はじめての恋3

「……なにかご用でしょうか」

「私を警戒しているのかな」

「そ、そんなつもりは……」


 心の内を見透みすかされたようで動揺してしまう。

 そんな私の反応に山伏やまぶしの笑みがさらに歪みます。


「そう警戒しないでくれ。この混沌とした世界で、その腹に尊い赤子あかご宿やどした者よ」

「え?」


 思わず山伏を凝視しました。

 すべてを見透かしているかのような山伏の目。その目は暗くにごっていて、本能的に後ずさってしまう。

 その時、にぎやかだったいちに悲鳴があがりました。


「野犬だ!」

「早く逃げろ! 野犬の群れが市に入ってきたぞ!!」


 辺りが騒然となり、女性や子どもが慌てて逃げだしていく。

 いちに侵入した野犬の群れがそこかしこを駆け回り、男たちが棍棒を振り回して追い払おうとしています。

 私も早く逃げなければと駆けだそうとしたけれど。


「え、……いない?」


 山伏が忽然こつぜんと消えていました。

 ついさっきまでそこにいたのに……。

 不気味な山伏に困惑しましたが今は早く逃げなければ。

 しかし、一頭の野犬が私に向かって猛然と走ってきます。騒然とする周囲に目もくれず、私に向かって真っすぐに。


「な、なんで私のところにっ……」


 まるで狙っているかのようなそれに血の気が引いていく。

 必死に逃げるけれど背後に野犬が迫ってきて、私に向かって襲い掛かってきました。


「ガアアアアアア!!」

「っ、きゃああああ!!」


 野犬に背を向けて縮こまりました。

 でも、いつまで待っても野犬に襲われることはありません。

 おそるおそる背後を振り返って、驚愕に目を見開く。


「黒緋様……!?」


 そこには黒緋がいました。

 黒緋が私を守るように立っていたのです。

 でも黒緋の腕に野犬が嚙みついていて背筋が凍りつく。


「黒緋様、腕が!!」


 慌てて駆け寄ろうとしたけれど、「そこにいろ」と手で制されます。


「でもっ……」


 私は真っ青になって黒緋を見つめました。

 野犬の鋭い牙が黒緋の腕に食い込んでいきます。

 でも黒緋が動じることはなく、野犬を噛みつかせたまま指を立てていんを組みました。

 次の瞬間、ピカリッ! 閃光がほとばしる。


「っ……!」


 あまりの眩しさに目を閉じるも、次に目を開けると野犬が跡形もなく消えていました。

 呆然とする私を黒緋が振り返ります。


「鶯、大丈夫か?」

「黒緋様、さっきの野犬は!? それに腕が!!」


 ハッとして黒緋の腕を取りました。

 野犬に噛まれた箇所が出血して狩衣にみるみる血が滲んでいく。


「大丈夫ですか!? どうしてこんな真似を!」


 私は着ていた装束の袖を破って血が滲む腕に巻きつけました。

 でも止血しても血は止まらなくて、巻きつけた布にじわじわ染みてくる。

 痛ましさに視界が滲みましたが、黒緋は私を見て優しく目を細めました。


「お前が無事でよかった」

「こんな時になにを言ってるんですか!」

「本心だ。お前に怪我がないならそれでいい」


 黒緋はそう言ってくれましたが、……ぐらり、その体が私におおいかぶさってくる。


「え? ……ああっ、黒緋様!」


 倒れてきた黒緋を咄嗟に受け止めました。

 黒緋の額には汗が滲み、その顔色が紙のように白くなっていく。


「しっかりしてくださいっ。黒緋様っ、黒緋様……!」


 反応を返してほしくて必死に呼びかけました。

 しかし黒緋はそんな私を安心させるように微笑むも、その瞳は閉じられたのでした。




 陽が沈み、夜空の月が輝きを増す頃。

 黒緋が意識を失ってから三刻が過ぎました。

 私は意識を失った黒緋を式神たちと屋敷に連れ帰り、床の間に寝かせてずっと側で看病していました。

 黒緋の白かった肌にも少しずつ血色が戻ってきましたが、それでも額に薄っすらと汗が滲んでいます。

 汗を手ぬぐいで拭きながら、祈るように黒緋を見つめていました。


「黒緋様、目を覚ましてください。黒緋様……っ」


 野犬に噛まれた腕の治療は終わりましたが、黒緋は意識を失ったまま時折苦しそうなうめき声をあげていました。

 その姿を見つめながら悔しくて唇を噛みしめる。なにもできないことが悔しいのです。


「……どうして私なんか庇ったんですかっ……」


 震える声で問いかけました。

 でも返事はなくて、汗の滲んだ黒緋の額をまた手ぬぐいで拭きました。

 どうか早く目覚めますようにと願いながら汗を拭っていましたが、ふと黒緋の体が小刻みに震えていることに気づきました。

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