世界で一番優しくて、世界で一番ひどい男4

「鶯、ずっと会いたかったの……! 伊勢で別れた時から、鶯のことを考えない日はなかったわ。どこも怪我してない? 変な呪いにかかってない?」


 萌黄は私の手を握ってあせった口調で聞いてきます。

 落ち着きがない萌黄に苦笑しました。この子は子どもの頃から変わりませんね。とても優しくて愛らしくて、しんの強い自慢の妹です。でもちょっと鈍臭どんくさいのがたまきずだけど。


「私は大丈夫です。元気ですよ。それよりどうして斎王のあなたが都に? あなたが斎宮から出てくるなんて、なにかあったんですか?」

「鶯に会うために決まってるじゃない! 鬼神が討伐されたのを感じて、でも鶯になにかあったんじゃないかって心配で、だからっ……!」


 萌黄はあふれる涙を衣装のそでで押さえます。

 萌黄は伊勢にいながら鬼神が討伐されたことを感知したのです。でも同時に私の身を心配したのでしょう。

 グズグズ泣いている萌黄の背中をなぐさめるように撫でてあげました。泣き虫なのも子どもの頃から変わりませんね。


「よしよし、泣いてはいけませんよ。それにしても、よくその理由で斎王が伊勢からでることを許されましたね?」

「うん、斎王を辞めるって言ってみたの。そしたら許可が下りて」

「ええ!? あ、あなたそんなこと言ったんですか? ほとんど脅迫きょうはくじゃないですか! あ、あなたらしくないっ……」

「そうでもしないと伊勢を出る許可が下りなかったから……。でもどうしても鶯に会いたかったの。鬼神がいなくなったのに鶯は帰ってこないし、でも鶯が関わっていないはずないと思っていたから。だから、だからどうしても鶯に会いたかったの。御所ごしょに上がってみかどにご挨拶するっていう理由を作ってもらって、やっときょうみやこに来ることができたんだよ」


 萌黄はそう言うと涙で真っ赤になった目で私を見つめます。


「ごめんなさいっ。鶯ばかりつらい思いをさせて、苦労ばかりさせてっ……。ほんとうに、ほんとうにごめんなさい……!」

「ああ泣かないでください。斎王がこれくらいで泣いてどうするんです。それに白拍子が斎王を守るためにいのちすのは当然のことです」


 私はそう言ったけれど萌黄は泣きながら首を横に振るばかり。

 困りましたね。なでなでしてあげます。


「では、私はあなたの姉です。あなたを守るためにいのちすのは当然のことです。苦労などありませんでしたよ」

「っ、姉さまっ……!」


 萌黄がぎゅっと抱きついてきました。

 斎王になってからあなたはりんとした姿を見せてくれるようになったけれど、それでも私の前では甘えたで泣き虫で鈍臭どんくさい。そんな変わらぬ姿を見せてくれるのですね。

 私はよしよしと撫でながら優しく慰めます。


「あなたが感知したとおり鬼神は討伐されました。もうなにも心配することはないんです」

「うん、ほんとうに良かったっ。これで伊勢のみんなも安心して暮らせるわ」

「はい、良かったですね」


 私も笑顔で頷くと、黒緋を紹介することにします。

 鬼神を討伐してくれたのは黒緋なのです。


「萌黄、紹介します。彼は黒緋様といって、……黒緋様?」


 そう言いながら黒緋を振り返って、首を傾げました。

 黒緋は食い入るように萌黄を見つめていたのです。

 そして萌黄も目を見開き、黒緋を凝視ぎょうししたままカタカタと震えだしました。


「う、鶯、この御方おかたは、……に、人間じゃないよね……?」

「萌黄?」

「こ、この御方おかたは、てんひとっ……!」


 てんひと、そう言った萌黄の声は畏怖いふに震えていました。

 萌黄はカタカタと震えながら地面に膝をつき、黒緋に向かって両手をつきました。


「て、てて天帝におかれましてはご機嫌麗しくっ。私は斎宮にて斎王を務めている萌黄と申します……っ」


 萌黄は驚愕と畏怖いふに震えながらもひたいを地面につけるほど座礼しました。

 生まれながらに強力な神気に恵まれている萌黄はひと目で黒緋が天帝だと見抜いたのです。


「顔を上げてくれ、萌黄。そんなことはしなくていい」


 黒緋もハッとして我に返ると萌黄に駆け寄りました。

 そして萌黄の肩を抱き、手を取って立ち上がらせます。


「黒緋だ、萌黄。俺は黒緋だっ」


 黒緋が訴えかけるように言いました。

 でもその勢いに萌黄は目を丸めるだけです。


「黒緋さま……」

「そうじゃないっ。いや、忘れているのか? だが」


 黒緋は混乱したように呟きます。

 しかし握りしめた萌黄の手は離しません。

 とても大切そうに萌黄の手を握り、今にも泣きだしそうな顔で見つめているのです。


「萌黄、お前に会えて嬉しいよ。とても、とても嬉しいんだ……っ」


 黒緋は噛みしめるように言いました。

 黒緋の切々とした声と眼差しに萌黄はただ戸惑うばかりになっています。

 私はそんな二人を呆然ぼうぜんと見つめていました。

 ざわざわした嫌な予感が背筋をいあがります。

 心臓を冷たいなにかがめあげ、全身から血の気が引いていく。

 私は今、冷たくなっていく指先を握りしめていることしかできませんでした……。





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