかげで以前の後宮より過ごしやすくなりました。

 天帝が天妃以外にも多くの女性をめとることは珍しいことではありませんが、それでも私はそれを喜んで受け入れていたわけではありません。

 嫉妬で眠れぬ夜も、枕を涙で濡らす夜もありました。でも天帝から贈られた庭木の枝を見ると少しだけ心が落ち着いたのですよ。たった一度の贈り物でしたが私にとって特別な宝物になりました。

 贈られた時、その庭木の枝が天帝にとって思い入れのないただの贈り物だということは分かっていました。でもこれを贈る時に少しでも私のことを考えてくれたのですよね。それだけで幸せな気持ちになれたのです。天帝は私を愛して天妃に迎えたわけではないと知っていましたから。

 でも地上から帰ってきてからは以前と違いました。

 他の妻がいなくなったので後宮の奥に閉じこもらなくてもよくなりました。以前は他の妻に会いたくなくてほとんど外に出なかったので。

 でも今。


「天妃様、天妃様、どちらにおいでですか!?」

「天妃様を早く見つけよ! もし天妃様の身になにかあれば一大事いちだいじぞ!」

「はい、すぐに! 天妃様、どちらに行かれたのですか!?」

「天妃様! 天妃様!」


 後宮の回廊を女官たちが行き交って私を探していました。

 そう、私は見つからないようにこそこそ隠れていたのです。

 ごめんなさい、困らせていますよね。

 以前の私は後宮の奥から滅多に出てくることはなかったので、突然いなくなるなどということはありませんでした。

 でも今、私はどうしても行かねばならない所があるのです。


「ごめんなさい。許してくださいね……」


 誰にも聞こえない声で呟くと、見つからないように後宮を出たのでした。




■■■■■■■


 天帝である黒緋は天上に帰ってきてから政務に忙殺されていた。

 天妃を探すためとはいえ長い期間地上に降りていたのだ。帰ってきたら政務が山積さんせきされていたのは当然といえば当然だった。

 そう、天帝は天妃を連れて帰ってきた。しかも第一子の紫紺と第二子の青藍を連れていた。

 長らく空けていた玉座に天帝が戻り、そのかたわらには天妃が寄り添うようになったのである。それは天上にかつてあった正常な姿であるが。


「鶯、どこだ! 鶯!」


 黒緋の声が宮中に響く。

 今玉座に天帝の姿はなく、宮中を歩き回って天妃である鶯を探していたのだ。

 黒緋は座敷のひとつひとつを覗き、そこに鶯がいないか探す。

 後宮から鶯が姿を消したと報告が入り、政務中だったがいてもたってもいられずに探し回っているのだ。


「鶯、どこだ! どこにいる!」

「天妃様は私どもがお探しするので、何卒なにとぞっ」

「どうか、どうかお戻りください!」


 側近たちが困惑しながらも平伏へいふくして黒緋を政務に戻そうとする。

 そもそも今まで天帝がこんなに必死に天妃を探していたことがなかったので側近たちも困惑しているのだ。

 だが黒緋からすればそんなことは関係ない。

 もう二度と手放さないと決めているのだ。


「構わん、俺も探す」


 黒緋はそう言い放つと宮中の長い通路を歩いた。

 だが庭園に差しかかって足を止める。

 庭園では紫紺と離寛が手合わせをし、暖かな縁側では青藍が昼寝していたのだ。

 離寛が黒緋に気づくと「助かった〜」と安堵する。

 離寛は天帝である黒緋の臣下だが、今は公務中ではないので友人として宮中に遊びに来ていたのだ。


「いいところに来た。ずっと手合わせに付き合わされてるんだ。替わってくれよ」


 離寛が気安い口調で言った。

 天上の武将として名をせる離寛は紫紺の手合わせ相手として丁度よいのだ。よく紫紺にねだられて相手をさせられている。


「そうしてやりたいが、じつは今はそれどころじゃない」


 黒緋が深刻しんこくな顔で言った。

 いつも鷹揚おうようとした黒緋の珍しい様子に離寛と紫紺が驚く。


「ちちうえ、なにかあったのか?」

「珍しいな、お前がそんな深刻な顔になるなんて。よほどのことがあったのか?」


 離寛は天上の武将として警戒を強める。

 もし天上や地上に不穏なことがあれば武将として守らなければならないのだ。

 しかし。


「鶯がいなくなった。どこに行ったかしらないか?」

「え……」


 離寛は若干じゃっかん引いた。

