はじめての恋1



 翌日。

 昼餉ひるげの後、私は庭園の掃除をしていました。

 庭帚にわぼうきで玉砂利を整えていきます。丁寧に見栄え良く、まるで川の流れを表現するように。斎宮では毎日のように庭掃除をしていたので得意なのですよ。


「綺麗にできました。しばらく誰も歩いてほしくないですね」


 うんうん頷いて出来栄えに満足します。

 広い庭園を見回して、ふと池で視線が止まりました。

 庭園の真ん中にある広い池。朱色の橋が架かったおもむきのある池ですが、貴族の屋敷ならどこにでもあるような池です。

 でも七日後の満月の夜、この池にはすの花が咲いてそこから赤ん坊が生まれるのだといいます。

 にわかに信じがたい……。

 そもそもこの池に蓮の花はないし、赤ん坊が蓮から生まれるなんて聞いたことがありません。

 やっぱりからかわれたのでしょうか……。一抹の不安を覚えてしまう。

 でも、いえいえいえいえと首を横に振って不安を散らします。

 黒緋はそんないつわりを口にするような人に見えません。なにより私にそんないつわりを仕掛けて得することはありません。黒緋は強い力を持った高名な陰陽師なので、きっとほんとうに赤ん坊が生まれてくるのでしょう。

 私は下腹部に手を当ててみます。そこにふくらみはないけれど。


「よく分かりませんが、いるんですよね。元気に生まれてきてください。待っていますからね」


 私はそっと語りかけました。

 できれば強い子がいいですが、今は無事に誕生してくれることを願います。黒緋もとても楽しみにしているんです。

 私はまだ見ぬ赤ん坊に思いをせましたが、その時、見知らぬ男が門をくぐって敷地に入ってきました。

 女性の目を引くような見目が整った男です。しかも男は腰に太刀たちを携えていて、ひと目で貴族の武官だと分かる身なりです。

 なんとなく見ていると、視線に気づいた男が振り返って驚いた顔をしました。


「えっ、ええ!? どういうことだ!」


 突然頓狂とんきょうな声を上げる男。

 失礼すぎます。あまりに失礼で眉間に皺を刻んでしまう。

 でも不機嫌になる私に構わず男は驚いた顔で近づいてきます。


「あの、あんた、いったい誰!?」


 失礼すぎる男は私を指差して言いました。

 あまりの無作法ぶさほうに眩暈までしそう。私の眉間の皺がさらに深くなります。


「あなたの名は? 人を指差す前に名乗るべきではないですか?」

「ああそうだったっ、ごめんごめんっ! 俺は離寛りかん。黒緋の友人だ」

「黒緋様のご友人でしたかっ。それは失礼しました。では離寛様、どうぞこちらへ」

「ちょ、ちょっと待ってっ。その顔で様付けされるのはちょっと……。離寛でいいから」

「え?」


 この人いったいなんなんでしょう……。

 敬称をつけずに呼べなんて不審が隠せません。


「そういうわけには参りません。見知らぬ殿方とのがたをそのように呼ぶなんて。ましてや離寛様は黒緋様のご友人だというのに」

「いや、そうなんだけどそうじゃなくて……。ああ〜、その顔で離寛様とかほんと勘弁かんべんしてくれよ……」


 離寛が空をあおいで言いました。

 私はますます訳が分からなくなりました。不審たっぷりに見つめていると屋敷から黒緋が出てきました。


「鶯、庭掃除をしていると聞いたぞ。離寛、来てたのか」


 黒緋は離寛にそう言いながらも私のところへ真っすぐ歩いてきます。

 そして少し困った顔で私の手から庭帚にわぼうきを取りあげました。


「どういうつもりだ。自分が身重みおもだと分かっているのか」

「そうですが、体になにも変わったところはありませんし」

「それでも子を孕んでいることには変わりない」


 優しくたしなめられて、なにも言えなくなりました。

 過保護なような気もしますが、どうしてでしょうね、悪い気はしないなんて。


「……すみませんでした」

「謝らなくていい。ただ次から気を付けてくれ。お前になにかあってからじゃ遅いんだ」

「黒緋様……」


 なんだか照れくさいですね。

 近い距離で目が合って頬がじわりと熱くなりました。

 そんな私たちに離寛が苦笑して声をかけてきます。


「黒緋、俺もいるの知ってるだろ」

「ああ、そうだったな。悪かった。鶯が庭掃除をしていると聞いて慌てたんだ」


 黒緋はそう言うと離寛を改めて紹介してくれます。


「鶯、この男は離寛。俺の古い友人だ。離寛、この女性は鶯。昨日からここに滞在している」

「昨日から?」

「ああ、しばらくここにいてもらうつもりだ。鶯は伊勢からきた白拍子でな、とても美しいまいを舞うんだ。笛も素晴らしいぞ」

「初めまして、鶯と申します。黒緋様にはお世話になっています」


 私は深々とお辞儀しました。

 黒緋の古い友人なら丁重にもてなさなければ。今夜の酒や料理を用意しなければいけません。


「今から夕餉ゆうげの支度をしますが、離寛様はいかがいたしますか?」

「頼む」


 黒緋はそう答えてくれましたが、「お前も手伝うのか?」と少しムッとした顔になりました。

 その反応に苦笑してしまいます。

 この屋敷の女官や下女は黒緋の式神たちなので、心配してくれるほど大変なことなどないのですよ。力仕事もほとんどありません。


「休んでいてほしいんだが」

「無茶はしませんからお手伝いさせてください。あんまり動かないというのも体に良くないそうですよ」

「そうなのか?」

「そうです」

「むっ……」


 黒緋があごに手を添えて考え込みます。

 納得したようなしてないような、そんな様子にまた小さく笑ってしまいました。


「それでは支度がありますので私は失礼します。離寛様、どうぞごゆっくり」


 私は黒緋と離寛にお辞儀じぎし、夕餉の支度をするために土間へ向かいました。



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