謎の陰陽師と斎宮の白拍子2



 欠けた月が昇る夜。

 満月まであと幾日でしょうか。

 私は御簾みすをめくって夜空に浮かぶ月を眺めていました。

 都といえど夜ともなれば闇が視界を覆うほどに暗くなります。しかし庭園に面した寝殿しんでんでは昼から続いていた酒宴がいっそう騒がしいものになっていました。

 闇夜の中でも屋敷は煌々とした明かりが灯り、そのにぎやかな声と明かりは私の休んでいる床の間まで漏れ聞こえていました。


「……都とはこれほど無粋ぶすいな場所でしたか。これがみやびとは笑わせる」


 これでは輝く月も色褪いろあせて見えてしまいます。

 御簾を下ろしました。

 もう眠ってしまうことにしましょう。

 いあげていた長い黒髪を下ろして寝具を整えます。枕元に護身用の小太刀こだちを置いて、燭台しょくだいの明かりを消して寝床に入りました。

 夜明けとともに屋敷を発ち、都を離れましょう。ここより遠くへ、うんと遠くへ逃げなければいけません。

 明日に備えて早く眠ろうと目を閉じました。

 しかしうつらうつらとし始めたころ、御簾の向こうに人の気配を感じました。

 薄っすらと目を開けると、御簾には月明かりに照らされた男の影が見えました。


「鶯殿、起きておいでか?」


 小声で声をかけられました。

 眉をひそめてしまう。

 寝殿で開かれている酒宴の騒がしい声を背景に、男の声は密やかに響いて、……不快です。

 無視したいのに「鶯殿、鶯殿」としつこく声をかけられます。


「……なにかご用ですか?」


 私は上体を起こし、御簾に映る影を睨みました。

 でも睨まれていると気づかない男は密やかに続けます。


「今宵、鶯殿の花のような尊顔を拝し、春に鳴く鶯のような艶やかな声を独り占めしたい。この御簾をくぐることを許してもらえるかな?」

「お引き取りください」


 ぴしゃりと返答しました。

 男は夜這いにきたのです。悩むまでもなくお断りです。

 この拒否を素直に聞き入れてくれればいいけれど警戒するにこしたことはないでしょう。

 こういった夜這いは初めてのことではありません。生まれ育った山奥を出て一人旅を始めてから、私はちまたでの白拍子の立場を知りました。それは芸と体を売るあそというものだったのです。

 本来、白拍子とはいにしえの時代までさかのぼると巫女に原点がありました。神事で舞いの役目を担っていたのが白拍子だったのです。しかし幾多あまたの白拍子が布教ふきょう行脚あんぎゃで舞いを披露していく中で、しだいに芸と体を売る遊び女へ転化していきました。

 私が生まれ育った伊勢は、この日本のすべての巫女や白拍子を従える斎王の座する土地です。伊勢では斎王と巫女は天上の天帝に仕える尊い存在でした。そして白拍子も天帝に舞いを奉納する役目を担い、近隣の村々から尊敬を集めていました。

 それがどうでしょう。伊勢を出てから知った白拍子の立場は遊び女で、私の白拍子の矜持きょうじを汚すものだったのです。

 そもそも神聖な巫女や白拍子は処女であらねばならないというのに、それを金銭に替えるなどなげかわしい愚行ぐこうではないですか。

 私は厳しい口調で拒絶します。


「どうかお引き取りください。私は白拍子、殿方とのがた夜伽よとぎのお相手をするために旅をしているわけではありません」

「つれないことを言う。一夜の恥じらいなど無用ではないか。しとねでも艶やかに舞ってみせてくれ」

「恥じらいではありません。私は嫌だと言っているのです」

「鶯殿はたわむれがお好きなようだ」


 男は愉快そうに笑った。

 断られるなど微塵みじんも思っていない傲慢さ。私の拒絶を言葉遊びと解釈しているのです。

 そして男はとうとう御簾に手をかけ、ゆっくりとめくって寝床に姿を現わしました。


「なんですか、無礼ですよ!」


 強い口調で声を上げました。

 でも男には通じず笑いだします。建前たてまえの拒否だと勘違いしているのです。


「ハハハッ、たまにはこういう余興よきょうも悪くない。だがそろそろ面倒くさい。過ぎたたわむれこそ無礼だと教えてやろうか」

「今すぐ出ていってください! 今なら夜這よばいなどなかったことにしてあげます!」


 強気に拒否を続けました。

 夜着を直して怒りのままに睨みます。隙なんて見せてあげません。

 警戒と侮蔑を向ける私に男は忌々いまいましげな顔になりました。ここにきてようやく言葉遊びの拒絶ではないと気づいたのです。


「っ、白拍子風情がっ……。こうして寝床に来てやったというのに、貴族である私の誘いを断れると思っているのか!」


 男の様子ががらりと変わりました。

 男の目にぎらついた怒りが宿り、私に向かって手を伸ばしてきます。


「こ、来ないでください!」


 腕を掴まれる寸前、勢いよく手を払いました。

 そして枕元の小太刀を握って構えます。


「これ以上近づくことは許しませんっ……!」

「手が震えているぞ。そんな脅しがきくと思っているのか?」

「脅しではありませんっ! 私に指一本でも触れてみなさい、これであなたを殺します!」


 私は強く言い放ち、隙をついて駆けだしました。

 御簾をくぐって床の間から逃げようとしましたが背後から腕を掴まれてしまう。


「は、離しなさい!」

「どうした、それで殺すんじゃなかったのか?」


 バタンッ!


「ぐっ……」


 背中に痛みが走りました。

 その場に引き倒されたのです。

 拍子で握っていた小太刀を放してしまう。しかも馬乗りに伸し掛かられて強引に押さえつけられました。


「どきなさい! どけと言ってるでしょう!」

「暴れるでない、この遊び女がっ」

「私は遊び女ではありません!」


 ガンッ!! 近くにあった燭台で力いっぱい男の頭を殴りつけました。

 ぐらりっ……。馬乗りになっていた男の体が傾きます。

 その隙に男の下から這い出ましたが、その時、――――キンッ! 耳鳴りがしました。


「これはっ……」


 全身から血の気が引いていく。

 寝殿から聞こえていた酒宴のにぎやかな騒音は消えて、異空間へと放り出された感覚。これは結界けっかい……!


「あ、あなた、人ではありませんね……!」

「ようやく気付いたか。伊勢の白拍子よ」


 男は低く言うと、傾いていた体がむくりっと起き上がりました。

 そして、バキバキッ。ゴキゴキッ。関節と骨がしなる音。男の体がみるみるうちにふくらんでいく。巨大化した男の額にはつのが生え、耳まで裂けた口からは鋭い牙が覗きました。その姿は鬼。


「貴様が遊び女ではなく本物の白拍子だということは気づいていた。だから犯しに来たんだ。人として大人しく犯されておけばまだ楽しめたものを」


 見上げるような巨大な鬼。

 鬼は歪んだ笑みを浮かべて私を見下ろします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る