 天帝が天妃を探して宮中をうろうろうろうろしていたというのだから……。


「……恋をすると人は変わるというが、天帝まで変わるのか。恋がすごいのか、天妃がすごいのか……」

「なにが言いたい」


 黒緋が目をわらせた。

 離寛の反応は面白くないものだが気持ちは分からなくもない。

 黒緋自身も驚いているのだ。これほど誰かを深く想うことがあるとは今まで想像もしていなかった。

 だからこそ今の最優先はいなくなった鶯を探すことである。


「それで知っているのか?」

「オレ、しってる! せいらんをひるねさせたあと、あっちにあるいていったぞ!」


 紫紺が「あっち」と指差しながら答えた。

 どうやら鶯は姿を消す前、ここで紫紺の手合わせを見守り、青藍を抱っこして昼寝をさせていたようだった。

 天妃が子どもの世話をするなど前代未聞ぜんだいみもんではあるが、鶯は地上で紫紺と青藍を育てていた時のまま天上でも同じように育てている。最初はしきたりや慣習を重んじる女官たちが困惑していたが鶯は断固として譲らなかったのだ。


「ありがとう、紫紺。よく教えてくれた」

「うん。でもははうえ、なんかへんなかおしてた」

「変な顔だと?」


 黒緋がいぶかしむ。

 紫紺の言葉に離寛も「そういえば」と思い出す。


「天妃様も深刻しんこくな顔をして歩いていったな。なにか悩みでもあるんじゃないか?」

「天妃が悩み……」


 一大事いちだいじである。

 悩みがあるなら分かち合いたい。できればこの手で解決してやりたい。


「行ってくる」


 数々の目撃証言に黒緋は即座そくざに歩きだした。

 鶯が向かったという方向に一つだけ心当たりがあったのだ。




 天帝が暮らす宮殿の敷地内には広大な森がある。

 天上にあってもなお清浄な空気に満ちる森。そこは天帝と天妃しか立ち入れない神域しんいきだった。

 黒緋は森の小道を歩き、しばらくして池が見えてきた。

 そして池のほとりには鶯の後ろ姿。ずっと探していた鶯は森の池に来ていたのだ。

 鶯は頭上に天妃の宝冠ほうかんをいただき、金糸の刺繍が施された萌黄色もえぎいろの衣装は幾重いくえにも重なって気品に満ちている。なによりまとっている神気は春の木漏こものように優しく、ひと目でこの世でとうとい身分の女性だとわかるものだ。

 だが今、鶯は衣装の裾や袖が汚れるのも構わず、ほとりから池の底を覗きこんでいた。

 神域の森にある池は地上に繋がっているのである。

 かつて天妃が四凶しきょうを封じるために地上へ身を落としたのもこの場所だった。


「鶯、まさか一人で地上へ降りるつもりか?」

「黒緋様……!」


 鶯が驚いた顔で振り返った。


「ど、どうしてここへ」

「お前を探していたんだ」

「そうでしたか、すみません。ご心配をおかけしました……」


 申し訳なさそうな鶯に黒緋は苦笑する。

 困らせたいわけではないのだ。悩みがあるなら話してほしい、それだけである。


「気にしなくていい。それより何か悩みでもあるのか?」


 黒緋は鶯と並んで膝をつく。

 そして鶯が見つめていた地上を見下ろした。


「…………萌黄?」


 池の底には鶯の妹である萌黄が映っていた。

 黒緋は意味が分からない。

 しかし鶯は深刻しんこくな顔で萌黄を見つめていた。斎王の萌黄は斎宮にある一室で客人や巫女たちと神事の話し合いをしているようだ。だがそこに不審ふしんてんはない。


「鶯、なにをしているんだ?」

「なにって決まってるじゃないですか。萌黄は鈍臭どんくさいところがあるので、姉の私が守ってあげなければいけません。……ん? あの客人の男、さっきから萌黄をいやらしい目で見てるような……。ゆ、許せませんっ、萌黄に不埒ふらちなことをするなど」

「おい、落ち着け。まだしてないだろ」


 黒緋は慌てて止めた。

 放っておいたら池に飛び込んで地上に降り、そのまま乗り込んでいってしまいそうだったのだ。


「そんなに心配いらないだろう。萌黄は斎王だ。斎王をどうこうできる男なんてそういないぞ」

「そうかもしれませんが、萌黄は鈍臭どんくさいだけではなく子どもみたいなところがあるんです。いつも私にくっついて、どこへ行くにも私と一緒で。だから子どもの時はどんな時も私がよしよししてあげていたのです。そんな世間知せけんしらずの萌黄が苦労していないはずないでしょう」

