はじめての赤ちゃん、その名は紫紺。3

「ありがとうございました。お待たせしました」


 一曲終わり、私は黒緋に両手をついて礼をしました。

 黒緋は感心した顔になっています。


「思わず聞き入っていた。琴の腕も申し分がないな」

「雅楽はひととおり習得していますから」

「さすが斎宮の白拍子だ。紫紺も聞き入っていたようだぞ」


 そう言って黒緋が紫紺を覗きこみます。

 紫紺は黒緋をじっと見上げて、「あうー、あー」となにやらおしゃべり。黒緋も目を細めました。

 そんな黒緋と紫紺を見ているだけで温かな気持ちになります。


「どうぞ抱っこしてあげてください」

「こんなに小さいと緊張するな」

「ふふふ、昨夜は私ごと抱きあげてぐるぐるしてたじゃないですか」

「昨夜は感激して深く考えてなかったんだ」

「なんですかそれ」


 昨夜を思い出してクスクス笑ってしまいます。

 目が回りそうになって大変だったんですから。


「あなたの子ですよ。抱っこしてあげてください」

「そうだな」


 黒緋は少し緊張した顔になりました。

 ゆっくりと紫紺に両手を伸ばし、大きな手が小さな紫紺を抱き上げます。

 すると黒緋の頬がほろりとゆるんで、顔がとても優しくなります。

 分かりますよ、その気持ち。ひらに伝わる赤ん坊のぬくもりは何ものにもえがたいものです。


「なかなか悪くないな」

「そうですよね。私も昨日からずっと感動してるんです」

「俺も同じ気持ちだ。ほら紫紺、たかいぞ」


 たかいたかいをするように掲げると、紫紺が「あぶー」と声をあげて短い手足を伸ばしたりちぢこませたりバタつかせました。

 でも紫紺の顔は赤ん坊とは思えぬ憮然ぶぜんとしたもので……。


「……これは喜んでいるのか?」


 黒緋が困惑した顔で私に聞いてきました。

 そんな様子に私は小さく苦笑してしまう。

 そう、私も昨日から薄々うすうす気づいていたのです。紫紺はちょっと表情の変化にとぼしいというか、つねに真顔というか、憮然ぶぜんとしているというか、無愛想ぶあいそうというか。やはりはすから生まれてくるとそんなかんじになるのでしょうか。

 でもね、私は紫紺に笑いかけます。


「きっと喜んでいますよ。たかいたかいが楽しいのでしょう。ね、紫紺?」

「そういうものか?」

「そうですよ。だってこんなに動いてます。喜んでないはずありません」


 きっと喜んでいます。

 私も紫紺のお世話をするようになってまだ一日もたっていませんが、それでも分かるのです。

 だってこの子はあやしている時によく手足をバタバタして反応してくれますから。短い手足を伸ばしたり縮こませたりする姿はとてもかわいいのです。


「紫紺、よかったですね」

「あうー」

「また黒緋様に遊んでもらいましょう。こちらへどうぞ」


 私が両手を差し出すと紫紺を渡されました。

 小さな体を抱っこして、ああそろそろ腰布を取り換えてあげましょう。でないとまたお漏らしされてしまいます。


「今から紫紺の腰布を取り替えてきます」


 そう言って私は部屋を移動しようとしましたが黒緋に呼び止められます。


「構わん、ここで取り替えればいい。ここは日当たりが良くて暖かいだろう」

「そうですけど……」


 黒緋はここの主人です。

 いくら紫紺が黒緋の子息とはいえ主人の前で腰布を取り替えるのは……。


「やはり別の場所で」

「いいからここでしろ」


 何度も言われては断れません。

「ではお言葉に甘えて」と私は紫紺の腰布を手早く取り替えてあげます。

 それを見学していた黒緋がまた感心した顔になりました。


手際てぎわがいいな」

「ありがとうございます。初めてした時は上手くできませんでしたが、何度か取り替えているうちに様になってきたようです」

「そんなにしていたのか。女官にさせればよかっただろう」

「そうなんですが、でも……」

「あうあー」


 ふと紫紺が声を上げました。

 見ると短い手足を伸ばしたり縮めたり。相変あいかわらず表情に変化はありませんが、分かりますよ。これって新しい腰布が気持ちよくて嬉しいんですよね。

 私は手早く紫紺の着衣を整えてあげました。

「ほら綺麗になりました」と笑いかけて、指でじゃれるように紫紺のふっくらした頬をなぞります。

 はしゃぐ紫紺に構いながら黒緋を振り返りました。


「取り替えてあげると紫紺は気持ちいいようで、こうしてとても喜んでくれるんです。それが見たくて」


 そう言って黒緋に笑いかけました。

 まだまだ戸惑うことも多いですが、こうして紫紺に構っているのがなんだか楽しくて。いけませんね、強い子に育てるために厳しくしたいのに。

 でも黒緋が穏やかに目を細めてくれます。


「そうか、ありがとう」


 優しく笑いかけられて私の頬が熱くなりました。

 よかった。まだ赤ん坊のうちはこうして構っていてよいのですね。

 こうして私は仰向あおむけで寝転んでいる紫紺を構っていましたが、ふと気づく。紫紺がみょうな動きを始めたのです。

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