「…………」


 きっぱり言い切った鶯に黒緋は無言になってしまった。

 今、池の底に映っている萌黄。それは激しく意見が飛びかっている会議で決して自分の意志を譲らず、都から来たであろう客人を厳しい意見で黙らせていた。

 鶯が話している萌黄とは同一人物とは思えないのだが……。そもそも萌黄は天帝の黒緋に意見した女なのだ。可愛らしい雰囲気に似合わず豪胆ごうたんなところがあると黒緋は思っている。

 しかし、鶯の目には可愛くて鈍臭どんくさくて世間知せけんしらずのか弱い妹に映っているらしい。


「鶯」

「なんでしょう」


 返事をしながらも鶯の視線も意識も萌黄に注がれている。

 それにわずかな嫉妬を覚えてしまう。

 鶯と萌黄は天上と地上に別れながらも、姉妹の絆は固く結ばれたままなのだ。


「萌黄はそんなに心配しなくても大丈夫だぞ。そこまで見張らなくてもいい」

「見張っているのではありません。私は姉として見守っているのです」

「……分かった、見守っているとしよう」


 黒緋は即座に言い直した。

 せっかく戻ってきた鶯の機嫌をこんなことで損ないたくない。


「だが、萌黄は本当に大丈夫なんだ」


 黒緋はなだめるように言うと鶯を見つめる。

 近い距離で見つめあうと、鶯の頬がじわじわと赤くなりだした。

 その反応に黒緋は愛おしさがこみあげ、赤くなった頬にそっと触れる。


「萌黄はお前の双子の妹だ。そして今もこれほど愛されている」

「どういう意味です?」

「そのままの意味だ。歴代斎王のなかで天妃の加護かごをこれほどあつく受けているのは萌黄くらいだ。地上の誰よりも幸福が約束されている」

「あ、そういうことになるんですね」

「納得したか?」


 黒緋が鶯の顔を優しく覗きこむ。

 すると恥ずかしそうに鶯は視線を伏せるが小さく頷いた。

 鶯は地上で人間として暮らした期間が長いので、時々自分が天妃であることを失念してしまうようだ。だが、黒緋にとってはそれがまた愛おしい。


「お前に約束しよう。萌黄が天妃の加護を受けて地上の誰よりも幸福が約束されるなら、お前を天上の誰よりも幸福にすることを誓おう」

「黒緋さま……っ」


 鶯は目を大きく見開いた。

 赤かった頬がさらに赤くなる。

 鶯は突然の誓いに驚くも、次には花がほころぶような微笑みを浮かべた。そして。


「では、私も。私もあなたの幸福を約束します」


 鶯も誓いの言葉を紡いだ。

 鶯の微笑みに黒緋はまぶしそうに目を細めた。

 鶯が黒緋の笑顔を見つめていたいと思っているように、黒緋もまた同じように思っている。

 黒緋と鶯はそっと唇を重ね、見つめあったまま微笑みあう。

 そして二人は寄り添い、地上の幸福な景色を見つめたのだった。


■■■■■■





完結



――――――

天妃物語を読んでくださってありがとうございました!

楽しんでいただければ嬉しいです。

本作はカクヨムコン9に投稿しています。

少しでもおもしろいと思ってくださいましたら、どうか星をよろしくお願いいたします!ブクマも一緒によろしくお願いします!

初めてのカクヨムコンなので読者選考の壁に涙目になってます…。

おもしろかったと思ってくださいましたら、どうか星をよろしくお願いいたします!

感想などもいただければとても励みになります!こちらもよろしくお願いいたします!


この後は天妃物語のその後の話しを番外編でちょっと書こうと思います。

鶯が天妃として天上に帰ってきてからの話しです。

天帝が天妃溺愛状態なので、なんかいろいろ大変な天上界とかです。楽しい話しのネタが番外編用に一本あるんですよ。

カクヨムコンに投稿している作品なので本編完結にあわせて完結としましたが、このまま番外編を連載していきます。

どうぞもう少しお付き合いください。


短編で『午後三時七分の境界線』も読んでくれると嬉しいです。ホラー系です。おもしろいと思っていただけたら星をお願いします!

https://kakuyomu.jp/works/16817330667797176753


宣伝とお願いが多くてすみません。読者選考こわすぎて…。よろしくお願いします。


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